ほんとうの調達・購買・資材理論(坂口孝則)
・コスト交渉の限界を知れ!
価格交渉は、もうするな。
かつてこのような逆説を語ったことがある。交渉よりも、適正な価格を引き出す仕組みづくり等が、交渉よりも遥かに大切ではないか。そんな確信からの逆説だった。しかし、「それでも交渉せねばならない場面がある」という。それは理解している。ただ、価格交渉を「せねばならない」からといって、やみくもにお願いするというのはいただけない。交渉術のような属人的なものではなく、もっと理論的に、交渉という世界に一本の補助線を引けないものか--。
前回は、利率計算という新しい軸を持ち込むことで、サプライヤーの見積もりを再評価できることを伝えた。前回では、その見積もりのコストは、「すでに交渉されたもの」として扱ってきた。そして、そのコストを前提としてそのコストの時系列的な意味合いを付与し、これまでと違う世界を提示した。それでは次に、そのコストの成り立ちを考え、交渉に活かしていきたい。コストの限界を知り、相手の値下げ戦略を知ることで、こちらが優位に交渉を進めることはできないか。要するに、「いくらまで下がられるか」を知れないか。
ここで、この初回に戻ろう。1回目にまず説明したのは、固定費と変動費のことだった。この固定費と変動費を説明したのは、たまたまではない。この区別から、これ以降の新たな調達・購買の世界が広がるからだった。おさらいである。固定費と変動費は、企業の総コストを形取るものだった。企業で発生するコストをどうやって回収するのか。それはもちろん、売上げによる。製品を売って売ってそれを積み上げて、コストを引いて、残滓を利益として確保する。業種の違いはあっても、このことに違いはない。とするならば、製品の価格のなかに固定費と変動費の区分はつけられないだろうか。もし、つけられるとしたら、そこから何が言えるだろうか。
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ここで例としてプレスの成形品をあげてみた。このプレス成形品の見積もりは次のようにブレイクダウンされているとする。
・材料費
・オペレーション費
・加工費
・(金型費)
・利益
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ここで、固定費と変動費の区別をつけてみる。
固定費……加工費、労務費、利益
変動費……材料費、金型費
となる。加工費は固定費としてすぐに理解ができるだろうか。加工費とは、機会がプレスするコストのことだが、これは生産しようがしまいが、一定のコストがかかる。加工費のほとんどは、設備の減価償却によって計算されるからだ。
減価償却費は、定率法と定額法等にわかれる。ここは安易な定額法で説明すると、たとえば法定償却年数10年で1000万円の設備は、
1000万円÷10年=100万円/年
のコストが計上されることになる。そして、その年間100万円のコストを、生産数で割りふったものが加工費となる。注意せねばならないのは、1000万円の設備を購入しても、その1000万円がその年にそのまままるごとコストにはならない、してはいけない、点にある。あくまで現行税制(あるいは管理会計でも)上では、そこから将来にわたって分割してコストとして計上することになっている。次の労務費は従業員の給料だからわかりやすいだろう。これも、生産にかかわりなく発生するコストである。
変動費について、材料費はわかりやすい。これは生産数が増えるにしたがって当然比例的にかかっていくものだからだ。生産が減れば、これまた当然減じていく。金型費は、自社の資産として計上すれば固定費ともなりうるものだが、これはサプライヤーの見積もりについての話だから、そこに記載されている金型は、その製品を受注したときにかかるコストなので、ここでは変動費と見ておきたい。
通常の交渉は、いかに相手の利益を削らせるかに注力しすぎた。そして競合の果てに利益まで削ってしまうサプライヤーがいるごとに、「赤字ですよ」と泣きつかれ、その逆に調達・購買部員は「もともとのコスト一体何だったんだ。そんなに安くできるなら、最初からそうしろよ」などという不毛な議論が繰り返された。相手がどのようなコストが可能かを知っていれば、このような浪花節的な議論は省けるはずだ。
