2-(5)-2 これまでの常識⑤・・・競合だけでコストを下げようと思っている
・競合は一つの手段である
私の例に笑ってしまうでしょうか。いや、多くのバイヤーは笑えないはずです。ほとんどの場合は、競合見積りの依頼前に発注したいサプライヤーが決定しています。そのこと自体は、戦略もあるでしょうから、悪いことではありません。しかし、それならばなぜ競合などする必要があるのか。本命に他社の見積りを見せて揺さぶりたいのであれば、他社にお願いして白紙の見積り書をもらって偽造すれば良いではないか。そういう極論に真っ向から反論できる人はいません。
競合とは、市場原理を利用して製品の価格を下げる試みです。安い金額で調達したい買い手がいて、他社の動向を察しながらより安い金額で提供しようとするサプライヤーがいて、それは実現します。多くのサプライヤーが存在し、バイヤーも最安値のところから買う気があれば、相当に有効な手段でしょう。どのサプライヤーも気が抜けず、失注するかもしれないという緊張感が価格を下げさせる動機になります。
ただ、高度資本主義社会においては、バイヤー企業は他社との差異化を極限まで試みることになります。市場においてオンリーワンの価値を持ち、より多くのお客に受け入れられるように、し烈な開発競争に参入することを義務付けられているのです。オンリーワンの価値を持つ最終製品を作ろうと思えば、その中に組み込む製品類においても特異性を要求せざるを得ません。それは、「どこにでもできる製品」から「そこにしかできない製品」を調達するということです。
バイヤーは、その変移にならって、競わせて下げる領域から、競争相手のいない領域の調達を考えていくことになります。私は、競合させることを否定したいわけでも、競合させることができなくなる言いたいわけでもありません。原稿を、パソコンで書く人も、PDAで書く人も、携帯電話で書く人もいる一方で、未だに手書きしている人がいるようなものです。競合させる手段も残っていくはずですが、割合が低くなっていくということを言っています。
米国の調査によると、数年前までは「バイヤーに求められる能力」は「コスト低減」とされていました。それが、近年「サプライヤーリレーションの向上」に移ってきたのは、とても示唆的です。それは、「コストを安くする」という最終目的は前提としています。その上で、特定メーカーとの関係向上を図ることであり、特定メーカーに肩入れし、競争力の向上を推進していくことです。
あるバイヤー企業では、競合など一切実施しないといいます。サプライヤーを自社製品のコンセプト作りの段階から決定し、そのサプライヤーに初期プロセスから参加してもらうことによって、彼らの技術力や発想力を取り込むのです。こういった少なからぬ企業のバイヤーは、次のような手法によって価格を適正化しています。
- 原価企画の段階から目標コストを明確に提示し、サプライヤーと合意する(1社集中で、合意形成を図る)
- 目標コストに達しない場合は、詳細見積りにより「どこがボトルネックになっているのか」を把握し、サプライヤー特性に合わせて、設計部門とも共同し仕様を変更していく
- 長期的な自社の製品ロードマップを特定サプライヤーにも提示することによって、それに合わせた長期人員計画・設備導入計画・新技術開発計画を両社で作る
これは癒着ではないか、と思われた方。その通り。これは戦略的な癒着なのです。これからは、単に競合させコストを下げたり、机を叩いて理屈抜きに価格を下げさせる交渉をしたりするだけではなく、もっと戦略的な見識が求められているのですね。
競争化社会が進めば進むほど、戦略的な癒着が必要だとは、なんだか逆説的な話です。しかし、考えてみて下さい。バイヤーが、競合によって下げるだけであれば、そこにどんなスキルが必要とされているのでしょうか。それは市場原理を利用しただけの話で、誰だってできるのではないか。現にリバースオークションのようなツールも登場し、バイヤーなどいなくても、自動的に競合させ価格を下げることが実現されています。
単なる「競合屋」では、バイヤーの価値はどんどん下がっていくでしょう。競合させる側も、競合させられる側にまわる。それは、現代社会の一つの帰結なのです。