思い出の中で、調達を形作った男
「もう止めよう!!そんなこと!!」
そのバイヤーは時の流れを感じていた。
だいぶ昔の話だ。
水曜日と金曜日の夜の街は、そのバイヤーの遊技場だった。
夜11時に待ち合わせをする。そして、そのバイヤーは待ち合わせていた相手と、どこかの居酒屋に消えていく。
それが女性でなかったことは残念だったが、それはどうでもいい。その男性二人の共通点は同業者(バイヤー)だったことだ。
ある外部研修で出会った二人。
ひょんな出会い。二人は別の会社。しかし、話をしてみると通じるところがある。
そこから意気投合し、毎週のように夜の街で出会っては、仕事の意見交換をしていた。
もう、調達・購買のほとんどのことは、そのとき考えていた。わずか、入社数年のときのことだ。
他の若手が日々の業務に精一杯のときに、その二人だけは、ずっとずっと遠くを考えていた。キャリアの構築のことだけではない。新しい調達手法、そして、バイヤー業務の面白さを世の中にもっと伝えるための手法。
そんな日々が続いていた。
しかし、数年後。そのバイヤーは、元「同志」と久々に出会ったときに、彼に調達・購買のことを話しかけると、こう言われた。
「そんな話止めよう!もう、いいんだ。止めよう!」。
・・・・
そのバイヤーは私だった。
目の前のことに夢中になる、ということは抗じがたい魅力を放っている。
それは、それ以外のことを忘れさせてくれる、ということだけではなく、その瞬間の喜びがずっと続くのではないかという幻想さえ見せてくれるところだ。
「あのときは」と、あえて言ってみる。
周りのバイヤーが「仕事がつまらない」「転職したい」と言っている傍ら、その二人だけは逆転発想を持っていた。
「周りのレベルがこんなに低いのであれば、絶対に工夫次第ですぐにトップになれるはずだ」と。
そのときから私たちは、綿密な計画を練り始めた。
「海外の調達・購買の情報を輸入して、日本で広めたらどうだろう?」「バイヤーの基礎知識を本にまとめたらどうだろう?」「バイヤーの組織を作って、業界に強い影響力を発揮したらどうだろう?」
私が現在やっていること(やろうとしていること)の、ほぼ全てはこの時点で二人で考えたものだ。早熟な生意気なガキのくせに、夢中に未来のことを語り合っていた。
・・・・
それからしばらくして、私の個人的な事情で、彼と疎遠になってしまった。
しかし、私は一人でもその計画を進めるべく、着々と行動していた。
どのくらいの時間が経っただろう。いや、月日は分かっている。それがどうも実際より遠く感じてしまうのだ。
彼と再開することがあった。本当に久しぶりのことだ。彼の家に出向いた。
彼は、すっかり変わった感じになっていた。
あれだけ勉強熱心だったのに、今では本も読んでいない。仕事への熱意もどうやら、薄くなったように感じられた。
調達・購買の話、私がどんなことを成し遂げているかの話、そして「できるならば手伝ってくれないか」と話した。
すると、彼は即時に拒否した。「もう止めようよ」よ。それでも私が説得していると、「もう、分かったって。止めようよ。そういう話は、もうしたくないんだ」。
彼は、いつの間にかちょっと知恵をつけて、結婚してしまっていて、その美人な奥さんと子供を紹介してくれた。「結婚したら、もう夢や目標じゃないよ」というわけである。
・・・・
実は、この話は最近のことで、書こうか迷っていた。しかし、ものすごく私の中で一つの物語が終わったように感じられて、どうしても残しておきたいとも思った。
入社当時は皆、不平不満の塊である。それがいつの間にか、生きる知恵を身につけ、結婚してしまったあとには、変化を起こす気も消え、転職してやるなどと吹聴していた強がりさえも喪失している。
そんなステレオタイプな人間ではないだろうと思っていた、最たる彼がそうなってしまっていたことが、大袈裟にいえば自分の中の何かが過ぎ去っていくような気がしたのである。
いつものように、調達・購買のネタを書けばよかったのだが、そういうわけで今回だけは若干異色な内容であることをお詫びせねばならない。皮肉もない。
私は、結婚したら人間はダメになるとか、そんなしょうもない思い込みを書きたいわけでもない。ただ、個人的な経験から想起した文を書いている。妻子もいない立場の男性が書いている戯言と思ってもらっても構わない。
ちなみに、彼の家にお邪魔した際に、私は大きな忘れ物をしてしまった。
帰りの道すがら、私はそのことに気づいたし、彼から携帯にメールまでもらった。
しかし、私はどうしても戻る気になれなかった。おそらく戻るべきだったのだろう。私は、嘘をついて「もう電車に乗ってしまったので、いつか取りに行きます」という返信をするくらいしかできなかった。
仕事で、社外活動で。どこまで人間としてトガっていられるかは、おそらく、キャリアを真剣に考えている人ほど深刻な問題だろう。
「バイヤーは、自己にも突き刺さる刃を持て!」