お金持ちになる方法(坂口孝則)

・確実にお金持ちになる方法はあるのか

「お金持ちになるためにはどうすればいいだろう」

こんな簡単な疑問が、ずっと人々の心を離しませんでした。

お金持ちになる方法など、調達・購買とは関係がありません。こんなことを書いて良いのでしょうか。良いのです。このマガジンは、通常では書くことができない内容を書こうとしています。また、調達・購買とは「お金」という共通点があるので、お許しください。

「お金持ちになるためにはどうすればいいだろう」という疑問についてでした。

その方法を指南するという本やセミナー、あるいは教えが、まるで預言のように流布しています。たとえば、有望株を買うことによって財産を築くという方法です。あるいは、FXのような為替差益を得ようとするもの。また、テクニカル分析によって、金融商品の 隠れた暗号を解こうとするものもあります。ただ、残念ながら、このような手法で「確実に」お金持ちになれるかというと、そんなことはありえません。インデックスのような世界分散投資に勝る投資手法は無いと、それは 数学的に証明されています。ただ、インデックス投資は、短期的なリターンはあまり望めません。おそらくこれは一攫千金を夢見る人からすると、物足りなく映るでしょう。やはり一晩で数百万円、あるいは数千万円を得た、 という物語が人間の心を惹きつけるからです。しかし、そのようなことは稀に有り得るとしても、それを狙うことはできません。これは、残念ながら、一つの真実なのです。

こういうことをいうと、ジョージ・ソロスや ウオーレン・バフェットのような恒常的に金融市場から莫大な富を築いている人のことを喧伝する人がいます。しかし、彼らの手法をいかに学ぼうとも、彼らと同じような資産を築くことはできないでしょう。繰り返しますが、彼らのような「幸運」が無いといっているわけではありません。

よくある例え話で、このようなものがあります。

世界規模でのジャンケン大会があります。それを世界じゅうの人同士がやり続けていると、必ず大半の人は負けていきます。しかし同時に、勝者も生み出します。ただ、その勝者は、なぜ「勝者」になったのでしょうか。 その理由などわかるはずはありません。ただ、その勝者は「ジャンケン大会必勝の法則」という本を書き上げるでしょう。

しかし、そんな法則を読んでも、一般の人には何の役にも立ちません。そもそも勝者になったこと自体が偶然だったのですから。ただ、現在の「金持ちになれる本」ブームを見ていると、このジャンケン大会の勝者が語っている言説をありがたく求めているようにしか見えません。

もちろん、もう一つの可能性として、ほんとうにソロスやバフェットが絶対勝ち続ける法則を知っているかもしれません。ただ、どちらにしても同じことです。そのようなものが本当にあるとして(繰り返しですが、そんなものは 存在しないと証明されているにもかかわらず、です)、それらの法則が公開されるはずはありません。

そう考えると、金融市場において恒常的に勝ち続ける秘訣など存在しないことがわかります。しかも、このジャンケン大会での勝者が本を出せば、人は群がるだろう、といったのはバフェットその人でした。

世の中には二種類の人がいます。現実的に考える人と、現実的には考えない人です。後者にとって、現在のような 幸せな状況はありません。超常現象を信じ、それに説明を加えてくれる人があふれているからです。スピリチュアル ブームもその一つでしょう。現実的に考えれば、前世などありえません。そのほとんどが人の脳が創り上げた まやかしごとです。私も奇跡は信じますが、それは確率論に収斂していきます。私は現実主義をとる人間ですから、根拠の無い超常現象よりも、事実をベースに現実的な回答を求めることを常としたいのです。

では、現実的な「金持ちになる方法」とは何でしょうか。

・お金持ちになるほんとうの方法とは

私は、その類の本をかなり読み漁ってきました。もちろん、好奇心ということもあります。同じように生活しているのに、ある人は金融資産が1億円で、ある人はほとんど預貯金を持っていない。これほど奇妙なことは無いように、私には思えたのです。

そこで、簡単な事実がわかりました。明確に書いているのは、書籍「隣の億万長者」や、本多静六さんの一連の書籍群で、それは「単に貯めればいい」ということです。

このようにミもフタもない結論でいいのでしょうか。いいのです。

「隣の億万長者」に書かれた金持ちたちは、けっして目立つタイプではありません。夫婦共働きで質素な生活を常とし、老後はその利息でゆっくりと、かつゆとりを持って生活する人たちです。職業も特殊なものではありません。通常のビジネスパーソンであったり 公務員であったりするわけです。いっぽうで、派手な仕事で稼ぐ人たちは、その波の激しさからか、なかなかまとまった資産をつくりあげることができません。本多静六さんは、20代から貯蓄を開始し、40代には100億円もの資産を築いたようです。

それも、年収の25%をため、かつ臨時収入はすべて貯蓄するだけ、というシンプルなものでした。それが貯まっていけば、利率の良い安全な資産を購入し、さらに増えれば、また安全な資産形成を心がける、といったものです。誰にでもできます。その誰にでもできることを本多静六さんは 実践したのです。

