お盆休み前の素敵なノスタルジィ
「お前も堕ちたな」
久々に出会った人から、そう言われれば誰だって気持ちの良いものじゃない。
そのバイヤーは休みの日、懐かしい場所に行くことにした。
それは以前のバイト先、飲食店。といってもそこまで懐かしい場所というわけじゃない。
わずか、半年前までは学生だったのだから、まだ感慨深くなるほどではなかった。
バイヤーが通っていた大学の近く。当然、バイトもそこの学生が多くなっていた。銀行に証券会社、生保に損保。マスコミに就職が決まった奴もいた。
半年経って--、現状報告というほどではないが、かつてのバイト仲間で集まって会社の様子を情報交換しようということになった。
「どんな部署に配属された?」こういう話題で盛り上がる。
銀行に就職した奴は「調査部」。おそらく、エリート臭の漂うその部署名。他の奴は「金融商品開発部」。
そこで、そのバイヤーは「調達・購買部門に配属された」と言った。
何の仕事をするのか分からず沈黙するしかない周囲。
すると、横からバイト先の店長が口を挟む。
「荷物を運んだり。倉庫の在庫を整理する仕事だ」と彼は言う。おそらく遠い彼方にある、仕事勤め時の思い出が蘇ってきたのだろう。
そして、こうも言った。「そうかあ、残念だな。お前だったらもうちょっと良い部署に配属されると思ったのにな」と。
そこで、そのバイヤーは外部評価の冷たさに気づく。
さらに、彼は「本当に残念だなあ。出世できないだろう、そんなところでは。本当に失敗だったな」と哀れな表情で言ったのだった。
・・・・
そのバイヤーは私だった。
運良くか運悪くか、「荷物を運んだり。倉庫の在庫を整理する仕事」はすることがなかった。
しかし、言われた内容が遠かったわけでもない。そこから私は、日々納期を追いかけ、膨れ上がった在庫に関して社内と不毛な争いをし、泣きながらサプライヤーの工場に張り付いた。
その時々に、バイト先の店長の「お前だったらもうちょっと良い部署に配属されると思ったのにな」という言葉が浮かぶ。
人はどうしても相対的な見方しかできない。だから、他の同期が、華やかな仕事をしている一方で、汗をかきながら工場の中を走り回っている自分が哀れでしかたがない。
焦りと、失望。
感情がぐるぐる回り、眠れない日々が続く。
心の中では「俺はこんな部署に配属される人間じゃない」という思いが募る。そこには、調達部門で必死に頑張っている人たちへの尊敬の意など1ミリもなかった。
「他人があれほど頑張っているのに、お前はなぜ不満ばかり言っているのか」と自分に対して言ってみる。気づけば自己嫌悪。
被害妄想の重なりでどうしようもできない自分がいた。
・・・・
こういうことを書くと、「坂口さん、もうちょっと調達部門の明るいところを書いてくださいよ」と言われる。だから、私はそういう明るいところは書かない。
「伝統を復権させよ」というとき、それは既に伝統などというものがないということである。
「愛国心よ再び」というとき、それは既に国を愛する者などいないということである。
それが「ない」からこそ、その必要性をことさら叫ぶ奴が出てくる。本当に調達部門が明るいなら、それを私が書く必要などない。
だから、私は「調達部門は絶望から出発しよう」と言っている。
明るい現状では、綻びは隠蔽される。逆に、絶望だからこそ、将来の明るさが見えてくる瞬間がきっとある。
熱愛中のカップルには、お互いの欠点が隠蔽されるからこそ、別れは夜風のようにそっと近づいてくる。逆に、お互いを期待せずにお見合いから始まった二人の離婚率の低さは特筆すべきことである。
今の仕事がイヤだと思っている人は、とことんイヤだと思った方が良い。中途半端な希望など持つから、仕事も中途半端になるのだ。
そう、絶望から出発しよう。
・・・・
ある日のこと。
偶然。本当に偶然。
私のレポートがある人の目に留まった。絶望購買からの脱却という内容で、好き勝手にA4のレポートにまとめ、配布していたものだ。
内容は恥かしいので書かない。ただ、その当時の私の絶望ゆえに書けた内容だった。
こんなこと、あんなこと。誰がどう考えてもおかしなことがたくさんある。それを、なぜこうしないのか。俺はこうやっている。周りがバカだから、毎回同じことを繰り返すのだ。そういう連中には絶望購買がふさわしい。という60年代の学生運動のようなアジテーションだった。
それをたまたま読んだのは、某大企業の役員。
「お会いしましょう」という内容で、メールが届く。
もちろん、会いに行った。
そこで何を話したかは、言えない。だけど、ひと時のエキサイティングな、かつ私の将来を決定付けるようなものだった。
絶望がゆえに書けた内容が、誰かの心を動かす。このような逆説があることを初めて知ったのだった。
私は「今の仕事がつまらない」という若手には、ヘンな慰めはしない代わりに、「絶望が足らない」と言う。
思い詰めた果てに見えてくる何かがきっとある。そう信じている。
私が絶望から始めて、いつしか本を2冊も出版して(あと2冊決まっている)、外国のバイヤー組織となぜかコンタクトまで取っている。
その姿は、おそらく、あの日のバイト先での会話から、もはや自明のことだったのだ。
「バイヤーは、死ぬほど落ち込め!!」