外交にみる交渉の本質(牧野直哉)

今回は、ある国家間の最高指導者の間で行われた10分間の非公式会談について、バイヤー的な視点で論じます。読者のみなさんは、是非とも、今回起こっている事態は、自らにも起こりうることを意識 してください。そして、一連の経緯を思い起こし、これからの推移を見守っていただきたいと思います。なお、この話はその会談で話し合われた主旨を問題にはしません。テレビや新聞での報道から、バイヤー視点でその 会談について考察を加えるものです。

●非公式という体裁と、10分という時間

今回の10分間の非公式会談は、晩餐会での席次を隣同士に設定され実現しました。夕食の中での10分間です。その場での交渉(議論でしょうか)がどのように推移したか詳細は伝えられていません。ここでは体裁と時間を取り上げます。

まず「非公式」という体裁です。一方側から正式な会談を申し入れたにもかかわらず、スケジュールの調整がつかないことを理由に実現に至りませんでした。そして、夕食の席を隣にするからそこで少し話をしてね、といわれたわけです。これは明らかに会談を申し込まれた側 から「今は話をすべきタイミングではない」と明断されているわけです。話をしても、今のタイミングでは確固たる成果を得ることができないと。もしかすると、既に会談をするに値しない相手と見なされている可能性もあります。そして、 さらにここへ至る経緯を考えてみます。

会談を受け入れられた側は、闇雲に会談を断ったわけではありません。これまでの会談を申し入れた側の発言、状況分析を行って辞退、いや今回は拒絶をおこなっているといえます。過去の経緯としては、

・両者間に存在した確かな合意
・一方の都合(今回は会談を申し入れた側)によって、その合意がくつがえされた
・くつがえしただけで代案が提示できない

会談開催を要請された側からすれば、過去の合意を一方的に反故にしたともとれる一連の経緯が存在します。そして、会談を要請した側は代案の準備もできていない。そんな状況での会談開催申し入れです。今回の会談は、国の最高指導者の間でのものです。われわれバイヤーにしたら、資材部長、調達部長、もしかすると社長同士の交渉に置き換えられるかもしれません。バイヤーにとってみれば、サプライヤーがいったん合意したコスト削減を、サプライヤー側の都合によって一方的にやらない、といってきたようなものです。そして対案もない。自分が担当するサプライヤーでそんなことが起こっている最中、上位者との面談要請を受入れることができるでしょうか。今回、会談の申し入れが断られたことは当然の帰結といえます。非公式で夕食の席上で隣同士に座らせてもらえたのは、いまだ正式に話をする段階にはないことを示唆しながらも、最低限のメンツを確保する会談を要請された側の配慮と考えることができるでしょう。

そして非公式の持つ唯一、そして最大の意味とは、話し合われた内容によっていかなる責任も生まないことです。それは会談を申し入れた側の当事者の会談後の発言にみてとることができます。「一定の理解が得られたとの手応え」とは、かなり具体性を欠いたものです。非公式として設定された以上、具体的なことは何一つ言えないわけです。みなさんにもし部下や後輩がおられたと仮定します。サプライヤーとの面談の報告で、このような表記を見たり、聞いたらどのように考えるでしょうか。わたしだったら「で?どうなったの?」って聞くでしょう。そのままやり過ごせる言葉ではないのです。 しかし今回は非公式であるがゆえに、話し合った内容に関する表現がこのような具体性のない言葉になるわけです。

私は、非公式の会合を否定しません。当然、そのような場は持たれますし、非公式であるが故に、意義を持つケースがあることも理解しています。ただ、非公式であるが故に、実質的に何かが決まったとしても、その決定は公式な場にて行われたとされるべきです。今回の一連の報道における、いったい何が決まったのかわからない報道は、中身があったかどうか別にして、何かがあったことにはできないという非公式という言葉が本来持ち得ている意味が影響しています。 従い、非公式会談となった時点で、会談内容そのものを云々するよりも、今回のテーマの経緯とこれからの推移の中で、いかに有効な場となっているかどうかが重要となるのです。

次に10分という時間です。

私は、交渉にとって時間とは非常に大きな意味を持つと考えています。自分にやっかいな問題を持ちかけられると想定される場合、一番簡単で最大の効果をもたらす対応は、話し合いの席につかないことです。そして、なんらかの提案を相手に聞いてもらう、のんでもらう立場にあるときは、時間の制限は自分からは設けるべきではありません。無用な妥協を生みかねません。交渉に関する時間という問題を考えるときに、私には忘れることができない2つのエピソードがあります。

一つ目は、香港で行われたある日系企業との交渉です。その場合、私は売り手でした。ある設備機器を売り込みを行っており、価格の最終交渉です。朝一番から交渉がおこなわれ、午後には日本へ戻る予定にしていました。事前にコストと、これまでのあらゆる商談でぶつかっていたメーカーとの競合状況を分析して最終回答、最低限確保しなければならない数値をもって交渉へ望みました。私の使命は、お客様に 注文を決定していただくことでした。

