テレビで言えなかったこと(坂口孝則)
・テレビという規制、自己メディアという自由
先日、TV出演を果たした私ですが、そのときに大幅カットされてしまった内容をお話したいと思います。
いくつもの「危険な」話がカットされました。そのなかでも、もっともみなさんに興味があるのは「外食」のことではないかと思います。食に関する話はたくさんあるものの、もっとも衝撃的な画像だったのは、「ビールの中ジョッキと大ジョッキに入る容量がほとんど同じ」ということでした。
ご存じの方もいらっしゃるでしょうか。中ジョッキは代表的なものに、300ml、435ml、450ml、500ml、という容量があります。同じ中ジョッキといっても、たくさん種類があるのですよね。だから、ここがミソになります。
良心的な店が500円で450mlの中ジョッキを提供している場合もあり、一方、あまり良心的ではない店が400円で300mlの中ジョッキを提供しているところがあるわけです。価格だけを比べたら後者のほうが良さそうに見えますが、容量を確認すれば前者のほうが優れていることに気づきます。
さらに、です。悪質な店では、中ジョッキと大ジョッキの容量もほとんど変わりません。なかにはグラスと中ジョッキの容量がほとんど変わらないところもあるくらいです。TVのスタッフとは「衝撃的な映像」でそのことを証明した私でしたが、やはりそのようなことは公共の電波に乗せることはできないのですね。そのような「裏側」のネタは、あっけなくカットという目に遭いました。
みなさん、一度居酒屋に行ったら確かめて見てください。グラスと中ジョッキと大ジョッキ。その三つに、水か何かを入れてみて、どの程度の容量が変わるものかを。価格と比較して、ほんとうに「大ジョッキ」にお金を支払う価値があるのかを。
まあ、そんなこと言ったら普通はスポンサー的にダメですよね。この点は反省しているものの、このメルマガの読者のみなさまにはお伝えしておきましょう。
ちなみに、居酒屋によっては大ジョッキに「泡をたくさん入れるよう」に店員に指導しているところもあるのですよ。これでは何のための「大ジョッキ」かわかりません。まあ、そういう商売もあるということなのでしょう。
しかし、私はメディアの不自由を延べたいわけではありません。メディアにはスポンサーもいますし、ビジネスですから、その程度の制約はしかたがない。そういう大人の見識くらいは、私は持ち合わせています。
ただ、やはりそれでも自由に述べる場は確保しておきたい。そう私は思うのです。おそらく、現代でそれを実現しようと思えば、自己メディアしかないのだろうと考えています。
自分だけのメディア、しかも、購読者もわかっているメディア。それはこの有料マガジンの「ほんとうの調達・購買・資材理論」にほかなりません。
もちろん、私は自由に書いているように見えて、読者のみなさまに愉しんでもらえるように書いています。その「読者が愉しいこと」と「自分が言いたいこと」が合致するであろうことを表現するために、この「ほんとうの調達・購買・資材理論」がある、と考えているのです。
調達・購買領域で、もしかすると私以外の誰かも、このような有料メルマガを作ってみたいと思っているかもしれません(いないかな)。もしいらっしゃれば、それは応援したい。なぜならそれは、読者を愉しませるだけではなく、執筆者自身にとっても自由をもたらす場になるのですから。