バイヤーズ・ブート・キャンプへようこそ
「お前、学校で何を学んだんだよ!」
そのバイヤーは驚いた。
突然、自分の書類を破かれたからだ。
誰だって、提出した書類を目の前で破かれると、胸が張裂けそうになる。
それも、その職場に入って間もなくであればなおさらだ。
仕事の自分と、本当の自分は違う。そういってしまうのはたやすい。そう割り切れる人もいるのだろう。
しかし、多くの場合は、仕事で否定されることは、自分を否定されること。そう考えても仕方ないし、それくらい考える方が真面目に取り組んでいる証拠だ。
そのバイヤーは、提出した書類を、上司から目の前で破かれた。
提出して、上司がその書類に目を通した時間からいえば、おそらく最初の二行か三行くらいしか読んでいないくらいだ。
とにかく、「なっていない」のだという。
何が「なっていない」か。その答えは、「文章の書き方」、そして、「書類の渡し方」。そして、「それ以外の全て」とのことだった。
呆然としているバイヤーに、その上司は、こう言った。
「お前、学校で何を学んだんだよ!!」。
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そのバイヤーは私だった。
私であれば、書類を破ったりはしない。せいぜい、提出者が見えなくなって燃やすくらいだ。
冗談である。
歴史は語る。「部下から届いた書類は、何も見ずに3回つき返すくらいで、やっとマトモな書類が届く」と。
私は、そのような歴史の教訓をありがたがったりはしない。そのようなやり方は、この時代の効率性の要求に合致したりはしない。
私は、これからは、「部下から届いた書類は、しっかり見て、それで細かな指摘を繰り返し、3回つき返すくらいで、やっとマトモな書類が届く」ような方法が良いと思う。
私の上司は、私の書類を重箱の隅をつつくようになめまわした。
そして、一つでも気に食わないところがあったら、書類を破った。
私は、なんと素晴らしい指導者にめぐり合ったことだろうか。皮肉ではない。
この経験がなかったら、おそらく今の私はなかったと思うからだ。
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やや、自慢がちになるが、私が今では書類を猛スピードで作成できるのも、文章を高速で書けるのも、バイヤーという職業でありながら偉そうにしていないのは(笑)、この原体験があるからだ。
バイヤーの方々と色々と仕事をしたり、メールをもらったりするが、この過程で「ああ、この人は若い頃に基本的な教育を受ける機会を逸したのだな」と思うことがある。
お大事に。いや、皮肉ではない。
例えば
・「殿」とは、本来「年上が年下の人に対して使うものだから、社外の人には使うな」とか
・「ご苦労様」は、「年上が年下の人に対して使うものだから、社外の人には使うな」とか
・「させていただきます」とは本来誤った用法だから使うなとか
・「ひとり」と書くときは「一人」と書け、「1人」と書くなとか(後者は「いちにん」としか読めない)
・「○○課長様」とは、二重敬称だから使うなとか
もう、馬鹿みたいなので書かないが、こういうことは怒られ、しつこい指導の果てにしか身につかないものだ。
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大学はすでに、学習施設としてではなく、合コンとバイトのみを合わせた一大レジャーセンターとしての役割を果たしているから、そこでの学習効果は薄い。
ゆえに、若いバイヤーは無能の状態で入社するのは当然だし、一社のみを経験しただけのバイヤーでは、せいぜいその会社のカルチャーのみを習得したに過ぎない場合がある。
先輩や上司においては、若いバイヤーを徹底的に指導してやる。若いバイヤーにおいては、自分が無能者であることを自覚し、世の中の仕事の流儀の基本を学ぶことに精進する。
筋肉を動かしたことのない者、動かし方を知らない者が、大空に飛び立つことは難しい。
どんな馬鹿げたことであっても、まずはストレッチを学ぶ。その後にしか、調達筋肉の増強はありえない。
そして、基礎を学んでいない年長者も、これからであっても貪欲に学んでいく。こういうことの大切さがもっと見直されてもいい。
バイヤーは、サプライヤーからチヤホヤされて、最も克己という意識を持ちにくい職業であるからこそ自覚が必要なのだ。
無知である、ということは、まず「自分が無知である」と知ることから始まる。
「バイヤーは、書類を破られろ!!」