無意味に別れを告げて
「はい、残念、また明日」
そのバイヤーに接する営業マンは常に論理性を求められた。
通常であれば、バイヤーは営業マンが提出してきた見積りを元に交渉を開始する。
だが、そのバイヤーは価格をまず決定し、その理論に打ち勝つことができなければ、価格を上げることはできない。
・なぜ初回見積りと比してコストが上がるのか
・それはリーズナブルな理由か
ということを全て論理的(理論的、ではない)に説明せねばならない。
価格決定権は常にバイヤーにある。論理的に説明できないものはコストを上げることができないものだから、営業マンが諦めることもよくあった。
・そもそも、自分ですら論理的に説明できないものを客先に要求してよいものか?
・そもそも、説明不能なものは社内で抑えるべきではないのか。
・そもそも、取引をすること自体こちらの意思だ。
そういう意識が営業マンに芽生えたのでバイヤーとしては「してやったり」である。
当初から、この金額でしか発注はしない、と宣言しているだけに説得性もある。その金額以上に合意し、見積りを出したのは営業マン側である。
だから、それ以降バイヤーが納得できればコストは上がる。どんな不条理なことがあっても、バイヤーを説得できなければコストは上がらない。
そうして、今日もそのバイヤーは言うのだった。
「はい、それは論理的矛盾があります。コストアップは不可能。残念、また明日」と。
・・・・
そのバイヤーは私だった。
「交渉はバカがやること」と書いて以来、そのフレーズが面白かったのか、多くの反論と賛同メールを頂戴した。
この言葉の本質は、「バイヤーが買いたいコストを目標値として提示し、それに合意したサプライヤーが集まれば、なぜ交渉の必要性があるのか」ということだった。
それともう一つは、相手の見積りをベースに交渉するのであれば、それは相手側の訂正をお願いすることになり、こちら側にとって非常に困難だ、ということである。
考えてもみればいい。
相手の見積りを元に交渉するのであれば、相手が訂正しない限り安くはならない。
相手を説得しなければ安くはならない。
営業マンが最強に頑固者で、どんなに自明なことでも価格を譲らなければ、価格は高いままである。
それであるならば、価格をこちらで決めれば良い。
最初に「買いたい」価格を提示し、それ以降の状況変化における価格推移は、全てこちらが主導で価格を変えることとする。
そうすれば良い。
・・・・
具体的にはどうすればよいか。
おそらくカスタム品のことが多いだろう。
まず最初に、「こういう製品を1,000円で買いたい。可能な場合(売りたい場合)は名乗りをあげよ」とサプライヤーを募る。
そのときに、「見積もりは不要である」と言う(どうせ、1,000円なのだから)。議事録で1,000円で両社合意であることを記載する。
そして、「状況変化で1,000円からコストが上がったり下がったりしてしまうときは、私に言え、納得できたときにのみ価格を変化させる」と言う。
そういう条件で、納得するサプライヤーのみ見積りを出せ、と言う。
それだけだ。
そこであなたは、価格決定権の鮮やかな転移を見るだろう。
これまでは、サプライヤーに価格決定権があったのを、バイヤー側に取り返す。
そして、その後に仕様変動でコストが上がろうとしても、理屈を繰り返し繰り返し、営業マンが疲れるまでやる。徹底的にやる。
絶対に営業マンは仕様を完全に分かっていないから、ボロが出る。そして、コストのアップは認めない。
・・・・
ここまで聞いて、「それは極端だ」と思った人。
あなたは半分正しい。
しかし、半分は間違っている。
これからは「買い手がコストを決める時代」なのだ。逆じゃない。
バイヤーは交渉とか戦略の前に、「いかに自分の価格決定プロセスが、自分に有利に進められるか」を考えた方が良い。
いや、それだけで十分だ。
だれか私のやり方に違法性があればご連絡のほどを。
私は、価格決定権を握る環境作りこそが重要だと考えている。価格決定権を奪わねばならない、と思っている。
価格の決定権がないから、バイヤーは設計者の小間使いとしての認識しかされないのだ。だれか明確に否定できるか。
私は、製造業バイヤーが小売バイヤーから見習う最大の態度は、「価格決定の主体性」である、と強く思う。
「バイヤーは営業マンを理詰めにしろ!」