あなたの「買い方」を変えたい!!
「あの金さえあれば、俺のマンションの借金が返済できたのに」
こう言って、酔いつぶれた男性はバイヤーの目の前で泣き崩れた。
「ああ、それだけの金額を、ゼロにしてしまった」
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一度だけ男性に泣かれたことがある。
目の前のバイヤーとは私だった。
ある取引の交渉のとき、私は価格を下げるのに必死だった。「ここをこうやれば、いくら下がる」「こうしたらいくら下がる」「最後にご協力として5%値引いてくれ」。
交渉の結果、元の価格から比較して2年間で約4千万円のコストダウンをした金額で契約することになった。
営業マンも必死だった。真面目に真面目に。こちらの言い分で理解できるところは認める。理解できないところは認めない。
しかし、もちろん契約が成立した後となっては、「お疲れ様です」とお互い言い合い、外で一杯やりましょうか、ということになった。
私たちは今までの苦労を忘れるように呑みに呑んだ。
そしてその営業マンは、最近マンションを買ったと話し始めた。
「あとね、4千万円ほど借金があるんですね。ほら、その金額って今日打合せしたコスト減の金額といっしょでしょう。なんか、気持ちが複雑でね」
そして営業マンは、あの金があれば俺のマンションの借金が返済できるのに、と泣いた。
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会社は人間の感覚を狂わせる。大会社の一員であればなおさらだ。この営業マンが狂っているのではない。私たちが狂っているのだ、と思った。
会社の数字であれば、机上で「はい、3千万円ね」「これは5百万円下げといて」「これ1千万円アップね」と、簡単に言ってしまう。だけれど、1千万円の価値は個人であれ会社であれ、かわらない。
この営業マンは熱意のある人物だった。必死で会社のことを考え、そして自分の実績とキャリアを考えていた。
会社の金を自分の金を勘違いすることを推奨しているのではもちろんない。
会社の金を自分の金と勘違いしてしまえば、新聞記事に載ってしまうようなサラリーマンの横領事件につながってしまうだろう。会社の金はもちろん自分の金ではない。会社の金で自己のみが潤えば、いつかしっぺ返しがくる。これは当然だ。
しかし、多くの人が、会社の損害はまさに自分の損害だと感じることができたら、どれだけ必死になって業務をすることができるだろう。
私の言いたいことは、皆が個人事業のように必死に会社の損失を無くすように努力し、改善につなげることができれば、どんなに生産性があがるだろうか、ということだけだ。
会社は多くの人の感覚を麻痺させる。
その麻痺から立ち直ろう。
・価格交渉のとき面倒だからといって下がる余地があるのに妥協していませんか。
・ムダ、とわかっている作業を繰り返していませんか。
・個人としては絶対にやらない行為(まとめ買いや商品廃却)をやっていませんか。
個人というミクロレベルで実施しないこと、実施したくないことは多くの場合個人の損益に直結するのでよく考えられていることが多い。それに比して、会社員の一員としての行動は個人の損益にかならずしも直結しないので「ありえないこと」を生んでしまう場合がある。
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「ありえない」ことを克服したバイヤーもいる。ある百貨店のバイヤーだ。
彼は自分の買った服が売り場で全く売れないことに悩んでいた。
しかし、あることから彼の買った服が売れ始めた。彼の買い付けた服は次々に売れ、トップのバイヤーになった。突然の売上増のヒケツは簡単だった。
彼がやったことは「売り場に立ってお客を観察した」ということだけだった。
一体お客さんは何を望んでいるんだ?どういう時期に、どういうものが好まれるんだ?どういうものとどういうものを購入していくんだ?
これらを調査しただけだった。それまでその百貨店のバイヤーは売り場に立つことなどなかった。「市場リサーチ」やマーケティングの資料とにらめっこし、流行レポートやらを信じて買い付けを実施していた。
自分のお金であれば、自分の好きなもの以外の服など買うはずがない。自分の納得したもの以外は買うはずがない。会社の金であれば自分の納得しないものでも買っていい、などということがあってもよいだろうか。
これは買うべきだ、個人としても買いたい。そしてこれを買うことによって自社の利益になるはずだ。これを確信できず、ものを買ってもよいだろうか。
やるべきことは簡単だ。自分で納得した買い物をしよう。そして自分の金であっても、後悔しない金の使い方を、しよう。