あるいはバイヤーという名の栄光
「報告になってないじゃないか!!」
そのバイヤーは驚いた。
ある報告資料を上司に提出したときのことだ。内容は、その年のコスト低減額をまとめたもの。
内容に自信があったかといえば、そんなことはない。
ただし、その上司から要求されていた項目は全て盛り込んでいた。上司から作れと言われたとおりに資料を作成していた。
それでも、その書類を受け取った上司は「これだけじゃ分かるはずがないだろ」と言う。
「それだけじゃ分からないと言われても、指示された内容に間違いはないはずです」とバイヤーは反論した。
「だから、これだけじゃ分からないと言っているだろ」と上司は繰り返すばかり。加えて、「俺が何と言っていようが、分からないものは分からない」とも。
そのバイヤーは、「だから、最初に申し上げたようなまとめ方が良かったでしょう?」と訊きかえした。
すると、その上司は「じゃあ、最初からそう持って来い!」と言う。
そのバイヤーは「いや・・・ですから・・・」と呆れながら、再反論しようとしたら、上司にこう言われた。
「だから、これは報告になっていないんだ!!」
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そのバイヤーは私だった。
今ごろ私が本を出しているという事実を知ったら、あの上司は何と言うだろう。
それはどうでもいい。
どうもバイヤーというものを長くやっていると、性格が捻じ曲がってくる人が多くなってくるようだ。
例えば納期が遅れそうなとき。悪いニュースは早めに報告しておいた方が良い、と判断してその上司に報告しに行ったとする。
すると、訊かれるのはその対応策ではなくて、「なぜ、遅れるのだ」という理由ばかりだった。「誰が悪い?誰が遅れた?工程短縮の縮まり具合は?」
それに答えると、また違う質問が何個も飛んでくる。
それらに一つ一つ答えて、「だから遅れそうなんです」と申し上げると、「理屈じゃないんだよ!納期を遅らせるな!」と怒られる。
なら、最初から理屈で説明させようとするなよ。という当然のツッコミすら受けつける余裕が、その人にはなかった。
理屈や理論ではなくて、力技だけで解決させようとするならば、最初からバイヤーには恫喝専門のプロを雇った方が数倍の成果が上がる。
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どうやら、私はあまりに理想論に過ぎるところがあるらしい。
多くのバイヤーは、たとえ自分が間違っていたとしても、無理矢理な交渉で納期を短縮させられれば良いと思っている。
価格が合わなければ、取引先のお偉方でも呼んで、強引にコスト低減させれば良いと思っている。
そういうバイヤーは間違っている、と思っていたが、いろいろな会社を見ているとそういう人たちが出世していっている。
サプライヤーから請求された金額に対して、「分かった、分かった、払うよ」と言っておきながら、様々な言い訳をして、ずるずる支払いを引き延ばしているバイヤー。
自分の言っていることが明らかに矛盾しているのに、サプライヤーに謝ろうともしないバイヤー。
ずっと前に契約しているのに、支払い直前になって「もうちょっと安くしてくれない?」とお願いしているバイヤー。だから、サプライヤーは最初の提示金額を高めに設定してくるのだ。
などなど、例を挙げればキリがない。
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しかし、もっと驚くのは、こういった一連のことが「当然」としてまかり通っていることだ。
むしろ、こっちがちゃんとしていたら、相手がゴネることによってかき回されることがある。まさに、ゴネ得というわけだ。
なるほど、バイヤーというものを職業としている以上、こういったことを身につけておいた方が良いかもしれない。
つまり、言ったことは守らず、最後で騒ぎ出し、相手に理屈を通させない。
これくらいでないと、話を聞いてもらえなくなる。
これは言い過ぎだろうか。
もちろん、逆説として書いた。
バイヤーとは、高度な知識を振り回し相手を困憊させることではなく、かといって、勘と感覚と厚かましさだけで交渉を繰り返すことでもない。
バイヤーとは、自分の経験からより良い姿を模索・検証し、軸を持って、周囲を導いていく存在だ、と私は思う。
ヘンなハッタリや、高尚な知識ではなく、バイヤーに今こそ求められているのは、「当然のことを当然にやる」基礎力ではないのか。
「バイヤーは基礎力の鬼になれ!!」