バイヤーが遵守しなければならない法律について(牧野直哉)

「もう、今日限りで取引をやめたい」

突然の来訪者にいきなり告げられました。みるからに、怒り心頭で震えんばかりです。一方、そう告げられた担当バイヤーである私は、いったい何がどうしてこうなってしまったのかが、さっぱり分かりません。許せない出来事があったんだろうな、ということは容易に想像がつきます。ただ、突然取引をやめてもらっては困ります。だからといって、こっちの都合で困る!と言ったところで、顧客が困る事態への配慮を失わせるくらいの怒りを納めることには繋がりません。

私は、そんな申し出をしたサプライヤーの担当者を、とりあえず別室へ連れてゆきました。そして、何がどうあってそのように思うに至ったのかを、聞いてみることにしました。すると、ことの経緯は次のようなものでした。

・ 納入した製品の受領書を納入場所に置き忘れた
・ 車に戻ってから気がついて、そのまま車で納入場所へ向かった
・ 納入場所には駐車スペースが無かった
・ ほんの少しの時間なので、駐車禁止のスペースに車を止めて、受領書を取りに行った
・ 車に戻ると「どこに止めてんだ!」と大きな声で怒鳴られた
・ 一分足らずの、ほんの少しの時間なのに、そこまで怒鳴ることはないだろう

私は、まさに怒鳴られたあとにお会いして、話をお聴きしたわけです。お話を伺って、とりあえず気が済んだのか、取引は継続していただきました。

一定以上の会社規模のバイヤーにとって、もっとも厳格に遵守しなければならない法律の一つに、通称「下請法」があります。正式には「下請代金遅延等防止法」です。制定されたのは昭和31年6月、それから10回の改正を経て今の姿になっています。真摯に遵守を志向すればするほどに、この法律は悩ましいな、と感じてしまいます。その理由は、多くの場面で判断に迷うケースが多いためです。

先日、私が出席した下請法の研修会でも、こんな場面がありました。

公正取引委員会の担当者を招いての研修会です。会場にはほぼ満員に近い3百名程の聴衆が集まっていました。

一般的な下請法に関する解説の後、最近のトピックスに話題が移りました。紹介された内容の一つになかなか興味深い数字があるので、そのまま記したいと思います。

文書による調査の発送数:23万通
立ち入り検査を行った親事業者:1052社
立ち入り検査の結果、改善指導を行った親事業者:977社
指導にともなう遅延損害利息の支払額:約4億円

立ち入り検査を受けた企業の実に93%が改善・指導を受けています。この数字を見ると、自ら勤務する企業が、立ち入られた場合、どんな結果を予想されますか。100社中改善指導を受ける93社になるのか、それとも下請法を遵守する7社なのか。私は、日々の業務の中で遵守しているつもりです。でも、実際に監査があったら、7社の側になる自信はありません。

私は、法律を遵守する、もしくは仮に法の網の目をくぐるとしても、まず法律を正しく理解することが必要だと考えています。一方、分かりやすい法律が無いのも事実です。実際、下請法でも判断に迷うことが多くあります。同じく下請法の研修会で、最近のトピックスとして、次のような事例が紹介されていました。

最近、新聞紙上を賑わす調達・購買関連の話題と言えば、ズバリ「取引先数の削減」です。大手電機メーカーが昨年、取引先数を半減させると宣言しました。海外調達比率の向上目指す!と宣言する大手企業の記事の中にも、場合によっては、という注意書き付で取引先の削減へ言及したり、リストラの一環で、自社の依存からの脱却をサプライヤーに求めていたりします。そんなトレンドによるものでしょうか、最近の下請け企業から公正取引委員会への相談内容で一番多いものが、取引停止に関する内容なんだそうです。顧客から突然、取引の停止を通告されたがどうすればいいか、というものです。

