バイヤー、ダントツ化作戦
「なぜ、あなたが来たんだ!!」
そのバイヤーは考えていた。
場所は中国の田舎町。
そこにサプライヤーの工場があった。そのサプライヤーと価格交渉を行っていたときのことだ。製品は、(詳しく書けないが)成型品だった。
そのバイヤーの目的は二つ。
一つ目。納期を繰り上げること。
二つ目。価格を安くすること。
多くの場合、この二つは離反する。しかし、そのバイヤーは無鉄砲にも、「一人で行かせてください」と上司に頼み込んで出張していた。
頼れる人など自分以外にいない。
困難な交渉は3時間にも及んだ。
すると、ある程度予想されたことではあったが、相手は条件を出してきた。
「製品数の3割は、急いで出荷させましょう。但し、特急料金として、価格は20%割り増し。残り数の7割は、しかたがないので、5%マイナスの価格にしましょう」
そのバイヤーの目標は、「全数を早期納入。全数を10%コストダウン」だったから、合致はしていない。
だが、そのサプライヤーからやっと引き出した回答だ。
バイヤーは「ちょっと考えさせて」と言ったまま黙り込んだ。しかし、考えてみるに、自分だけでは回答が出せないと分かる。
バイヤーが「やっぱり自分だけじゃ判断できないので、上司と相談させて」と申し入れた。
すると、サプライヤーはこう言った。
「あなたが決められないのであれば、なぜここに来たのですか!」
・・・・
そのバイヤーは私だった。
一人前のバイヤーになるということは、一人で仕事をこなすということじゃない。これまで、誰もぶつかったことのない障害に飛び込み、誰にも相談できない中、その葛藤とともに眠れない夜を過ごす、ということだ。
孤立無援の闘いを挑むということだ。
私は、「なぜ、即答できないんだ」という問いかけに答えて、少し条件を変えてもらい、それでサインした。
その結果が良かったのか悪かったのか、分からなかった。
「あんなことを言われて悔しい」と思って、ホテルに戻ってから、酒を飲んで、いやでいやで眠れなかった。
自分の交渉準備不足、勧め方の不備。そういうことが自分の頭の中を駆け巡る。
別に、上司と来ていたら解決できたわけじゃない(そもそも上司は英語が話せなかった)。
あのときどうすれば良かったのか。その、反省と後悔が、一人のバイヤーを成長させてくれるものだった、と今では思う。
結局、日本に帰国してから、なんとかその条件を前提に調整できたので、結果は良い。
ただ、今でも私の中で「なぜ、お前が来たんだ?」「Why you came?」という中国語交じりのよく分からない一文が頭に残っている。
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日本には、どんなにそれまでの担当者の仕事の進め方が悪かったとしても、最後に上司に参加を願えば、担当者の失敗の責任が半分になる、という文化がある。
だから、今でも多くの社会人が困ったことになったら「上司を連れてまいります」と言うのだろう。
そこには、上司を連れてこねば、社内を説得できず、また決定もできない、という甘えと無責任さに溢れている。
そういう人に限って、「会社は自由にやらせてくれない」とか「トップダウンの仕事ばっかりだ」とか、不平不満を漏らすのでどうしようもない。
人は自由なとき、不自由さを恋しがる、とはまさにこのことだ。
おそらく、若い社会人(と多数の中堅社会人)が知るべきは、自由には必然的に高い能力と責任が要求される、ということだろう。
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眠れない夜を過ごさない方が良いに決まっている、精神的には。
眠れない夜を過ごした方が良いに決まっている、成長的には。
何を選ぶのか、何を選ばないのか。それは結局のところ、各人のキャリア観に委ねるしかないのではあるが。
ただし、自分で物事を決めないことを当然と思ったり、最後には上司に頼ればいいやと思ったり、そういう人はきっとサプライヤーからバレている。
ほら、その隣のバイヤーには、サプライヤーの誰も相談にこないだろう?
あなたが担当しているサプライヤーなのに、違うバイヤーや設計者に相談に行っていないか?
それを見て、「ああ、俺の仕事が一つ減った」と思うならば、ご愁傷様。
こういう人ばかりだから、少し頑張っただけで成果が出る。
本当においしい仕事だ、と私は思う。
「バイヤーは不眠症になれ!」