調達、あるいは幻想という名の活動
「作ってあげているんですよ!!」
営業マンは声を上げた。
それを目の前で聞いていたバイヤーは呆れるしかなかった。
カスタム品の納期調整会議でのことだ。
発注するたびに遅れる納期。しかも、内部の部品変更の通知は、いつも直前に届く。さらに、不具合も多発。納入数量はめちゃくちゃ。
これほどひどいサプライヤーが存在しても良いものか?
社内の誰もが困っていたときに、そのバイヤーが中心となって対策会議が開かれた。
正面に座る、サプライヤーの役員。そして営業マン。
こちらは、生産管理から設計、購買までが集う。
どのような生産管理体制をもっているのか。ひどい現状に対して、一体どのように改善しようとしているのか。
サプライヤーも必死に言い訳を繰り出す。しかし、こちらの困り具合は通常ではない。執拗にサプライヤーは責められた。
すると、業を煮やしたのか、サプライヤーの役員は一言こういった。
「じゃあ、もう止めさせてください。この製品を納入するのを止めさせてください。こっちは、こんな製品を、ずっと作ってあげているんですよ!!」と。
そこには、冷たい風が吹いた。
・・・・
そのバイヤーは私だった。
当サプライヤーは、どれほど最悪な会社だったか。
否--、最高のサプライヤーだった。ほんの10年ほど前までは。
製品は安い。細かな設計の変更にも応じてくれる。納入は協力的。
だった。昔は。
ゆえに、過去のバイヤーはこのサプライヤーに集約を行ってきたのだ。
カスタム品といえば、ここ。そこには深い意図もなく、自動的だった。ただし、その集約によって得られたコスト低減効果はものすごかった。
その後、そのサプライヤーは経営難を経る。多品種少量のカスタム品から撤退することは必然だった。
納入企業に対してお詫びを繰り返し、なんとかなんとかカスタム品の市場から撤退。しかし、最後まで残った売り先が私の企業だったというわけだ。
サプライヤーからしてみれば、昔からのカスタム品を飽きもせず生産している。それなのに、「ひどい」とは何事か、と。
ゆえに、役員は私に対して「作ってあげているのに、何を言うか」と凄んだわけだ。
・・・・
この出来事については、実は私の中でも整理がついていない。
アンビヴァレントな感想が思い浮かぶ。
事情はどうであれ、お金をもらっているくせに、「作ってあげている」とは、それこそ何様のつもりか。
でも、サプライヤーが言っていることももっともだ。それなら、こちらが買わなければ良い。
まあ、こういう離反した二つのことだ。
しかし、私は別のことを考えていた。
(1)それは、昨今「サプライヤーの集約」とか叫ばれているが、昔の方がよっぽど集約が進んでいたのではないか、ということ。
(2)サプライヤーの集約が進むと、むしろ将来的に障害を生むことの方が圧倒的に多いのではないか、ということ。
(1)では、戦略なき無能の方が、よっぽど集約が進むという逆説を見る。そして、(2)については、世の中の流行とは逆だが、そう思わざるを得ない。
(1)のようなことを言うと、「いや、それは昔は技術が単純で、サプライヤーが集約しやすかったのだ」と反論してくる人がいる。それならば、現代は集約などできない(集約を目指すことが間違っている)と言っているに過ぎない。誰か、この矛盾を説明せよ。
ただ、私がもっと強調したいのは(2)の方である。
・・・・
集約を進めすぎると、その集約の結果ゆえに、サプライヤーの方針転換に右往左往してしまうバイヤーをこれまでたくさん見てきた。
集約サプライヤーが倒産して、ラインを止めてしまったバイヤー。サプライヤーの業績不振にともなって、突如200%の価格値上げを要求され、「呑んでもらわなければ、供給をストップします」と死ぬ思いのバイヤー。
これらは、全て集約のせいだった。
誰か、集約で得ることのできたコスト低減額(効率向上も含む)と、万が一のときの損失を冷静に比較してみよ。
こういうことを言うと、「いや、そういうときに他社にすぐ切り替えのできる体制をつくっておくべきなのだ」と教科書を棒読みする人がいる。
では、カスタム品を「すぐ切り替えのできる体制」というものが一体何なのか、定量的に教えてもらいたい。
少なくとも私の知る限り、それを即答でき、社内で実施しているバイヤー(やコンサルタント)を一人も知らない。せいぜい、簡単なチップ部品とか図面さえあれば作れる成型品くらいだ。
ならば、集約などという言葉に惑わされずに、自ら信じた道をゆけばいい。
誰か、「これからは、サプライヤーの拡散だ」と言ってみないか。
「バイヤーは、サプライヤーを増やしまくれ!」