そして購買桜が咲く
「坂口君に、ちゃんと言っておいて!!」
そのバイヤーは返す言葉がなかった。
ある書類を設計者に届けにいったときのこと。
その設計者はかなりの年配の社員だった。
競合結果の分析と、発注先を決定するレポートを渡しに行ったときのことだ。それなりに分析していたし、最安値であるということ以外に、そこに発注すべき戦略上の理由も付け加えておいた。
そのバイヤーは、設計者に会うと「書類を届けにきました」と言った。
その設計者とはメールでのやりとりしかしたことがなかった。だから、お互い顔など分からない(大企業ゆえのことだろうか)。
その設計者(老年者)は、それを読むなり、「ダメ、ダメ、これ。全然分かってない。まずさあ、ここに決めるっていうのがなってないよ。ちゃんと考えてないんだろうなあ」とだけ言った。
そのバイヤーは入社一年目。
だから、非常に若く見えただろうし、目の前に立っている青年がメールのやり取りをしている「坂口」だとは思わず、小間使いの若手と思ったのだろう。
その設計者(老年者)は、こう吐き捨てた。
「これじゃ、全然ダメだから、そう坂口君に言っておいて。考え直すようにって」
そのバイヤーは少し黙ってしまった。が、反論を試みようとして「どこがダメか説明してください」と言った。
すると、その設計者(老年者)は単に「だから、ダメだって。坂口君にそう言っておけよ!」と聞く耳も持たないようだった。
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そのバイヤーは私だった。
自分が坂口であることを言わなかった私はなんと小心者だろう。
そういう自分のことを棚において申し上げる。
バイヤーはこのように、社内の人間から軽く思われることをずっとずっと恥かしいと思っていなければならない。
たしかに、若い頃から社内の年配者や、ときには社外の親子ほども歳の離れた人間とつきあうことになるけれど。それでも、そういう人たちから軽んじられることを、ずっとずっと恥かしく思っていなければならない。
私の場合、どうしたか。
その正当性を信じていたので、そこの部長にメールを差し上げた。もちろん、面識はない。「コストが高いにも拘らず、設計の都合だけで高いサプライヤーに発注を強要されています」と。「しかも、理由など全く無く」とも。
自分が正しいと思うことは、たとえ部長以上の役職者にも突きつけるべきだ。
私の例の場合は、非常に悔しかったので(若気の至りだろう)、事業部長にもメールし、対面したときに苦情を申し上げ、さらに関係部署に全て連絡し、大問題にしてやった。すると、設計者は謝りに来た。わはは。
ごめん。私のあまりにも大人気ない行動だった。
しかし、それでもなお、自分の正当性を証明するためには、そのくらいは必要だと思うし、「理屈ぬき」で自分に反論しようとする老年者たちを痛めつけるためには重要なことだと思うのだ。
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私の一つのテーマは「旧世代との決別」である。
よく、「最近の若者はなっとらん」と言われる。確かに、私も賛同したことがあるが、どう見ても客観的には年寄りのほうが「なっとらん」。
若いバイヤーや若い設計者は、言いたいことも言えずにモジモジしている人ばかりで大変奥ゆかしい(皮肉ではない、多分)。
それに対して、年寄りは平気で会議中に関係の無いことを大声で話し出すし、自分の過去の栄光を唐突に語るし、やたら自分のルールを固辞して柔軟性がない。
明らかに自分の機械の操作ミスなのに、「こういう機械は操作性が悪い」と言ったり。ただ、これは痴呆のせいかもしれないので、一概に本人を責めることはできない。
結論じみたことを言うつもりはないが、これからは「年寄りがいかに役に立たないか」が明確化してしまう哀しい時代ではないか。
かつて情報に不平等があった時代は、それなりに年寄りに「伝承」という役割があった。若手は分からないことがあると、年配者に相談していたし、年配者もそれに答えるだけの蓄積があった。
しかし、それが今ではもうない。設計回路にしても、調達材にしても、一部の分野を除いてほとんど過去の知識は使えない。そしてそれは技術進化のことを考えれば、良いことでもあるのだ。
そして、そこには、「若者よりも騒がしい老害」がただ残るだけだ。
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加齢することは簡単だ。だけど、加齢とともに、その重みだけ自分の重みを増すことは大変難しい。
「自己の幻影しか自慢できず、若手の理屈を聞けない」年配者とは徹底的に闘ってゆくしかない。
そう考えると、手前味噌ではあるけれど、購買ネットワーク会に参加している年配者はすごい。
普通、50代とか60代になって、20代や30代の青二才の発言などまともに聞こうとしないものだ。
それを同視線で聞き、吸収し、自己の発展に役立てる。こういう老年者にこそ未来はあるべきだ。
そして、こういう人たちの、含蓄に満ちた、それでいて奢らない本当の「説教」を今こそ聞きたい。
若手から貪欲に吸収し、現状に満足せず、常に次の夢を追いかけている、そんな生き様の果てに悟った購買道を聞きたい。
そして、同時にいつしか、新入社員の発言を「若いな」と思って聞いてしまう自分がいる。
その態度こそ---、最も忌み嫌うべき対象ではなかったか。子供の頃、大人が思うよりもずっとずっと世界のことを分かっていたように。新入社員の新鮮な視線から学ぶことは多い。
桜としての新入社員を迎える、購買部員にこそ捧げる。
「バイヤーは若手からこそ学べ!」