本多静六さんは、お金を貯める意味と意義について、大意でいえば「お金に困らなくなると 仕事が道楽のようになる」ということを述べています。それは、お金のために働くてもよくなることと、お金のために精神的に追い込まれることがなくなるからです。

この結論は面白いものでしょうか。おそらく面白いものではないでしょう。貯めればよく、しかも、それを ずっと続けるだけという結論であれば、トリッキィさがありません。さらに時間もかかる類のものです。すぐに一発逆転ができるわけでもありませんから、このような「普通の言論」はこの時代にはなかなか本にもできないでしょう。

ただ、と思います。この教えは、ある種の勇気をくれるのではないか。つまらない教えにこそ真実の一抹が 隠されているのではないか。

ときに、お金をためすぎる人は吝嗇といわれたり、金銭奴といわれたりすることがあります。ただ、お金のためではなく、お金を貯めたという安心感ゆえに「仕事を道楽にしてしまうためだ」ということであれば、なかなか夢がある。私はそう思うのです。

しかも、それは定期的に収入をコツコツと貯めるだけでいい。結局のところ、必勝法は難しいものではなく、地道な行為にほかならなかったというわけです。もし1億円を貯めることができればどうなるか。年利5%で運用できれば、500万円です。これならば、夫婦であればじゅうぶんに暮らしていける額でしょう。そのようにして、生活に 安心感を与え、イザというときにも支えがあるわけです。

このテの人たちには「そんなにお金を貯めて、いったいどうするつもりだ」という批判がありえます。しかし、その理由はもう明確なわけです。「仕事を道楽にするため」と「利子によってお金をもっと増やすため」です。後者はヒステリックな反応を引き起こす可能性もあります。「お金を増やすためって、だからそのお金を 何に使うかを訊いているんだよっ」という再批判もあるでしょう。それは、結局のところ「早く仕事を道楽にするため」ということになります。

では、明日からの生活でどうすればよいでしょう。簡単にいうと、収入の25%を貯蓄すればよいのです。 年収1000万円の人は250万円、これならできそうですよね。 年収400万円の人はどうでしょうか? 100万円です。これでも、なんとかできそうではないでしょうか。

先哲たちのコツをまとめると

・努力には頼らず、自動的に引き去るようにしておく
・収入があがったからといって生活レベルを引き上げない
・安全な資産運用を心がける といったものです。

日本には、おじいさん、おばあさんが、数億円の資産を持っていることがあります。 別に難しいことをやったわけではありません。単に使わなかったから貯まっただけです。あるいは、かつて保有していた土地が高騰した場合もあります。どちらにしても、地道さでは相似しているわけです。

・預貯金のほんとうの意味

私は金銭奴ではありません。むしろお金を使いすぎる側面もあります。使うか、貯めるか、という単純な 二項対立から脱するべきだとも思っています。お金を使って、かつ貯めることのできるような仕組みを創り上げることができないか。そう考えてきました。

現在、貯める技術が注目されています。しかし、そのほとんどが本多静六の時代から変化しているものでは ありません。定額、あるいは定率を自動的に貯め、それ以外を使ってしまうというものです。

そのようにしてお金を貯め続けていても、日本国が破綻し、預貯金額がゼロになってしまう可能性もあるのではないか。このような恫喝系の言論を耳にすることがあります。もちろん、その可能性はゼロではありません。どこの通貨で貯めていたって、その可能性がゼロになることはないのです。

ただ、それでもなお、日本円とはまだまだ有数の安全通貨だといってもよい程度には自信を持って よいのだと思います。突然、災害が降りかかってくることはあるでしょう。しかし、それはそのときです。予想もできないことが起きるかもしれない。ただ、どうしようもないことをずっと憂いていることほど無益なことはありませんから、 このような恫喝系の言論には耳を傾けないようにしたいものです。

ところで、最後に大声ではいえないことを述べたいと思います。

先日、億万長者と出会いました。きっかけは、あるセミナーなのですが、本論とは異なりますからあまり述べません。ただ、この文章を書こうと思ったキッカケが、その人との出会いに あったことは述べておこうと思います。その方は、私にたいして「人生の困りごとの9割はお金で解決できる」といいました。

そのミもフタもない結論に、私は絶句してしまいまったのです。「それをいっちゃあ」的なものだったからです。しかし、と思います。昔から「金の切れ目は縁の切れ目」といいました。これは、逆にすれば「金があれば縁はつながる」という ことではないか。また、「人の命は金では買えない」というものの、誰だってお金しだいで高度医療を受けることができることを 知っています。私は「人生の困りごとの9割はお金で解決できる」とまでは思いません。ただ、たしかに6割くらいは解決できるのではないか とも思うのです。些細な夫婦喧嘩や子供との対立、飲み会での支払いなど、お金が無尽蔵にあったら、たしかに心乱さずに済むかもしれないな、と考えました。

ここで結論を出すのは止めておこうと思います。

ただ、みなさんの場合はいかがでしょうか。お金で解決する問題は人生の何割くらいだと思われますか。0割? その場合は、たしかにお金を貯める必要はないかもしれません。

ただ、もし5割を超しているくらいだったら、本多静六流の貯蓄術を実践してみるのも悪くない。私はそう思うのです。

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