あらかじめ失われた見積りたちよ

「下げろ!って言えばいいじゃねぇか」

建前が建前であったと分かるときほど虚しいことはない。

そのバイヤーは、焦っていた。

サプライヤーと交渉まであと15分。サプライヤーがあと15分でやってくる。

そのバイヤーは大型案件をかかえていた。これまでにない多量の発注。しかし、第一候補と考えていたサプライヤーの価格が高い。

一体何が高いのか?

一体どうやったら価格が下がる糸口をつかめるのか?

そのためには、まずは他社の競合見積りとの比較が必要だ。

そして、前回類似品価格との比較。そう、できれば他の製品で上手くいったVAアイテムも盛り込ませたい。

データは揃った。

あとはこれをエクセルにまとめるだけだ。

しかし、これがなかなか難しい。相手にどうやって説得力を持つ資料にするか。相手はこの理屈で納得してくれるのか? あるいは将来のビジネスを餌にする戦術とするか。

そう考えているうちに、時間だけは過ぎ去っていく。

そして、あと15分になったとき。

そのプロジェクトのまとめ役のメンバーがやってきた。バイヤー業として先輩の社員だ。

彼はバイヤーがやっている資料まとめを見て、開口一番こう言った。

「何やっているんだ! 早く資料をまとめろっ!」

バイヤーは説明する。

「今、価格の分析をして、相手に納得してもらえるデータを提示しようとしています」

すると、彼はこう言った。

「そんなことする必要ねえよ!サプライヤーに価格を下げろって言えばいいだけだ!!下げさせろ!!」

・・・・

そのバイヤーは私だった。

おそらくこういう人は「公正な取引」などという言葉を心底信じていないのだろう。

いや、信じなくても良い。人の生き方にまで干渉する気も熱意もない。

しかし、サプライヤーに理屈も無く、「下げろ!」と私は未だに言うことができない。たとえ、強引でも詭弁でも、何らかの理屈をもって相手に当たるのが礼儀だと思う。

もちろん、「下げろ!」と言って下げさせるバイヤーだけが悪いわけじゃない。

私が思うに、優れたバイヤーの順番は

(1)論理的で、相手を納得させることができ、価格を下げることができる

(2)強引で、たとえ相手に無理をさせても、価格を下げることができる

(3)論理的だが、口先だけで、価格を下げることができない

(4)論理性に欠け、強引で、そのくせ、価格も下げることができない

ゆえに、(2)の方が(3)よりは勝る。

しかし、強引さだけでは、どうしようもねえだろう、と私などは思う。

それが、その人の「スタイル」だと強弁されても、それでもなお、どうしようもねえだろうと思うわけである。

・・・・

先日、男性若手バイヤーたちと話す機会があった。

彼らは、私の活動を指して、こう言った。

「なんで、そんなに頑張るんですか?(頑張っても給料変わらないのに)」

「そんなに努力して、幸せですか?(幸せじゃないだろう)」

「そんなに勉強する必要があるんですか?(勉強しなくても購買なんて簡単なのに)」

もちろん、()の中は私が想像して書いた。ただ、彼らの私への質問は、明らかに()の中を意図したものだった。

おそらく、昔だったら(と言っても数年くらい前までだったら)、私はきっと彼らの間違いを指摘し、自分の考えを強く主張しただろう。きつい皮肉を真顔で言っただろう。

しかし、今ではすっかり反論する気も失せた。

おそらく、人間は生まれつきエネルギィ値が決まっていて、「ヒマな人」を「忙しい人」に変えることは無理なのだ。「努力しない人」を「努力する人」に変えることは無理なのだ。とすっかり理解してしまったからだ。

今でも、「幸せなんですか?」などと訊いてくる人には、「では、あなたはどれほど幸せについて知っているのか?」と訊き返してやりたくなる。こういう人に限って、自分の子供には「個性的」であることを願ったりしているのだが、どうやらその狭い価値観では、他者の個性的な幸せを理解することもできないらしい。かなり哀れな人だ。

・・・くらいは、以前の私なら言っただろう。

でも、前述のことが分かったので、もう言わないことにした。

・・・・

逆もある。

わずか、3年しかバイヤー業に携わっていないのに、素晴らしい若手もいる。こういう人は、現状に危機感を覚え、新たなことを学ぼうとし、これまでの恫喝と非論理的な購買像を破ろうと、もがいている。

こういう人は、知識もかなりついているし、能力も高い。

同じ3年のバイヤー業の人たちと比べて雲泥の差がある、と言って良いほどだ。

ここで思う。

世の中で言われている、格差社会ということは本当か。

たかが、年収3百万円と1千万円の差を指して、格差などと言えるのだろうか。

どう見ても、優秀なバイヤーと阿呆なバイヤーの能力差は3倍以上ある。3年で分かるくらいだから、加齢すればなおさらだ。

とするならば、格差社会は能力差の補正にすらなっていない、と言うこともできる。

多くの人が嫌悪感を持つだろうけれど、今騒がれている格差社会など甘いではないか、とすら言うことができるだろう。(あえて書いているので、批判メール禁止)

より一層の格差をもたらす社会がやって来たとき、私たちは。

何を感じるだろう。

何を学び続ける必要があるだろう。

タイムリィに。

ドリーミイに。

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