格差社会とバイヤー格差

「バイヤーなんて辞めてしまえっ!」

そのバイヤーは驚いた。

学生と話しているときのことだ。

そのバイヤーは、リクルーターとして「先輩社員との談話会」というものに参加せねばならなかった。

自分が学生だったときから、どれほど時間が経っているというのだろう。

先輩、といってもそんなに変わることのない年齢の学生たち。そういう人たちに何を教えられるというのか。

普通に感じていることを話すくらいしかできない。しかも、相手は学生だから、仕事の内容など話しても仕方がないだろう。

そう思っていたバイヤーは、期待を大きく裏切られることになる。

そのバイヤーが相手にしたのは、「購買・調達部門」希望という学生たち。

正直、そのバイヤーは想像がつかなかった。「学生のくせに、購買・調達部門に身を置きたい?」。

自分の学生のころは、バイヤーという仕事など思い浮かべることもできなかった。今ほどキャリアというものについて敏感ではない時代であったとしても。

しかし、目の前の学生たちは、本気で言っているのだ。「調達関係の仕事をしたいんです」と。

では、真面目に対応せねばならない、と思ったバイヤーに飛んできた質問は、「これまで、辞めようと思ったことはありますか?」。

ありがちな質問であるが、バイヤーは真面目に答えた。

「辞めよう、と思うどころか、『バイヤーなんて辞めてしまえっ』と言われました」と正直に答えた。

「バイヤーなんて辞めてしまえっ」。

そうか、そのときからどれだけ時間が経ったのだろう、とそのバイヤーは思った。

・・・・

そのバイヤーは私だった。

最近メルマガを通じて大学生の読者から感想をもらうことがある。大学生なのに、だ。

自分が学生だったときのことを考えると、その差に驚愕せざるを得ない。

私は、繰り返しだが、購買・調達に関わりたいと思っていたわけではないし、そういう仕事があることなど想像もできなかった。

だから、この仕事を目指している学生に対しては単純に「すごいなあ」と思うわけだ。

そして、少し思い出せば、この部門に配属される前に「どれだけ難しい仕事をしているのだろう」と不安になったことも覚えている。

しかし、配属されてから一年経ってみれば、どれだけ周りがたいしたことをやっていないかも分かってきた。

だから学生に言いたい。「そんなに心配するな」と。「特に年輩社員は本当にたいしたことないから心配するな」と。

調達・購買関係には2007年問題(熟練者が退職してしまい技術の伝達が危惧されること)は、存在しないのではないか、とすら思う。

昔は人間関係だけで取引を円滑させることができたので、それなりの存在意義はあっただろう。しかし、今では年輩社員から学べることは何か、と問われても分からない。

少し年輩社員に対して失礼だったかもしれない。確かに、まだまだ教えられることはたくさんある。出張旅費の清算方法とか、会議室の予約方法とか。

ごめん。

またしても皮肉が過ぎてしまった。

私が言いたいのは、若い人が恐れることなど何もないということだ。

・・・・

二年目のこと。

私は先輩社員の「設計の奴らの意識が低くて、購買部門をないがしろにしている」という発言を聞いた。

私は、「それはあなたが信頼されていないだけですよ」と正直に申し上げた。

すると、その先輩は怒り狂い「お前は全く分かっていない。バイヤーなんか辞めちまえ」と言った。

こういう発言をしてしまうバイヤーと、早い段階で出会えたのは私の財産である。

学生よ、覚えておけ。

会社に入ると、「全てを組織と社会のせいにしてしまう」人で溢れている。

そういう人は「そんなに文句があるなら辞めてしまえばよいではないですか」という当然の疑問すら受け付ける余裕すらない。

格差社会を批判する人は誰も、自分の給与を弱者に対して提供しようとしない。そんなに格差社会を嫌悪しているのであれば、今すぐに自分の全財産を貧困層に捧げればよいと私などは思うのだが、そういう口だけの人は本当に多い。

私がこのように好き勝手に自分の思っていることを書けるのは、「辞めさせられても、次の仕事がある」という確信に基づいている。

シンドラー社でも、不二家でも、雪印でもいい。これらの会社を一体誰が批判できるだろうか。これらの会社を批判できるのは、「たとえ上司や社長からの命令で、それに背いたらクビにされるとしても、自分の信念を貫き、倫理に反する行動はしない」と即答できる人のみだ。

組織や社会の責任にするのは上手なのに、自分のことになると「雰囲気に流されてしまう」人にどうやって個人としての独立ができるだろうか。

・・・・

人は常に抽象的なことに対して意見を持ちがちだ。それが自分に降りかかってきたときの具体的な状況を想像できる人は少ない。

常に、自分の責任を感じて仕事に取り組むこと。

社会や組織の責任にするくらいなら、その社会や組織を変えること。文句があるくらいなら、その社会や組織をいつ抜け出しても困らないように実力を蓄えること。

私が学生に、将来のバイヤーに期待することはそれくらいである。

そして、信じて欲しい。

真面目にやれば、誰だって本を一冊くらい出せる。

誰か私と一緒に若輩者ゆえの無鉄砲さで、購買改革をやってみないか。

「バイヤーは年配者を蹴散らせ!」

あわせて読みたい