失意の中で購買部門へ異動した私
私はかつて営業部門で働いていました。発電設備の法人営業です。工業団地のデベロッパーや海外進出を決定した企業が担当でした。大手企業の海外進出案件では、担当部門に対しアプローチを行ったり、工場建設を担うゼネコンやサブコンに営業したりしていました。ゼネコンでも施主でも、購買部門の役職者が最後に登場し交渉していました。ほとんど話をしたことがない購買部門の役職者との価格交渉です。
交渉は価格の妥当性や競合他社との競争の結果ではなく、購買担当者のメンツが前面に押し出されました。メンツを立てるため、社内承認を得るため、私はあらかじめ一定額の値引きを準備。あからさまに「購買との交渉ではこれぐらいの金額を引いてください」といった話を受けるケースも多くありました。
セレモニー的な価格交渉を繰り返した私は、いつしか購買部門の存在意義を否定的に考えていました。交渉相手の中には、交渉の場ではじめて見積書を受け取り「挨拶と思って10%引いてください」といった言葉を繰り出す人もいました。私に購買部門の「根拠なき最後の一押し」を想定した価格交渉プロセス設定をしていました。買い手の対応による、売り手としての学びでした。
二十数年前の出来事を今振り返ってみてもやっぱり納得できません。ポイントは「いったい購買部門の存在意義は何だろう」です。社内の関連部門に用意され、当日見積書を受け取り「挨拶として10%価格を引け」と伝えることが、はたして購買部門の仕事だろうか。もっと別のアプローチはないのだろうか。そんなふうに考え、顧客の購買部門に対し貢献したい気持ち同時に軽べつしながら営業案件に取り組んでいました。
そんな中、社内ルールで他部門に異動を迫られました。当時の私は営業担当者としてやっと案件を自分の力でまとめられる、いうなれば営業の面白さがやっとの思いでわかりはじめてきたタイミングでした。でも会社のルールには従わなければならないし…。結局営業以外だったらどこの部門でも同じと思い、異動先は上司に一任しました。すると購買部門への異動が内示。上司に一任した以上、自分が存在を否定している購買部門への異動に文句は言えませんでした。
会社のルールとはいえ、営業に未練を残したまま、存在意義が感じられない購買部門への異動は、私にとって失意以外の何物でもありまでんした。営業時代に感じた購買部門の理不尽さをいかに自分が行わないか、どうしたら業績に貢献できるのかを考える事が、購買部門における私の最初の仕事でした。