優秀な調達担当者はいつかかならず逆転する(坂口孝則)
以前、私の知り合いのひとから「どうしてもテレビに出たいので、紹介してもらえないか」といわれました。私はテレビに出るのが本業ではありません。ただ、数名はプロデューサーを知っています。先日、私が出演していた番組に出たいとのことで、そのプロデューサーに依頼に行きました。奇妙な話で、私は他人を売り込むなどめったにしません。ただ、私も断れなかったのですね。
すると、そのプロデューサーは、矢継ぎ早に質問をしてきました。「そのひとは、どんなご専門ですか」「正直、話は面白いですか」「テレビは秒単位で指示が出ますが、その秒数ぴったりで話をおさめられますか」「顔はどんな感じですか」「人格的に大丈夫ですか」……etc。できるだけ真摯に答えたつもりです。
しかし、結果は、ダメでした。「お話を聞く限りでは、現在、私たちが知っている先生方のほうが良いと感じました」「それに、あなた(坂口)のほうが、スタッフも存じ上げていますから、依頼しやすい」と。私の力が及ばず、紹介にはいたりませんでした。ところで、みなさんは、このプロデューサーをバイヤーと置換え、士業をサプライヤと置き換えたら、どう思うでしょうか。
ただ、その話に移る前に、プロデューサーが面白いことをいっていました。「今回ウチの番組では難しいかもしれません。ただ、ほんとうに才能のあるひとだったら、いつか世に出るでしょうから、そのときにお願いできると思います」と。みなさんは、この発言について、どう思いますか? 私はけっこう示唆深いと思うのですね。
さきほどのプロデューサーの発言のつづきです。たしかに、それは新人を探す力に欠けているともいえるでしょう。リスクを犯さないでチャレンジはできません。その意味でいえば、保守的すぎる。もっと新人を貪欲に探して行けよ、ともいえます。これはバイヤーと置き換えたときも同じかもしれませんね。
しかし、どうも、私は「ほんとうに才能のあるひとだったら、いつか世に出るでしょう」というのは、最大限の励ましの言葉のようにも感じるのです。どんなに現状は不遇かもしれない。くだらないこと、不条理なこと、馬鹿げたこと、しょうもないこと、誰かからの嫉妬、叱責、そして本質ではないいざこざ……それらにがんじがらめになっているかもしれない。でも、努力を重ねて、知識と才能を磨き上げることさえできれば――、これを才能と呼びますが――、ほんとうにいつか世に出るかもしれない。いや、おそらく確実に出てくるのでしょうね。
その意味では、いまの仕事がどんなに不服なものであっても、それを頑張る、という事実のみがあなたをいつか救うのでしょう。それを信じるのは悪いことじゃないし、むしろほんとうの勇気をくれるものだと私は思います。だからさ。「いまの仕事なんて、くだらねえよ」とか「やる気ねえよ」とかいわずに、頑張ろうよ、ね。