5章-11 モチベーションゼロの仕事術

6.情熱的でなくても情熱的に語ろう

私は講演に呼ばれることが多い。そして、講演の前や後に、私と話したひとは、私の印象がだいぶ異なるという。講演ではできるかぎり情熱的に熱く考えを述べる。しかし、普段の私は自信がなく、穏やかで(?)、普通の人間だ。自分の考えにも絶対的だと思っておらず、ふらふらしている。確固たる信念もないし、宗教や特定のイデオロギーにも縛られていない。

しかし、重要な場面ではできるだけ情熱的にふるまうことを意識している。やる気やモチベーションがないのと、やる気やモチベーションがないように見えるのは別のことだ。私は何度も書いたとおり、モチベーションがなくてもよいと考えている。あくまで他者を仕事の結果や、プロセスの卓越性で評価したい。

ただ、それでもなお、他者はじぶんをモチベーションの有無で測ろうとする。それゆえに、情熱的のように見える必要がある。陰鬱そうな若手のビジネスマンと話していると、「この仕事にやる気がないんですよ」という。しかし、そのひとの心持ちと見え方は別物であるべきだ。

(1)情熱的に仕事に取り組んでいると思われたほうが、周囲にも好影響を与える

本人がどうであれ、やる気がないように見えるひとには、周囲が近づかなくなることがある。私は必ずしも他者とのふれあいを第一に考えていないし、孤独が好きだ。ただ、凡人であるほど情報収集のためにも演じることは有効だ。

(2)年長者から信じてもらえる

偽悪的に書くことをお許しいただきたい。若手ビジネスマンであるほど、仕事上でつきあうひとは年長者が多い。なかには、親子ほども離れたひともいるだろう。彼らから信頼を得るのは、ある種の熱っぽさである。

たとえば、あなたが25歳だとする。55歳の上司がいたとしよう。25歳のあなたと、45歳の同僚が、55歳の上司に同じ発言をしても、それは等価ではない。やはり経験と実績に裏付けされた55歳の発言が重い。ここでは、25歳のあなたと55歳の同僚の能力差はひとまず置いておく。そのときに、55歳の同僚よりも自分への信頼を勝ち取る、「この仕事をやりたいんです」といったときに55歳の同僚よりも25歳のあなたに任せてもらえるようにする。そのためには、熱意を込めて語る必要がある。すべての判断をデータと論理でくだすひとはいない。「このひとに賭けてみよう」と超論理的な側面がかならずある。

(3)情熱的に語るほど、自分も勘違いしだす

私は体と心は同じものであるといった。体、すなわち外見と行動を変化させることによって、心が変わってくる。何度か書いたとおり、その仕事に情熱的に取り組めるのではないかと勘違いできる。そして、それは優れた勘違い、前進的錯覚である。

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