では、この固定費と変動費の区分はどのように役立つのだろうか。このままでは、利益を削る交渉を単に踏襲しているようにも見える。そこで、各社の損益分析書を見て、各種の比率を計算してみればいい。すると、企業全体の各比率から、製品にブレークダウンされた際の率もわかるはずだ。しかし、ここではこれに留まらない。ここではさらに固定費を分解してみよう。その区分はさらに二つある。
・サンクコスト固定費……すでに支払い終わった固定費
・非サンクコスト固定費……これから支払う固定費
の二つである。
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前述の例にあてはめてみると、
・サンクコスト固定費……加工費
・非サンクコスト固定費……労務費
となる。加工費は設備の償却費だった。つまり、もう機械は買ってしまっているのでサンクコスト(埋没原価)となる。サンクコストはどのようなものか。
たとえば、2000円で本を買ったとする。そのとき、その本があまりにつまらないためそれ以上読み進めるか迷っている。そのとき、その瞬間に読むのを止めてしまえば2000円の損失で済むものの、それを読了してしまえば、2000円に加えて読了するまでの貴重な時間も失ってしまう。このとき、2000円は取り返すことのできないサンクコストとして表現される。つまり、2000円の本を買った瞬間に、もうすぐには回収できない埋没したコストになってしまうのである。だから、ある意味、2000円を投じたあとはその2000円は「どうしようもない」ことになる。つまり、その2000円は将来の決定に参考にするのもよいが、参考にしてもどうにもならない。その2000円はもう無くなったものとして、将来どのような選択をしたほうがよりよい結果がもたらされるかを考えることが必要だ。
ここでサプライヤーの行動原則が導かれる
・当初の交渉では利益を削る
・それでも仕事を受注できないと判断した場合はサンクコスト固定費を削る
第二のSTEPが登場した。サンクコスト分の加工費は、もう「どうしようもない」コストだから、仕事が受注できないくらいであれば、そこも削ってしまえ、というわけだ。ここまでくると、調達・購買部員が「これまでのコストは何だったんだ」という極地に近づいてくる。
そして次に、第三行動原則まで導かれる。
・当初の交渉では利益を削る
・それでも仕事を受注できないと判断した場合はサンクコスト固定費を削る
・さらにそれでも他社に負け、仕事を受注できないと判断した場合は非サンクコスト固定費を削る
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非サンクコストとして労務費をあげた。労務費、人件費は、将来支払いが発生するコストである。だから、本来は製品の売上げから回収したいところだ。しかし、考えてみればわかるとおり、そもそも仕事がなければ、まったく回収できないのである。だから、まったく回収できないよりは、削ってでも多少は回収できたほうがいい。そうやって、競合を繰り返し価格の下落競争に巻き込まれていった果ては、価格は変動費に近づいていく。
特に世間的に仕事が少ない場合は、利益を削るのは当然として、非サンクコストまでを削ってでもサプライヤーは受注しようとする。よく、「景気がいいときには価格は高いくせに、不景気になると途端に価格が安くなる」とサプライヤーに向けた不満を鬱積している人がいる。しかし、サプライヤーからしてみれば、それは日和見な態度ではなく、合理性に基づいた行動だったのである。
もちろん、サプライヤーの値引き行動を知ったからといって、その最低限の価格で買うことが必ずしもできるわけではない。それに、サプライヤーに常に変動費+α程度しか支払わない購買活動を続けていれば、いつか行き詰るだろう。それほどの薄利でずっとやっていけるほどの魔法はないからだ。ある製品は極限まで安かった(=変動費ギリギリ)としても、大半の製品についてはサプライヤー側の利益も確保しないと近いうちに破綻が来る。
サプライヤーの値引き行動を逆手にとった箇所が最終地点ではない。それは、相手の限界を知ったことを意味するだけに留まる。その限界点を知ることから、相手と自社の共存的利益配分構造の構想が始まるのである。利益の仕組みも知らないで、共存だのWin-Winなどという関係はありえない。こちらも栄え、相手も栄える。そんな理想郷への思惟は、ここを基点とするのだ。