短期連載・坂口孝則の大企業脱藩日記(坂口孝則)

世間一般で“流通コンサルタント”という印象が強い私。みなさんはご存知のとおり、調達・購買の専門家として多方面で働いています。しかし、自動車メーカーを辞めてから、さまざまな模索時期がありました。当時の話は、さまざまなところで紹介しましたが、あまりホンネをまじえて述べたことはありません。そこで『大企業脱藩日記』と題し、現在までを短期連載としてメルマガに掲載することにしました。

【第12回~最終回】
さて、ここらへんで中間総括をしたいと思う。以前、私が会社員だったころのアドバイスでこういうものがあった。「会社員として出世したかったら、次を必ず守れ。1.速く歩くこと。2.誰にでも同じことを言うこと。3.会社のためを思って行動すること」。これは若い読者であったらメモしても良いと思う。

速く歩けば、虚像であっても仕事ができるひとと勘違いされる。そして、誰にでも同じことをいえば信頼が生まれる。誰かにはこういって、違う誰かには異なることを伝えれば不振が募る。そして、どんなに失敗をしても「会社のためを思ってやりました」といえば、それ以上の叱責ができる上司はいない。なるほどな、と思ってしまう至言であった。

では、独立したらどうだろうか。ここで中間的な総括として申せば、「1.どんな仕事であっても全力でやりなさい。2.常に新しいことをやりなさい。3.勉強し続けなさい」となるだろう。まず、1.だが、これはほんとうに大切だ。というのも、独立したら、お金がないのである。だから、どうしても、儲かる仕事に時間をかけがちだ。これはしかたがない。でも、理想論ではあるけれど、儲からない仕事が次に大きな仕事を運んでくるケースがよくある。しかも、予期せぬ形で。くだらない例かもしれないけれども、1万円で請け負った講演で、その数十倍のコンサルティングや集合研修が舞い込むケースがある。

そして、2.だ。自分が発信するものに、なんらかの新しさがないと、誰も読んでくれない、見てくれない。だから、そこには常に発想がなければいけない。新しかったら、すくなくとも見てくれるひとは多くなる。そして、多くなればそこから仕事につながる。たとえば、サプライチェーンの先端を解説する記事を私は日経ビジネスや東洋経済に書いている。そこから仕事につながるケースは多い。つながった仕事は、サプライチェーンの基礎をコンサルティングするものだ。ここに逆説がある。新しいものでひっかかっても、仕事は古いテーマなのだ。ただし、先端の内容を書いておかねば、そもそもひっかからない。

さらに3.は自己反省としても書いておこう。独立したら、常に勉強しておく必要がある。しかも全方位をだ。そうしないと、クライアントや受講生からの質問に返信できない。これといって手段はない。できる限り多くの書籍にあたったり、疑問に思ったものを調べ続けたりするしかない。よく「このテーマについて調べているんですが、買ったほうが良い文献はありますか」と訊いてくるひとがいる。答えは「全て買えばいい」だ。投げやりではなく、本気でいっている。私は気になったひとの全著作を買う、といったことをずっと続けている。それでもたったの数万円だ。手取り10万円ちょっとのころからこれを続けて、いろいろなひとに出会ってきた。

これまで、何人かにメディアのひとたちを紹介してきた。こういう番組に出たいとか、こういう媒体で書きたいとか。あるいは、こういうセミナー会社で登壇したいとか。でも、続けられるひとはきわめて少ない。ほとんどいないといってもいいほどだ。毎週のように記事を書いたり、企画を考え続けたり、発信し続けられるのは難しいようだ。

コツが一つある。それは常に「からっぽ」の「ネタ切れ」状態にしておくことだ。よく「そんなにネタがありますね」といわれる。違う。ネタは常にない。多くのひとはネタをストックするから、「ネタ切れ」なる状態が起きる。でも、常にネタがなければ「ネタ切れ」なる状態にはならない。これは逆説のようで、真実だ、と私は思う。私はひたすら、書きながら考えている。

私はもともと、権威への反抗、という形で登場した。そのとき、調達・購買の世界は、「現場だけを優先する実務者」と「使えない衒学知識を披瀝するひとたち」の二通りしかいなかった。つまり、現実主義者には「ばかやろう、もっと知識を得て調達・購買の地位を向上させろ」といいたかったし、カタカナ用語だけを振りかざす学者・コンサルタントには「実務に応用できない空論だけを述べるな」と批判したかった。だから私の位置は特殊で、だからそこに新しさがあったのだと思う。

ただ、自分でいうのはなんだけれども、自分が権威になってしまった感もある。権威は失墜するためにある。また、自分が先頭を走ったら、20代とか30代のひとたちが「俺もやってやるか」と書籍をばんばん出版して、むしろ私を批判するくらいの勢いのあるひとも出てくるかと思った。残念ながらまだ出てきていない。とりあえず40歳を前に、30冊の本を出す予定だ。この分野で、私以上の足あとを残すひとがいるかどうかはわからないが、まだ期待したい。そして、そういうひとが出てきたら、私はもっと遠くまで行っておこうと思う。

ところで、話を意図的にそらそうと思う。

結婚しているひとはわかると思うが、パートナーと長く付き合えば付き合うほど、あきらめが多くなっていく。いっても無駄だし、とか、やってあげても無駄だし……といった諦観が増えてくる。なぜだろうか。といっても、離婚するほどではない。発狂するほどの不満もない。しかし、である。おそらくそれは、小さな裏切りが重なったからだと思う。口にするほどでもない、たわいもない失望。相手が自分の思い通りに行動してくれなかった、ささやかな経験。それらがたまって、たまって、その一つひとつは微細なものであるにもかかわらず、心のなかには大きな何かがたまっていく。

これを仕事に置き換えたらどうだろう。会社員であれ、独立者であれ、おなじことだ。誰もがみな、仕事にあきらめをもっているように思う。「これは仕事だから」「もう、こういうもんだから」「上司はこういうひとだから」「変えようと思っても、変わんないから」……。きっと微細な何かが積もり積もった結果、こういう諦観を抱くにいたったのだろう。

しかし、私たちは昔はできていた。パートナーにたいしても期待をもっていたし、新人のときは誰だって仕事に希望をもっている。ならば、私たちができることはなんだろう。あえて抽象的に申せば、「信じきる」ことだろう。自分を騙し、信じきって”あげる”という高度な行為だろう。わざと信じきってあげる、という行為が逆説的に仕事を進める行動力を与えるだろう。それは独立してなんとか食っていくときに、諦めない精神力にもつながるだろう。会社員であれ、独立者であれ、そのあいだを自由に行き来できることこそが、ほんとうの自由というものではないだろうか。そしてそのときに、あえて、いまの自分の状況を「信じきる」ことさえできれば、なんとかなるに違いない。

いや、私はもはや、その可能性を信じることしかできない。

<おわり>

無料で最強の調達・購買教材を提供していますのでご覧ください

あわせて読みたい