美しい購買から、萌える購買へ
「なんでこんなムダなことしているんだろう!」
そのバイヤーは驚いた。
入社したばっかりのときのことだ。
周りのバイヤーがやっていることの意味が分からなかった。やっていることにどのような必要性があるのか分からなかった。
例えば、毎週意味のない虚偽のコスト低減成果を作文して、「週報」という名で提出していること。
書類をつくるときに、「ここのスペースは二つ空ける」とか「書体は、これでなければいけない」と気にしていること。
買う気もないサプライヤーに競合見積り依頼をして、その対応で右往左往していること。
年度のコスト低減の成果報告のときに、誰がどう見ても設計の考えたアイディアであるにもかかわらず、自分の業績かのようにプレゼンテーションをつくって時間を浪費していること。
調達・購買の目的が、「良いものを、安く、適切な時期に調達する」というものであるにもかかわらず、それ以外の業務に没頭している現状を見ていた。
時間は有限であるにもかかわらず、いや、それであるがゆえに、そうでもしないと時間をつぶせないために、ムダなムダな仕事がまかり通っていた。
ふとしたとき、そのバイヤーは、周りの先輩と同じことをしていることに気づいた。
「いつの間に、自分はここの常識にはめられていたのか」
そのバイヤーは自問せざるを得なかった。
「何でこんなムダな仕事をしているんだ!!」
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そのバイヤーは私だった。
おそらく、次のことが言えるのだと思う。自分のことにあてはめて見て欲しい。
(1)入社して疑問に感じたことは、おそらく正しい。しかし、多くの人はその疑問を持ち続けることができずに、周囲と同じことをやり出す。
(2)バイヤーが加齢とともに成長するのは、せいぜい「報告のテクニック」だけである。だから、コスト低減の結果を見てみよ。新人とベテランの間になんら違いがない。
(3)無駄なことをやり続けるのは、それを評価する人がいるから。
(1)は自分の子供の頃のことを思い出してみて欲しい。親たちから見れば、「子供だから何も分からないだろう」と思われたことも、実は全てお見通しなのではなかったか。
親は子供がセックスのことなど何も知らないと思っている。でも、実は子供はそんな知識は既に習得済だったりする。子供の視点が実は一番正しい、ということは良くあることだ。
(2)は、私が常々疑問に感じていることの一つである。果たして、バイヤーの進化とは何か。自分が確実に10年下の後輩に対して勝っている、ということを「人脈とプレゼンのテクニック」以外で挙げて欲しい。どれほどあるというのか。
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しかし、一番の問題は(3)ではないか。
この世の中には、管理職でも、管理職ではなくても、「仕事に時間がかかっても良い。その過程から学べることがあるだろうから」と、とてつもない暴言を吐く人にあふれている。
仕事に時間がかかる人は、ずっとかかっている。
仕事が遅かった人が、その過程で何かを学び、次回に活かしている、という例を私は残念ながら見たことがない。
「仕事は時間じゃないよ。その中で、どれだけ苦労したかがその人の蓄積になるんだ」と、これまた甚だしい勘違いを述べている人は、ご愁傷様と言ってあげるしかない。
過程で何かを学んだら、それはその人のためであって組織が評価するべきものではない。学べたとすれば、その人にとってはもうけものだから、別に評価されなくても良いでしょう。
自分にとって、「この会社は夢がない」とか「自分にはもっとやりたいことがある」とか「努力を認めてくれない」とか、そんなこと言うよりも、100倍重要なことは現在の仕事で、成果を出すことだ。
精神論はもう要らない。
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欧米諸国と比べて、日本の事務系社員の生産性が著しく低いことは、常に覚えておくべきことである。
一つ一つの業務のムダを廃して、次のステージにいくべきときなのに、時間つぶしの資料を作っているばかりの人がどうやって国際的に競争できるだろうか。
次のステージへの具体論は出版書籍の中に書いたが、結局のことろ、必要なのは個々人の自覚とそれに伴う新たな知の学習である。
その自覚が、「大人の視点」ではなく「子供の視点」によって想起される、とはなんと面白い皮肉だろう。
これからのバイヤーは常に、原始体験として感じた疑問こそを持ち続け、現状に挑戦し続けなければいけない。
最もすぐれたバイヤーは、常に自らをも疑う。
「バイヤーは入社当時のックソガキになれ!!」