3章-1:コスト削減
コスト削減の宿命
コスト削減の仕事をしていると気づく、奇妙な事実があります。私はかつて、コンサルティングでコスト削減を請け負っていました。すると、コンサルタントの多くは途中で心が折れ、そして退職していくのです。
私は、現在では調達・購買組織の、組織変革や取引先評価を請け負っています。そうすると、コンサルタントのメンバーは辞めません。この違いはなんでしょうか。きっと、なにかを削減しなければいけない仕事=すべてをマイナスにしなければならない仕事、に多くは耐えられないのではないかと思います。
コスト削減は、調達機能の重要な仕事と考えられています。ただ、それは100円を99円に。99円を98円に、と、つねにマイナスの方向に志向するものです。本来は、そこに、他部門のために、という他者志向があるはずです。ただ、業務を重ねていると、つねにその意義を失念しがちです。
そこで、製造業でのエピソードですが、ぜひ共有したい話があります。
その調達担当者は、仕事のすべてに熱中できない男性でした。日々の納期フォローは、元はといえば、生産管理のデタラメさからきたもの。「それをなぜ俺が交渉せねばならないのだ。価格交渉だってつまらない。なんで自分が決定したわけでもない製品の交渉をしなければいけないんだ。毎年のコスト低減だって……」。この仕事の不条理さにいつもイヤになっていました。
もちろん、そんな仕事に熱中できるわけはありません。
彼は、上司との定期面談のときに、今の仕事に不満を感じていることと、「辞めることも考えています」ということを伝えました。上司はなんとか説得を試みたものの、熱意のないその部下を説得することをやめてしまったのです。
「私はこんなことをするために会社にいるんじゃないと思うんです」。それが彼の口癖でした。毎日流れてくる伝票。それを画面に転記しては、取引先のコードを入力する。見積書が届けば、適当に交渉して、その金額をシステムに入力する。どこにも感動のない仕事。そして単調な毎日。そのすべてが、「こんなことをするために会社にいるんじゃない」と思わせる源になっていました。