総論賛成、個別論反対の彼方へ
「内容はもう設計さんにお話しましたよ!」
営業マンから、むげに扱われるのは誰だって気持ちが良いものじゃない。
そのバイヤーは、驚いた。
ある月末に受け取った見積り。
それが、高い。そりゃ、確かに難易度が高いものではあるのだろう。それにしたって、高すぎる。
半導体。それも温度拡張使用可能にしただけのもの。選別はするのだろう。大部分が落ちるのかもしれない。歩留まりは悪いだろう。
それにしたって、6倍の価格はあんまりだ。
と思ったバイヤーはすぐさまサプライヤーにメールし、電話をする。なんといっても、もう月末最終日までに時間がない。
なかなかつかまらない営業マン。「外出中です」「会議中です」。
やっとつかまった営業マンに理由を問いただす。すると、営業マンは大きなため息を漏らす。
その営業マンは「そういうことを説明しなければいけないのでしょうか?」とバイヤーに逆質問する。
バイヤーは「説明が不要ならば電話はしません」と言う。
そのバイヤーの言葉のあと、営業マンはこう言った。
「何でそちらにも説明しなきゃいけないんですか!その内容はもう、設計さんには話しましたよ!そっちから聞いてください。もうその価格でご承認いただいています!」
・・・・
そのバイヤーは私だった。
私が短絡的に怒ったかというと、そんなことはない。
まずは、「そうですか」と、電話を置いて考えた。
なるほど。営業マンの言いたいことも分からないではない。ただ、逆だったらどうだろうか?
私がサプライヤーの設計部門に、あることを説明したとする。そしてしばらく経って、そのサプライヤーの営業部門から同じ問い合わせを受けた、という場合だ。
そのとき、「私は営業部門に同じことを再度説明するだろう」、と思った。
サプライヤーの窓口はあくまで営業部門であろうし、そこには筋を通して説明するべきことだからだ。
自分もできないことを相手に一方的にお願いすることはむなしい。ただ、筋としてこちらがするべきことは、同じく正当に相手にも要求するべきだ。
そう思ったら、勇気がわいてきた(笑)。
しかも、そのサプライヤーのトップがこちらにお越しになったときに、「できるだけのことはさせていただく」と宣言なさった。自分で言ったことは遂行せねばならない。これは小学生でも分かる道理である。
私は再度感情を昂ぶらせ、そのサプライヤーのトップに電話をかけ、「あなたの部下の部下の部下である方が、高い見積りを提示し、何の説明もなく、『この価格にしろ』と恫喝なさる。これはどういうことか」という内容のことを冷静沈着にお伝えした。
すると、営業マンはこちらにすぐに来てくれた。
・・・・
この話をすると、バイヤーの中でも反応が分かれる。好意的な反応は嬉しい。
ただ、一方では、「営業マンをいじめているだけではないか」とおっしゃるバイヤーの方もいる。
これには、私はかなり違和感を持ってきた。
なぜなら、その営業マンが「説明しないことが本当に正しい」と思っているのであれば、説明しに来なければ良いからだ。
どんなに上司の命令や脅迫があったとしても、間違ったことならば、するべきではない。
その結果どんなに支障を被ろうとも、本当に正しいと思っているのであれば、私はその程度の誇りは持っていたい。
私は思う。貯金がなくなれば、また稼げば良い。正直に生きていて、他人からの信用を失っても、挽回できるように必死になれば良い。しかし、自分への誇りがなくなったら、生きている価値すらない。と。
当たり前のことを、当たり前にやる。当たり前のことを、当たり前にやってもらうようにする。
このことだけだ。
よく、仕事では偉そうにしているくせに、自分のことになると、その「当たり前」を実行できない人ばかりなので、少し力が入ってしまった。
・・・・
ところで。
本を出してからというもの、ことあるごとに(男性)から、「坂口さんのように本を出したい。どうしたら良いか」という相談をもらった。
私は、「紹介できるかは分からない。ただ、そういうことならすぐさまサンプルを見せてくれ」と言う。すると、その時点でほとんどの人が出してこない。
ごくまれにサンプル文を送付してくれる方もいる。すると「バイヤーは諦めずに高いハードルにチャレンジしろ」とか、(言葉は悪いが)面白くない、平凡なことが書いてある。
だから、私は「これでは出版は無理でしょう」と申し上げる。すると、ほぼ全ての人が、もう何も言ってこない。「もう、諦めました」と言う。「高いハードルにチャレンジしろ」と書いている本人が、だ。
私も完璧な人間にはほど遠いので、書いている理想通りのことができているかと言えば、事実は全くの逆。
ただ、自分が他人に勧めていることくらいは実行してやろう、と思う。
それがたとえ青臭くても。
それがたとえ支障を生じても。
「バイヤーは、自分に無理強いをしろ!」