そんなトピックス紹介の後、出席者の一人から質問がありました。質問の主旨は、取引停止を行う場合の適切な事前告知の時期に関する内容です。予めどの程度の期間が必要なのか、との質問でした。

読者の皆様は既にご想像いただいていると存じますが、明確な数値による期間の回答はありませんでした。適切な猶予期間を設けて、とのことです。適切さとは、それぞれ事業内容によっても異なるからなのでしょう。かなり執拗に質問を続けていましたが、最後まで明確な数値での回答が行われませんでした。

先ほどご紹介した23万通も発送される文書での調査。皆様は調査票をご覧になったことがありますか。私は、これまで勤務してきた会社の中に、大手企業からすると下請法対象となる企業があったので、現物を何度も目にしています。一見、何事だろう?と思えるくらいに、とても仰々しいものです。調査方法は、具体的に発注側を特定した形で行われます。なので、同じ時期に××社、○○社、△△社といった形で何通も同じ書状が下請企業に届くわけです。そして回答は、一般論でなく、指定された企業との取引について行います。

ここで、冒頭の様なケースと、下請法の遵守状況の調査を合わせて考えてみます。理由はどうあれ、自らの立ち振る舞いを罵倒され、怒り心頭で帰社します。怒りもさめやらぬ中で、調査用紙が郵送されてきます。どんな風に回答するでしょうか。きっと、感情に流された回答をしますね。親企業の対応は適切でないとの立場で回答の作成が行われることが容易に想像できます。もう、取引をやめても良いと思った顧客です。調査文書には、具体的な回答者は親企業にはわかりません、とも明記されています。

下請法が制定された昭和30年代の初頭は、昭和20年代の傾斜生産方式によって力をつけた重厚長大型大企業と、中小企業の格差が注目され始めた時代です。当時の文献によれば、すでに格差の是正が謳われ、この下請法であり、共同組合の設立による共同調達の推進へと繋がってゆく原点とも言える時期です。大企業が強者で、中小企業が弱者であるとの構図が形作られた時期でもあります。

しかし、この有料マガジンで何度も紹介しているこの資料によれば、日本の大企業は、新興国の競合メーカーと比べて規模に劣る部分があること、それがグローバルマーケットでの購買力の差になり、製品の価格競争力の差になると報告されています。先に行われた参議院議員選挙においても、法人税を下げることを「大企業優遇」として糾弾する政党がありました。しかし、日本では大企業でも、グローバルなマーケットでは大企業ではなくなりつつある事実を御存知なのかな、と勘ぐりたくなります。ほんとうにそのように思っているのですか、と。

幸いなことに、私自身下請法の監査を受けた経験はありません。しかし、他の公的な機関からの監査と同じように、対応には大変な苦労がともなうようですね。バイヤーが、本来の職責を果たすためには、コンプライアンスにも配慮して業務の遂行を行うことは当然です。しかし、解釈によって見解の大きく異なる法律への対応に、時間を割くことができるバイヤーはどれほどいるでしょうか。曖昧なルールに縛られた現場ほど混乱するものです。まして、一時の感情に縛られた適切かどうかという基準の曖昧なアンケートの回答によって、監査をする、しないが決定されるのは、どうなのかな、と考えてしまいます。

私が尊敬するバイヤーはこう言いました。下請法へのもっとも的確な対処法は、下請法対象メーカーと取引をしないことである、と。これも、ある意味では正しいですね。確かに、下請法対象となるサプライヤーと取引を行わなければ、そのような法律に惑わされる事もないわけです。しかし、自社に必要なサプライヤーを目の前にして、資本金が理由で取引をしないと判断できるバイヤーがどれほどいるでしょう。

正直に書きます。どうしたら、現在の下請法って変えられるんでしょうか。いろいろな事へ思いを巡らせても、存在意義があるのかな、というのが率直なところなんです。日本国内で、大企業対中小企業との構図でなにかを語っても、今双方が抱える問題を抜本的には解決しない、とは思いませんか。

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