2-3.購買分析 ~赤鉛筆購買から黒鉛筆購買へ 「新しい購買の超コスト分析法」~
そしてあるときは、イカサマのコストダウン報告に出会った。とある先輩バイヤー大型の原価低減で表彰された。その内容は例えば、基板用抵抗器の種類削減だった。確かに、種類は削減してコストは下がったかのように見えたものの、代替品はカラーコードのない台湾品。現場では混乱し、マーキングを施したり、組み付けミスが多発。
挙句の果てに、足回りの違う大きさのものを統合したゆえに、現場では穴加工のやり直しを実施していた。他の例は、ブレーカーのコスト削減案。確かに、コストは削減したものの、他のユニットが標準化されているために、取り付け位置を変えることができない。そこで取り付け位置の補正のためにブラケットを追加して対応することになっていた。
そのブラケット費用とアッセンブリー費用を合算したら、コスト減の効果を遥かに超していた。バイヤーのコスト削減は単品でなく、物流や工作やその他の変化仕様等、全ての外部環境を含めたものとせねばならない。それなのに、この先輩バイヤーは、流行のコストドライバー分析などはもちろん知りもせず、局地的なコストダウンのみを取り上げては自己満足に浸っていた。全く意味のないことだった。
私はその後、部内で多少評価され名前が売れると共に、「トータルコストでの評価」を提唱し、評価の一軸に入れてもらった。もちろん、私の行ったことの全てが効果があったとは言わない。だけど、少しずつ変わってきた。それもこれも全て、これまでの常識にとらわれていないからこそできたことだった。設計者のフロアに遊びに行くと、常にうらやましい場面に出会うことになる。
そこでは、いつも若い設計者が、年輩の設計者に技術的な質問を交わしていた。「どうやったら上手く回路が動くか」「この新しい技術をいかに製品に応用するか」「過去のトラブルを繰り返さないためにはどうしたらよいか」。そこには、個々人の発想があった。個々人の工夫があった。失敗の分析と次につなげるための施策の提案があった。
振り返ってみるに、購買の中で「どうやったら理論的に安くモノが買えるか」と若いバイヤーが先輩バイヤーに相談しているところなどほとんどお目にかかれない。せいぜいあるのは「あのサプライヤをもうちょっと叩いて、安くしろ!!」とか「こんなナメた見積り出しやがって、あそこの部長に言っとけ」とか、そんなレベルの話くらいだ。これでは、購買に配属される若い人の熱意が年とともに低下していくのは当然だと言ってもいい。
本来、購買とは「多くの発意の中で自社に価値のあるものにお金を払い続ける営み」である。もしそれが正しいとするならば、購買とはアウトプット(=自社製品)と同じく、インプット(=買うという行為)を通じて世の中の価値を再定義する試みである。その再定義に携わる人間が、自主的なコスト評価を捨ててしまってよいのだろうか。力に頼った業務にばかり傾倒してよいのだろうか。バイヤーはコスト評価のネタを自ら進んで仕込み、愚直で地道な分析をもとに理論的な交渉をしなければならないのではないか。受身業務から能動業務変更していかねばならないのだ。