堀の中の懲りない調達
「おめぇ、あれ見てみろよっっ!」
部屋にこだまする大声。
納期調整会でのことだ。
客からの大型受注。その出荷が間に合うのかギリギリのとき。
自社工場の作業者の都合をつけて、なんとか製品を作る準備はできた。
しかし、肝心の「モノ」がない。
調達品が揃わないので、組立てを始めようにも始められない。
そして緊急招集されて始まった「納期調整会」という名の絶望会議。
生産管理担当者はバイヤーに怒りをぶつける。「早くあれを入れないと作業できないだろっっ!」
バイヤーはバイヤーで怒りたいところもある。客からの大型受注だか知らないが、あまりに短納期で納入せよとは無理な話だ。
これまでだったら1ヶ月はかかる調達品--。それを2週間で集めて来いとは、いい加減にしろ、と言いたいくらいだった。
しかも今のところ3週間ほどで納入できる目処も立っている。あと1週間縮めろという主張は理解できるが、納得はできない。
「困っているのは理解するが、通常よりも早く納入する予定なんだから、もういいでしょ」。そうバイヤーは反論する。
すると、その生産管理の担当者はいつものごとく怒り出す。
「おめぇ、あれ見てみろよっっ!!」。
彼が指し示した先には、何もすることがなくしゃがんで無駄話をしている作業者たちの姿があった。
・・・・
そのバイヤーは私だった。
バイヤーの納期調整の悲哀を語りたいわけではない。
本当は語りたい(どっちだ)。しかし、今回の主題は、その担当者の納期調整の上手さである。
彼は--、と年がかなり離れている人を指すのも気が引けるが--、納期調整会を必ず現場の横で実施した。
少し歩けばクーラーの効いた部屋もある。コーヒーの出る会議室だってある。
それでもなお、彼は生産現場の隣の汚い小部屋にこだわった。
納期調整を行う。その間にも「あれ納入した? じゃあ、あそこに持っていけ」なんていう指示を次々に出している。
そして、「あれが届いていない? ライン止めろ!」なんてことも。
こういうことがリアルタイムで目の前で起きていて、非常に生産現場の実情が分かった。
加えて口癖のように、「あれ見てみろっ!」と生産ラインが止まっているところを見せる。
これでは バイヤーとしては納期の調整を必死にやらずにおられない。
・・・・
「見える化」という言葉を聞くとき、必ず私は彼のことを思い出す。
この「見える化」とは、彼のことではなかったか。
生産現場をありのままに見せ、視覚的に訴えることによって人を動かす。
パソコンの前でしか納期の遅延が分からないバイヤーに、実際の出来事を見せ、納期の調整を促す。
これを聞いて「そんなもんは見える化ではない」と言う人もいるだろう。確かに、グラフでデータをいじりまわしてキレイなグラフ作ることもない。データマイニングで美しい表にまとめることもない。
しかし、これが見える化でなければ、何が見える化なのか?
見える化とは、見えるだけにすることを指すのではない。見えるようにした後に、他者に何を訴えるかが重要なのだ。
高度な技術や、書式やら。そんなことは私にとって「見える化の本質」とはなりえない。
ここらが今流行の「見える化」指南書に欠如しているように感じられる。
見える化による資料は、全て他者をなんらかの道に導くという目的をもって始められなければいけない。
・・・・
見せる、ということは確かに文字の羅列よりも大きな意義と意味を持つ。
しかし、それを単にグラフでまとめました、ではどうしようもない。
「このサプライヤーは、平均2日納期遅延していますねえ。この製品は通常3週間で納入されますねえ」なんてのをキレイな表でまとめてどうなる。
それよりも、現場を見に行け。すると、グラフを作る時間の何分の一で、もっと「見る」ことができる。
エクセルで表現されたことよりも何倍の重みのある「事実」がそこにはある。
単なる見える化を超えて。
あなたはその先に一体何を見るだろう。
「バイヤーは、見える化グラフを燃やせ!」