2章-11 モチベーションゼロの仕事術
私は繰り返し<いまの気持ちではなく、いまの目の前の仕事に集中せよ>と書いた。その意味では、かつての主人公は若気の至りゆえに失敗したといえるだろう。いまの気持ちを優先することによる誤謬。しかし、私はこれをふたたび述べるつもりはない。私にとって興味深かったのは、主人公がかつて頼子を愛していた自分を見て、頼子への愛情を復活させたのではなく、仕事への意志を復活させたことだった(インターネットでいくつもの感想を読んだものの、幼いころの私と同じこの感想をもつひとはいなかった)。
愛と仕事を逆転させてみれば、この奇妙さがわかるだろう。たとえば、主人公はサラリーマンでありながら、マンガ家になる夢を捨てきれず、その情熱ゆえにマンガ家になって、その後ホームレスに転落したとしよう。その主人公が過去に戻り、マンガ家になりたい情熱にあふれた自分を見て感化され、これから新しい愛を見つけようと決意するだろうか。愛から仕事への転化はあっても、仕事から愛への転化は難しい。少なくとも私には想像ができない。
この短編では頼子がどうなったかは書かれていない。しかし、主人公が頼子を探して愛を再確認するストーリーであれば、幼い私に衝撃はなかったのだろう。ただ、主人公はその瞬間に頼子を必死で愛したかつての自分を見て、今からでも何かの仕事をはじめられるというメッセージを受け取った。現在の認められず貧しい自分の境遇を変えられると知った。
二人の主人公は、過去でも将来でもなく、今に集中することによって、そして今を生きる決意をすることによって、「意味」を得た。ただし、かつての自分は対象を愛として。現在の自分は対象を仕事として。以前の図でいうところの③から④に落ちた主人公は、仕事によって①、いや②へと浮上しようとしている。
この結論は瞬間の突発的な愛を否定するものではない。むしろかつての主人公は、そのときの仕事に集中することによって、頼子と付き合っているほうが、むしろ仕事の成果が出ることを周囲に理解させるべきだっただろう。漠然とした夢を描くのではなく、肉親や社会から認められるためにいまに集中すべきだっただろう。私たちは社会とつながろうと思えば、仕事を通じてしかありえない。そして、お金になる認められる仕事を重ねることで、家族やパートナーとの関係もより良いものになるだろう。考えてみれば、パートナーが、社会とのつながりを意味する仕事で認められているのと、認められていないのとでは、どちらが良いかは自明だろう。
私はそっと、あの主人公のことを思い出している。人生は長い。「ひと花咲か」すことだけにとらわれることなく、仕事への意志がたまゆらではなく、たんたんと仕事をこなし、いつか仕事が愉しいと誤解してくれることを願って。