交渉の結果、お客様に注文を決定していただきました。金額は、事前に想定した最低レベルでした。じつは、交渉の最中に何度もパソコンの時間表示が気になっていました。今書きながらその状況を思い出しても、後悔の念がよぎります。なぜ、午後に帰国 便を設定してしまったのだろう。時間を気にしながらの交渉を行ってしまったのだろう。そんな想いが今更ながらによみがえってきます。一円でも高い金額で仕事をとるための最大限の努力をしただろうかという疑問は拭えません。私はその交渉以降、交渉にとってもつ時間の大きな意味をかみしめながら仕事をおこなっています。

そしてもう一つ、これは中国での交渉です。相手は、交渉巧者といわれる中国人で、私はやはり売り手の立場でした。日本人が沈黙がもたらす気まずさに敏感であるとの前提があるからでしょうか、とにかく何か問題にぶつかると黙ってしまうのです。その交渉では、中国語の巧みな駐在員が当方の交渉の主体でした。13:00から開始された交渉がいっこうに終わる気配がありません。それも侃々諤々の議論がおこなわれている訳ではないのです。交渉時間の90%は沈黙です。相手が黙れば、こちらも負けじと沈黙を保ちます。私の人生で2番目に気まずい場面でした。

このとき、私が印象的だったのは、同行した駐在員の態度です。何時間でもやってやる!といった穏やかではありますが気力がみなぎっていました。疲れなど微塵も感じさせないアグレッシブな沈黙です。話は遅々として進まずに、窓の外はどんどん暗くなってきます。そして普通であれば夕食の時間になりましたが、どちらも「そろそろ……」なんて言い出しません。双方が資料に目を落とすことはあっても過ぎ去った時間の大半は沈黙です。

結局、その交渉が終了したのは翌日の午前2:00でした。相手側が切り出した質問に端を発した話し合いで決着です。実質の交渉時間は一時間もありません。しかしトータルではなんと13時間です。後で聞いた話では、その交渉相手はいつもこうなんだそうです。日本人が時間に正確で あり、沈黙を嫌うとの点をついた対応と思っているらしい、そんな風に駐在員は笑っていました。私は、夜中に飲んだぬるいビールの味とともに、その駐在員が中国語だけでなく、交渉巧者でもあったこと、そして交渉の本質を見いだした思いでした。

こんなエピソードを振り返るまでもなく、いったい10分でどんな話ができるのかといった点も見逃せません。提示された案を了承する、もしくは否定する、そういった意思確認だけであれば、10分という時間でも十分かもしれません。しかし、今回は明確な代案も提示できている状況ではないのです。 会談そのもので成果があったとは到底思えないのです。そして今回の会談は通訳を介してでした。通常のコミュニケーションよりも時間が必要なはずです。

●交渉の前と後

この非公式会談の後、会談開催を要請された側の実務担当者の4月中の要請した国への訪問を取りやめたとの報道がありました。

交渉とは、明鏡国語辞典によるとこのような語彙になります。

こう‐しょう【交渉】
[類語分類]関係/なかだち

①〘他サ変〙取り決めをするために、相手と話し合うこと。「適正な値段[処分の撤回]を─する」「─がまとまる」「団体─」
②人と人との交わり。かかわりあい。関係。「没─」
明鏡国語辞典 (C) Taishukan 2002-2006より引用

これはどうみても、会談開催を要請された側が取り決めをおこなう段階にはないと判断されたといわざるをえません。会談開催を申し入れた側がまず確固たる案を提示しろ!といわんばかりです。そして、現在行われている報道を見ても、提示されている案にいろいろなところから横やりが入っています。未だ検討に値する案が固まっていないのは明らかです。

なぜ、このような状況に陥ってしまったのでしょうか。

交渉とは、その当事者となる場合、実際に交渉相手と話をする場面だけを想定するだけでは事足りないものです。交渉へ至る経過、そして交渉結果よって来す影響を見据えないと成り立たないし、まして自分が満足する結果を導くことはできません。したがい、交渉には交渉その場で の弁舌のみならず、事前の準備であり、準備内容を決める自分のスタンス、さらには結果を見通す能力が重要なのです。今回テーマにした内容を考える時、私は今回の一連 経緯の中で、最高指導者による、冒頭に近い部分での発言にその原因を見いだしています。私はその発言内容を否定するのものではありません。その発言によってもたらされるであろう影響への見通しが甘かったのは否めません。 果たして勝算を持っていたのかどうか疑問です。バイヤーとして数多くの交渉当事者となっていえること、それは交渉に起死回生はないし、想像に難しい結果をえることはできない、この2点です。私は一介のバイヤーであり、国家間の交渉事には、さらにいろいろな点への配慮が必要でしょう。しかし、交渉事のセオリーは変わらないはずです。今回のテーマに関し、私は明るい見通しを持つことはできません。 今となっては、最終回の逆転ホームランがあることをただ願うばかりです。そして、当事者となった場合、交渉に「願い」や「期待」を根拠なくもってはならないことを肝に銘じています。

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