バイヤー視点による日米に存在する時差短縮問題(牧野直哉)
先日の米国出張での話。日本にも法人を持つサプライヤーの本社工場への訪問で、目的は品質問題の解消です。
日本の工場には過去何度も訪れたことがありました。外資系にしては日本創立が古く、現場には年季の入った機械が現役でがんばっています。外資系とは名ばかりで、実際は国内によくみられる部品メーカーの様相です。
具体的な理由はわかりませんが、過去に日本で生産していた製品が、ここ10年ほどでかなり多く米国工場へと生産移管されました。今回問題となっているのは、日本から生産移管した製品。全く同じ型式で、10年以上同じ製品を買い続けているにもかかわらず、生産場所が変わって、品質も変わった、それも悪くという、良くあるお話です。わざわざ現地へ出向くことにしたのは、定常的な品質問題に加えて、納期問題も合わせ発生したこと。バイヤーにとっては、踏んだり蹴ったりです。
訪問先へ到着して現場を見学。驚きました。多くの構成部品は、精密機械加工品です。生産設備の9割以上が日本製でした。そして、私が知る限りにおいて、かなり新しい設備でもありました。
各ショップには、「KAIZEN」や「5S」に関する標語、目標が、所狭しと並んでいました。実際、私が過去に見た数十の米国の工場の中でも、掃除や整理整頓の徹底ぶりではナンバーワンです。
そんな現場を見ながら、私は感心することもソコソコに、だんだんと気が滅入ってゆきました。工場レイアウトにしても、マテハンにも差したる問題を見いだすことはできません。設備は素晴らしい、整理整頓は行き届いている(ようにみえる)。しかし、日本の品質には及ばない。いったいどうして……
広大な工場敷地を一回りすると、少し早いランチです。軽食が会議室の端のテーブルに準備されました。それらを皿に取り、普段はメールと電話会議でしかコミュニケーションのとれないサプライヤーの担当者と、いろいろな話をしました。私は、工場の設備の充実ぶりと、整理整頓が行き届いた工場を褒めました。そして、最後に一言。これで、なぜ品質が伴わないんでしょうね、とても不思議です、と付け加えました。
ちょっと無粋だったかもしれません。しかし、その担当者は、笑顔を絶やすことなく、品質問題について想定される原因を説明してくれました。リーマンショックの後、あまりに大幅な売上減少の影響で、大量に人員整理を行なったこと。その後の景気回復の緩慢さは、社員として人を雇い入れることを難しくしたこと。故に、能力的には劣る人間で作業を行なわざるを得ないショップが多いこと。できれば、私の勤務先から現場作業改善指導をして欲しいこと……食事の時には、立ち話でしたが、ほぼ同じ話を午後からの打ち合わせでも聞くことができました。理由はすべて「人」の話だったのです。
実際の現場は、日本製の設備を使い、日本で生まれた現場での様々な管理手法を実践しているかに見えます。しかし、残念ながら魂が伴っていない。ISM総会でも、製造業の時代は終わったかのような発言がありました。しかし、航空宇宙産業や、パソコンのCPU等、米国製造業に大きく優位性を持つ製品もあるわけです。この二つの相反する状態を、どのように理解すればいいのか。そんなことを考え始めてしまったのです。いや、これまでも考えていましたが、実際にサプライヤーを目の前にして、問題意識のままに捨て置けない状態になったしまったわけです。
現時点で、訪問したメーカーの人の問題についての答えを見いだすことはできていません。ただ、一つ気づいたことがあります。そのメーカーの抱える問題の原因の一つが、サプライヤーの創業者が持つ、日本への畏敬の念ではないかということです。
最近、英文で書かれた製造・サプライチェーン分野でのケーススタディを読むことが多くなりました。私が実際に読んだこの分野におけるケーススタディの9割は、そもそものネタ元は日本です。散々読み進めたら、ネタ元は以前の勤務先の事例だった、そんなこともありました。しかし、それは最後まで読み進めないとわかりません。理由は、最初はいかにも米国流の手法と見紛うのです。冒頭に例示したKAIZENや5Sにしても、時に似てもにつかない名称で呼ばれている。必ずITシステムを伴った三文字マネジメント名が登場します。そして、最後まで行くと、実際に取材をしたメーカー名や工場が登場するわけです。あー、あれか、と思うこともしばしばです。
冒頭の部分、正直とっても読みづらいし、わかりにくいものです。しかし、きっとアメリカ人にはわかりやすいんでしょう。従来からある手法そのままでは、コンサルタントの商売にもなりませんしね。さも新しいと見せかける。そして、アメリカ人に理解しやすく表現方法を変えてもいるわけです。
今回訪問したサプライヤー。米国の次に法人を立ち上げたのは、英国、カナダ、そして日本の順番だったそうです。工場は米国の次に日本だった。創業者の日本のものづくりに対する姿勢への畏敬の念が強かった表れです。製造現場では、日本を手本とするマネジメントを実践していることが、随所に見て取ることができます。しかし、結果は残念ながら内実がともなっていない。日本のマネジメントは、日本人が行ってきたもので、国民性に大きく依存しているわけですね。それをアメリカ人にそのまま適用すること自体が難しいわけです。
今回の例に限らず、なかなかマネジメントのほんとうの意味を理解し、実行することは難しい。そんなことを考えていると、今の日本にも同じ問題が存在しているのではないだろうか、との疑問を持ちました。
戦後日本が、いろいろな部分でアメリカから習った部分が多いのは事実でしょう。しかし、それは政治や行政、先端技術分野、そして国民生活の面が多く、ビジネスプロセスに関する部分は、さほど影響を受けていないと考えるのです。
もちろん、影響を受けた部分はゼロではありません。あらたなマネジメント手法が導入された部分もあるでしょう。しかし、それはある一定の時間を費やして、徐々に浸透してゆきます。浸透する時間で、日本流にアレンジされ、国民性にフィットするために必要な時間が確保されたわけです。
私が始めてアメリカへ行った頃、今のアメリカの姿は、10年後の日本の姿だと言われていました。事実、消費文化の側面における、郊外・大規模型小売店に代表される業態は、10年を待たずにその通りになりました。そして最近、10年が4年へと短くなったといわれています。それだけ、日本とアメリカの文化・仕組み的な時差が短くなっているのです。これには、インターネットをベースにしたIT技術の発展による、情報伝達が容易になったことが大きく影響しています。
そして、ビジネスプロセス・マネジメントも「日本的経営」とかつて賛美された分野に、多量の情報が押し寄せています。英語という語学の壁を越えればリアルタイムで多くの情報に触れることができます。アメリカ流の経営手法の名前を知る人は多くなりました。しかし、ほんとうに魂を理解して実践できているかどうかは未知数です。なぜか。それは、本質を理解するために噛み砕いたり、理解したりするために、日米の異なる行動・思考様式への言及が行われないからです。生まれながらにして持っている日本人としての特性を無視して、異なる国民性や文化的基盤を持つ人間が編み出したものを採用するのは難しいはずなのです。まず、基本的な部分での違いに目を向ける必要があると感じたのです。
問題は、これをどのように今回訪問したサプライヤーへ伝えるのか。私が初めて発見したことではないはずです。今回のサプライヤーは、幸いにして日本のものづくりに対して畏敬の念をもっている会社です。難題ですが、その畏敬の念を当方からの影響力の拡大へと繋げる手立てを考えています。一筋縄では解決しないけど、かならず答えを見出します。