筋の通し方(牧野直哉)

先日、ある雑誌の取材をうけました。テーマは「筋の通し方」について。事前に示された質問の内容は、このようなものです。

・社内外で「筋が通らないな」と思った場面のエピソード

・自分で「筋が通らない行動」をしてしまった失敗談

・社内外で「筋が通ってるな」と思った場面のエピソード

・自分で「筋を通した体験」

・ビジネスで本来、筋と通すべきときに通さない人がいるのはなぜ?

・筋を通す人と通さない人では評価や付き合い方にどんな違いが出る?

正直「筋ねぇ~」と思いました(笑)世の中は不条理に満ちあふれているし、私が普段行なっている業務にしても、少なくとも自分には筋の通らない事ばかりなのです。そんな中でなぜ今「筋」なのか。そんなことを考えました。

まず自分自身について。筋を通して生きているつもりです(ほんとか、笑)ただ、ほんとうに筋が通っているかどうかはわかりません。自分にとっての筋とは、必ず自らへの利益に繋がっています。自分の利益=周囲の利益となっていればこんなことを考える必要もないかもれません。例えば先ほどおこなった価格交渉にしても、所詮利益のブンドリ合戦です。ビジネスは利害対立の調整で、どうやって自分により多くのメリットを確保するかですよね。理想ではWin-Winというけれどすべてそういうわけにはいきません。これは双方にとっての「筋」が異なっているからですね。片方の利益が片方の損害になる構図では、そもそも双方が同時に筋を通すことは不可能なのです

そして、ちょっと極端な例です。これまでおこってきたテロ事件。特に、無差別に人を殺めるテロ行為の被害を受けた人はまったく納得できません。ところが、テロを実行する側は、行為そのものが自分達の信じる道であり、筋を通す行為だと考えている。でなければ、あれほど危険な行為を計画したり、自ら犠牲になったりしません。と、いうことは、ときに「筋」を通すことは、おおきな悲劇にも繋がることになります。

こんどは、身近な例です。東日本大震災の後で、私が携わっていた企画の開催に難色を示した方がいらっしゃいました。震災発生後で家族が不安を抱えているし、今は家庭を大事にしたいというのがその発言の根拠です。まったくその通りだなと思いました。ところが数日後、家族と一緒にいたいと言った張本人が、Twitterで飲みに行っていることを呟いていました。私は「話が違っている。前の発言からすると筋違いだ」と思いました。そして本人に文句をいいました(笑)。実際はやんごとなき事情があったのです。この通りコミュニケーションミスでも、筋違いは発生します。

我々の周囲を思い起こしてみます。上司、部下、同僚、関係部門、家族、友人。いろいろな人間関係の中で日々生活しています。先の友人と私の筋の通らないケースを踏まえると、良い人間関係の中では、筋が通しやすといえます。というより、良好な人間関係では、あまり筋の通すことを求め合わない関係ですね。そもそも利害関係がないですしね。私の親友の中には、私がみるとやることなすことまったくといって良いほどに筋が通せていない人もいます。そういう人間と知った上で仲良くなってしまったので、筋が通っているかどうかは問題にはならないのです。相手の筋が通らない部分に、別に気にしないという形で自ら筋をとおしているわけです。

そして、なにもかもあれもこれも筋を通す方が良いのかといえば、そうでもありません。自らの生き方に徹頭徹尾筋を通して生きるのは、私はちょっと窮屈じゃないのかな、って思います。筋の通らない事が多い世の中なんです。筋を通し生きてゆくのは苦労が多いことでしょう。ただ、じゃぁまったく筋を通すことを無視できるかといえば、それは絶対にありえないんです。社会と関わって生活をするためには、一定の筋を通す必要があるわけです。

インタビューでは、具体的なエピソードを求められました。雑誌の性格上、職場でのエピソードです。あぁ、すこし格好良いことを言い過ぎたと少し後悔しています(笑)。ここでは冷静に職場での筋の通し方を考えてみます。職場で筋を通すことが難しいのは、集団にとっての「筋」であることが挙げられます。人が生きていく上での、個人の筋ではない。こう考えると「価値観」と言い換えることができるかもしれません。100%完全でなくとも、周囲からまぁ良いかと納得を得られる「筋」でなければならない。集団で筋を通す。企業であれば、マネージャーであり経営者の仕事そのものですね。これに必要な要素を考えてみます。

やっぱりコミュニケーションです。どういった筋なのか。なぜ通さなければいけないのか。通すことでどんな成果を期待するのかを、集団に理解して貰わなければなりません。そしてコミュニケーションの場の設定も必要ですね。時間を費やして説明の場を持つことであったり、わかりやすく伝える為の工夫であったりといった事も必要でしょう。筋を通すべき内容が伝わらずに、よくわからないといった事も避けるべきですね。理解されないとは、筋を通す、通さないといったことを論ずる前の段階の話です。

もう一つ、伝えられる側の理解力も不可欠です。企業で、調達購買部門で、一定期間以上勤務しているのであれば、ある程度の専門的な知識も必要です。話す方に「わかりやすく」といった配慮も必要ですが、聞く側にも一定の理解力を兼ね備える事は求められます。双方の歩み寄りは不可欠です。こういったことができていると、筋が通っているといわれるようになるわけですね。集団の場合は、筋を通す側、そして通される側にも一定のやるべき事があるわけです。ただ、何から何まで筋を通す集団というのも、息苦しそうですね。個人と同じように、適度な筋を求めないことも必要なのです。

雑誌の取材とは、発売が楽しみであり不安でもあるのです。ライターに自分の話はちゃんと伝わったろうか。格好良く書かれすぎても困るし、あんまり情けなく書かれてもといった具合に。といっても、今から楽しみです。

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