バック・トゥ・ザ・フューチャーと日本そしてバイヤー(牧野直哉)

バック・トゥ・ザ・フューチャーの三作品が、今月ブルーレイディスクで発売されます。最初の作品が公開されて既に25年が経過しているんですね。当時はサントラを含めヒットして、話題にもなった作品です。ご覧になったことがある方も多いはずです。

劇中にこんな台詞が登場します。登場人物は、主人公でマイケルJフォックス扮する1985年を生きるマーティー。そして親友である1955年を生きるドク。1985年に作られたタイムマシンに日本製の部品が多用されているのを見たドクが、

「日本製か……」

と毒づきます。すると、マーティーは

「日本製?かっこいい(Cool)じゃないか」

と返すシーンです。1955年を生きるアメリカ人には、日本製品=格好良いなんてこと、なかったんでしょうね。きっと粗悪品の代名詞だったのでしょう。現代日本を生きる我々が感じる、あの国やこの国の製品と同じような感覚。ちなみに、1985年を生きるマーティーのあこがれの車は、トヨタのハイラックスサーフです。電子部品のみならず、いろいろな製品で日本が「格好良い」時代だったわけです。

シリーズの中では、1985年を起点として、30年前の1955年。そして、30年後の2015年も描かれています。映画のシリーズでは、これ以外の時代も描かれていますが、3つの年、1955年、1985年、2015年の日本、そしてバイヤーについて考えてみます。

映画の舞台になった1985年とは、日本がまさにバブル景気へと邁進(?)している時期でした。日本的経営や、生産システムがもてはやされていた時代です。21世紀へ向けたこれからは日本の時代だなんてことも言われていました。日本製が格好良い、という台詞に象徴されるように、諸外国からは、憧れを持ち、羨望のまなざしで見られていたわけです。

ところが日本は、バブル崩壊後、長い不況に突入します。後に「失われた10年」と語られる時代です。最近では期間も20年へと延びています。私は、この長い不況の語られ方について大きな違和感を持っています。この「失われた」という言い方そのものが、不況を長期化している諸悪の根源ではないかとすら捉えています。

「失われた10年」といわれた時代、いったい何が失われたのでしょうか。

冒頭に例示した映画の1シーン。同じ頃に公開された映画が最近リメイクされました。ハリウッドスターの二世が主役で日本でも話題になりました。オリジナル版とリメイク版で異なるのが、主人公が取り組む武道の違いです。オリジナルは空手で、リメイク版は少林寺拳法。アメリカで今、どういった国が興味を持って見られるのかを顕著に表しています。そう、失われたものの一つ目は、諸外国の日本に対する興味です。

そして、かつて「格好良い」賞賛された日本製品もどうでしょう。携帯電話に代表される特別な日本市場向けだけの仕様は「ガラパゴス化」といわれています。おサイフケータイなどは確かに便利な機能です。でも、東京や大都市以外ではどうなのかな、そして世界の国ではどうなんでしょう。あれば便利だろうとは思います。携帯電話に限らず、薄型テレビやDVDプレーヤーは、新興国と呼ばれる国での日本メーカーの劣勢が伝えられています。日本製品に向けられていた、安価で品質も良く格好良いとの憧れや羨望のまなざし、賞賛も失われてしまった。故に、製品が売れなくなった訳です。

日本や、日本製品に対する「興味」や「賞賛」が失われたこと。これが大きな問題なのは、失ったものを日本国内では実感できないことです。ガラパゴス化と揶揄される日本向けの特別な仕様にしても、日本にいる限りにおいては、とても便利です。しかし、日本国内で便利であるが故に、新興国のいわゆるボリュームゾーンへの取り組みが遅れているのです。それは如実に新興国での日本製品のシェアに現れています。

なぜ日本製品への「興味」や「賞賛」が失われたのでしょうか。

日本の停滞を語る際に「変化への対応」ができていないとはよく言われます。自分達が変われていないというわけですね。でもこれ、ほんとうでしょうか。ほんとうに日本は、日本人は10年も20年も変っていないのでしょうか。

私が資材調達部門へ異動したのは1997年夏のことです。それから13年。いろいろなことが変りました。例えば、サプライヤーを測るためのQCDを思い浮かべても、いろいろなことが変更されています。一言でいえば厳しくなりました。そして、その厳しさの裏返しでしょうか。いろいろな企業の不祥事も起きています。そして、あらゆることがより一層厳しくなっています。私の感覚では、変っていないなんてとんでもない!沢山変化は起きています。だって、皆さんが読まれているこのメルマガにしても、バブル期は個人が行なうにはハードルが高かったはずです。ところが今では、私の様なフツーのサラリーマンがメルマガを発行できている。この環境変化は非常に大きいですよね。

失われた××年なんて、なにか勝手に自然と大事なものが失われた様に表現されています。しかし、バブル崩壊以前も、失われたと称される時代も、そして今も変らず人間が何かを行なっています。要は、失われたのではなく、自分達が失ったんです。自分達が行なってきた変化によって、結果がまずい方向へと行ってしまった。そういう自覚を日本人は持つ必要があるのです。

こういう言い方をするとですね、自分達ではなく、政治が悪いとか、経営者が悪いとかなっちゃう。そうじゃなくて、失われたと称される時代に、日本人全体が「失われた」に象徴される他責の論理を、言われるがままに受入れてしまったこと、そのものが諸悪の根源に思えるのです。

失われた……って言われて嘆くのは簡単ですね。そして、自分の普段の生活は、なんだかわからないけど、あらゆる事が厳しくなっています。そしてまた嘆く……そんな悪循環から自分を遠ざけることが今、必要なのではないかと考えるわけです。

バック・トゥ・ザ・フューチャーで、表現される2015年。実は、二つの種類があります。主人公のマーティーが、裕福で幸福な生活を送っているケースと、真逆のケースです。現代を生きる我々には、2015年まであと4年と少しの時間が残されています。私は現在、過去特にバブル期以降に自社の都合・利益のためだけに行なった様々な決定を今、洗い出しています。いろいろな事が厳しくなりましたが、法律で規制されている部分については、それがたとえ悪法であっても、自社の都合で見直すことはできません。しかし、自社の利益があまりにも小さくて、サプライヤーの皆さんの負担が理不尽に大きな事を探しているのです。

我々に今、タイムマシーンはありません。今を生ながら、忌々しい過去との清算を、一つずつ行なっていくことしか「失われた××年」と手を切る手段が見あたらないのです。

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