徹夜は努力ではない(坂口孝則)

私は現代芸術家の村上隆さんのファンでして、氏の書籍にこのような記述があります。これは村上さんが知人と話しているときの内容です。

<「俺、このトシで徹夜しちゃったんだよなぁ。ムラカミ、おまえ、今、徹夜できるか?」……はぁ? 徹夜をするかしないかなんて、美術の地獄の世界を生き抜くつらさに比べれば、つらさの判断基準にもなりません。>

村上さんは、さらにこう続けます。<「芸術のビジネスの世界でタフな戦争をし続けることから、この人は、逃げているんだ。一夜の徹夜の陶酔と興奮で酔えるヤツだったのか。徹夜したことでほめられたいのか。そんな学生気分の徹夜の方が、世界と渡りあうことよりも、優先順位が高かったのか」志も夢も違っていたのかなと、ぼくは残念に思うのです。『芸術起業論』幻冬舎>

これは厳しい記述だな、と私(坂口)は思います。しかし、プロから見ると、徹夜したとかしないとかは、まったく判断の基準ではないのです。世界と闘っていくときに重要なのは、結果であり、作品だけです。サラリーマンはこれほど厳しい世界には生きていません。ただし、この村上さんの指摘は非常に示唆に富んでいると思います。

私がずっと努力が必要だ、といっているのは、徹夜せよ、の意味ではありません。徹夜したとかうんぬんを他人に「言いたくなってしまう」ていどでは努力ではないのでしょうね、きっと。徹夜をすることは地獄っぽいけれども、ぜんぜん地獄ではないのです。どうも最近、道具とツールが発展してきたからか、努力はしないでもOKという風潮が広がり続けている気がします。それでも、それぞれの仕事に熟練するまでには努力が必要です。そして、うかうかしていると、他国の労働者が追い抜いていきます。

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