調達は俗説に惑わせれてはいけない(坂口孝則)

このところ、調達・購買の歴史について調べています。もっというと、さらに大きな日本製造業の歴史について調査しています。そこでわかったのがいくつかあります。そのなかでも私にとって面白かったのは、次のようなことです。一般的に、よく「大量生産の時代が終わって、微量一品生産になったため日本製造業の強みが失われた」といわれます。

しかし、これはほんとうなのでしょうか。歴史的に見れば、大量生産は一時期にすぎません。江戸時代から、つい最近まで日本はマスカスタマイゼーションの大国だったのが事実です。一例として婦人服をあげましょう。

1960年の調査では、ヨーロッパは全体の90%、アメリカでは95%が既製服として流通していました。それにたいして日本では既製服の比率はわずか40%であり、60%はオーダーメイドでした。調査年代が異なってしまうものの、家庭においても1954年には62%がミシンを有し、これは他国と比しても高比率だったのです。

さらに、この女性たちは自家用衣料を縫製するだけではなく、多数が内職の形で産業に貢献していたと見られます。もちろん、これは衣料品の世界だけではありません。

現在、マスカスタマイゼーションなる潮流があります。これはさまざまな訳が可能ではありますが、ここでは「微量一個生産を可能とする、柔軟な製造システム。個々人の嗜好にあわせた特注品の製造」と定義しておきます。つまり、これまで大量生産によって少品種を提供していたところ、顧客の好みが多様化するなか、一品生産を可能とするものです。

当然の計算で、コストが1割アップしたとしても、売価が2割以上アップすれば問題がありません。利益は向上します。顧客に付加価値を感じてもらうことに肝要があります。欧米は、このマスカスタマイゼーションのために、インダストリー4.0だとか、3Dプリンターなどの技術を開発してきています。

かつて日本では、マスカスタマイゼーションとはいわないものの、ほぼそれを具現化していました。つまり、温故知新というか、世界に先立つ現実を具体化していたのが日本だったのです。

そこで私は思います。ほんとうに日本は遅れているのだろうか、と。日本では大量生産がむしろ例外的な時期だったのです。マスカスタマイゼーションが主流だった日本では、むしろ現代に応用できるノウハウが溜まっているのではないか。

日本はこれからどうやってマスカスタマイゼーションの世界で対峙していくのでしょうか。もちろん生産テクノロジーの進化によって無数の商品を作るのも一手でしょう。ただ、日本はかつて無数の内職=職人に支えられていました。日本人はいまだに手先の器用さでは他国の群を抜きます。日本には見えない経営資源が無数に眠っています。これらのハイブリッドこそが日本の次なる方向性のような気がしてなりません。

さらに事実を指摘します。先進国のなかで、かつて少量多品種の調達ノウハウ本が日本よりたくさん出版された国はありません。それは50年代や60年代で、そのほとんどが絶版です。ただ、それらを読み返し施策を練ることが、いまの日本製造業に重要な指針を与えてくれると思うのです。日本企業のヒントは、海外にあるのではなく、おそらく、先達の経験に眠っているはずなのです。

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