バイヤーの半分は気合でできている
「お前のために怒っているんだ!!」
そのバイヤーは萎縮していた。
無理もない。ずっと放置していた注文書。どこに注文してよいのか分からないまま、気づけば1ヶ月が過ぎていた。
無視していたわけではない。
ずっと意識はしていた。設計部門からまわってきた注文書に記載されていた部品名に見覚えがなかった。
ならば、その設計部門に尋ねればよい。「これってどこに注文すればいいんですっけ?」と訊くだけだ。
しかし、そのバイヤーに残るヘンなプライド。「ある程度調べてから、それでも分からなければ訊くべきだろう」と思っていた。
そういう間にも過ぎ去る時間。日々の多忙さに身を任せているうちに、注文できないまま納入期限が迫ろうとしていた。
当然、生産工程に影響が出る。すると、バイヤーの上司に電話がかかってくる。そして発覚する発注遅れ。
上司は当然ながら、そのバイヤーに怒り始める。「なぜ、こんな簡単なことできないんだ」と。
バイヤーは萎縮した。だが、気になるのは、その怒り方があまりにもしつこかったことだ。
「お前のために怒っているんだぞ!!分かっているよな!」。
・・・・
そのバイヤーは私だった。
この上司は、部下からの提出書類にも厳しく目を光らせ、何かと常に叱責を繰り返していた。
私は、上司が部下に対して怒ることを否定しない。むしろ、今の時代ちゃんと怒ってくれることは、部下にとって将来の宝になるだろう。
それに、調達・購買にかかわる人は、しつこいだけで、ほとんどの場合は上手くいく。だが、この話は違う機会に譲ろう。
述べたいのは、この「お前のために怒っているんだ!」というところである。
私は、上司と部下の関係よりも、こういうセリフをよく聞いた。
場面は、サプライヤーと話しているバイヤーの会話の中である。「もう、何回言ったら分かってくれるんですか。言ったこともやってくれないし、何回も同じ間違い繰り返しているし。こういうことは、そちらのために言っているんですよ」。
と、「相手のことを思って、(本当はこんなことは言いたくないが)苦言を呈しているのだ」と伝えたいようなのだ。
しかし、何回も同じ間違いを繰り返している無能者を、本気で改善させようとするならば、おそらく初等教育からやり直させないといけないから、それこそ10年くらい必要となる。
私がバイヤーになった頃、いつも周りの先輩バイヤーに感心した。
私はそれまで、相手のことを思って、「あえて」怒ったことなど経験がなかったからだ。
・・・・
それからしばらく経って、「相手のことを思って怒る」ということが、「完全な嘘」であることがようやく分かった。
バイヤーは単に怒りたいから怒っていただけだった。
そして、同時にそれは必然的に社会に必要とされている「嘘」だとも理解することができた。
自分の経験を正直に振り返ったときに分かるように、怒るときはまず間違いなく、怒りたいという感情だけで怒っているものだ。
年下の人に怒ったときを思い出せばいい。そこに教育の観点などほぼなかったはずだ。「くそ、こんな失敗しやがって」というストレートな感情だけだったはずだ。
だけど面白いもので、そうやって怒られたら次はチャントしなきゃ、と強く思うのも事実だである。なので、次は実際にチャントするから怒られる回数も減っていく。
ここに、「今俺は怒っているが、それは御社のために怒っているんダッ!!」という「嘘」が、バイヤー・サプライヤー間に必要な理由がある。
それでも同じ間違いを繰り返す阿呆は、仕事を減らされるか、社会から消去される。
・・・・
それにしても「バイヤーが怒っているのは感情からだ」というのがやっと分かった瞬間に、私は何か道徳的なしばりから解放された気分になった。
どこかバイヤーのいう「嘘」を私が言わない分、私は倫理的に上位に立った気がしたのだ。
加えておくと、私はある上位者と仕事をしたことがある。その人は、私が提出するサプライヤーからの見積りを見るたびに、しつこくしつこく質問してきた。
そのたびに、その人は「こうやって細かく細かくつっこんでいるのは、知りたいからじゃないぞー。イジワルしたいだけだ」と正直に言われた。
私は笑った。これほど正直に言ってもらったので、私はその人が好きになった。
そして、「お前のことを思って怒っている」と言われた偽善に比べて、素直に「お前にイジワルしてやる」と言われた偽悪の方が、はるかに自分をステップアップさせてくれた。
このことは、今になって私には非常に興味深く感じられるのだ。
「バイヤーは、ストレートな怒りをぶつけろ!!」