ほんとうの調達・購買・資材理論(牧野直哉)

コストテーブル 6 コストテーブルのその先について

私が考えるコストテーブルの作成法をまとめると、次の通りになります。

1. コストテーブルを作成する対象(モノ・サービス)を決める
2. コストの決定に大きな影響を与えるファクターを見いだす(なるべく沢山)
3. ファクターに関する数値データを蓄積してゆく
4. 表計算ソフトに搭載された標準的な機能を用いて、様々な分析を行なってゆく
5. 蓄積結果をグラフ化する

さて、今回のお話はその先です。

次の様なグラフが作成されました。そして新規のアイテムの見積金額は緑印です。さて、これはコストテーブル的には妥当でしょうか。

<図をクリックすると、大きく表示されます>

緑の位置は、これまでの購入実績から導かれた近似曲線よりは上位です。しかし、周囲を見ると、さらに高額な実績もあり、逆に安価なものも存在します。

なにもかも、あれもこれもと、あらゆる条件が同じであれば、グラフ上に新たな点が表示されることはないですね。と、いうことは、今回の緑点については、価格的に高額なもの、そして安価なものとはどこかしらで、なんらかの差が有るわけです。その差を踏まえた上で、果たしてこの緑点が妥当なのかどうか。

私のコストテーブル作成では、できる限りいろいろなデータを蓄積することをオススメしています。これは、今回の様な例に際してもたらされる違い、差が明確になる可能性が、その蓄積されたデータによって高くなるためです。しかし一方で、バイヤーの責務とはコストテーブル作成ではありません。それでは、バイヤーの責務を、このコストテーブルを例にして示してみます。

● なぜ高いのか

次のグラフをご参照下さい。

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赤丸部分が、グラフ上に示された近似曲線よりも上位=高額であることが示されています。このような形でコストテーブルを示した場合、最初に行なうべきは、上記のグラフの赤丸部分についての妥当性の検証です。なぜ高いのか、を追求するのです。

今回例示しているグラフは、実際に私が実務で使用したものです。個々の見積書や、注文書、ベースとなっている仕様書や図面を見ていった場合の個別最適は、その都度に追求し、確保していました。しかし、個別最適を追求した結果をまとめて導かれたグラフ上に示されたものは、決して私に「納得」という満足を与える内容ではなかったのです。

実際に、このグラフを初めて作成した時、ずいぶんと釈然せず、気が重くなったものです。事実、グラフを作成してしばらくは、特になんのアクションも起こさずに捨て置いていました。納得は無くても、コストテーブルを作成したという事実は残っています。作成完了!との達成感は得ているわけです。実際にデータの蓄積を行なって、初めて分布図を表示するときは、かなりドキドキもします。

しかし、作成したことで導かれた全体最適にほど遠い状態は、その次のアクションを取る妨げになっていました。はっきり言ってしまえば、見たくない。なにか、これまでのバイヤーとして行なってきた一つ一つの出来事が否定されたとさえ感じていました。しかし、コストテーブルを作らなければ、このような状況であることもわからなかったし、そもそもバイヤーとして必要な価格への感度を養うことはできなかったのも歴然とした事実です。

ここで、決めたこと。それは、データの蓄積を継続し、分布図を見続けることです。そして、蓄積から導かれた、全体最適にはほど遠い状態を、少なくともこれからは起こさない。そして、近似曲線のレベルを下げる=全体のコストを下げるにはどうすれば良いのかを考えることにしたのです。結果を見て感じた違和感を、解消していくことが、すなわちバイヤーの職責であると考えたわけです。実際、分布図と、近似曲線を眺めていると、いろいろな問題意識が生じました。

<図をクリックすると、大きく表示されます>

上記はその一例です。

赤丸で囲んだ部分は、近似曲線レベルよりも高位に位置しています。この部分が、こうなっている理由を探すことにしました。様々なキーファクターを見ていく中で、いろいろな仮説が浮かんできます。

・ 価格決定された時期が近く、必要材料の市況が影響していないか
・ 分布図を作成する仕様以外に共通性はないか
・ 数量背景は影響していないか
・ 対象製品の設計担当は誰か
・ 対象製品の価格を決めた営業マン/バイヤーは誰か
・ 対象製品の使用先に何か共通点を見いだせないか

こういったことを一つ一つ確認してゆきます。すると、多くの場合、確信に近い理由を見いだすことができました。そして、理由を見いだせないアイテムは、価格に妥当性がないこともわかりました。妥当性がないとは、単純に2つのケースが想定されますね。高いのか、安いのか。安いと判断できる場合には、そのまま捨て置きます。下手に話を持ち出しても、さらに低い価格を見いだす理由が乏しいのです。

逆に、明らかに「高いな」と判断できる場合は、サプライヤーに対して、話をとことん蒸し返しました。新たなネタを創出したことになります。

このようなアクションの継続は、最終的に一旦描いた近似曲線全体を下げることに繋がります。私は、このような活動を続けながら、こんなことを感じました。求めるものは全体最適だけれども、仮に全体最適でも満足してはダメなんじゃないかと。私がこれまで作成したコストテーブルに、気味が悪いほどにある傾きが表す線上に分布が見られたケースがありました。比較的、市場でのサプライヤー側の優位性が高く、価格のコントロールをサプライヤーに委ねざるを得ない製品でした。で、あるのなら、逆に全体最適となっていないアイテムは、価格決定の主導権を握れる可能性が高く、故にバイヤーの裁量に依存しているといえるわけです。

今回まで6回に渡ってのコストテーブル論。コストテーブル論に関する私の考えは、

① バイヤーにとって大きな責務である価格決定については、コストテーブルを作ることで、バイヤーにとって重要な価格への感度を養うことができる

② コストテーブルの問題点は、それを次なるアクションの基点とすることで、あらたなネタとなる。

③ コストテーブルは、バイヤーのあらゆるアクションのスタートとなる

の3点です。本論の冒頭(コストテーブル論第一回、27号掲載)で述べたコストテーブル原理主義の問題点。それは、コストテーブルを絶対視してしまうことです。市場環境は、その時々で変化しています。そんな中で、コストが唯一絶対に決まるということが、既に問題です。確かに価格は決まっていた方が、原価管理的にも、バイヤーの業務的にも楽です。しかし、価格は決まっているのでなく、決まっていると見なすモノで、本来的には都度異なるもの。その前提に立ったとき、コストテーブルを絶対視することはできません。コストテーブルは、ゴールでなく、バイヤーのあらゆる業務の基点となるべきモノなのです。

<終わり、次回は交渉論をお送りします>

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