調達部員の給与はなぜ安いのか
私が印象に残っているエピソードがあります。私が会社員時代、上司が執行役員になったのですが、その新任の執行役員Aさんにたいして、社員が「ウチで執行役員になったら年収が2000万円だけど、某社で執行役員になったら4000万円だったのにね」と会話していたことです。そのAさんは、学生時代に、その某社にも内定をもらっていたそうです。
もっとも、その某社でもAさんが執行役員にまで上り詰めたかはわかりません。また愉悦や好みもわかりません。ただ、おなじ能力の持ち主でも、2000万円もの開きが出る事実自体に興味をもったのです。
これ以降、ちょっと難しい言葉もでてきますが、重要な内容なので、よかったらお読みください。
むかし、マルクスという経済学者は、こんなことを考えました。世の中、すべては取引なんだ、商品を買ったり、売ったりするだけではなく、そう意識しないものまで取引なんだ、と。ということは、人間が生きていく以上は、自分という商品を売り物にして、それを誰かに買ってもらうしかない。その買い手のことをマルクスは資本家、といいました。ここでは、株主とか会社とかを指すと思っておいてください。そして、その売り手を、労働者と呼びました。
じゃあ、その資本家は、どうやって、労働者に払う対価を決めるのでしょうか。
労働力も商品だといいました。たとえば、自動車は、ネジとかプラスチックの部品とか、鉄板とか、もろもろの原価が積みあがって、それで価格が決まります。これは、みなさんが調達・購買部員なのでわかってもらえると思います。自動車が商品であるのとおなじように、労働力も商品なのですから、労働力の対価は、労働者が生活できる原価を積み上げものになります。
労働者が生活するために、衣食住が必要です。そして、通信費などもかかるでしょう。それらを加算していって、世間一般ではこれくらいあればいいという水準が決まります。日本では新卒月給が20万円がずっと続いています。だからこの考え方を前提とすれば、みなさんの給料で働くのがやっと。ほとんど預貯金できないのは当然です。
重要なのは、当然ながら、労働者一人ひとりの事情は勘案しない点です。あくまで相場で、労働者の給料が決まります。年功序列で給料はじょじょにあがる会社があります。あれはなぜかというと、加齢するごとに、生活費があがるからです。結婚したり、子どもができたり、家を建てたりする必要があります。おなじく、この生活費ギリギリで設定されますから、ずっと給料が低い、という状況が続きます。
「調達部員の給与はなぜ安いのか」。その答えは、「その給料で生活できるはずだから」ならびに、「おなじくらいの能力のひとが、その給料で働いているから」です。調達部員は、調達品の価格査定をします。おなじく、会社も社員の生活コストを積算すると、いまの給料になる、というわけです。だから、給料は、生活がラクになるレベルにはあがりません。
ここまでが、マルクスが説明した「労働価値説」です。ところで、この考えは、いまでは「そんな単純じゃないよ」と否定されています。ただ、現在の日本は、まさにマルクスがいったような状況なんじゃないでしょうか。全員が、自分の能力にくらべて、自分の働きにくらべて、給与が低いと思っている。
ところで、冒頭のエピソードを思い出してください。平均で見ると、マルクスが予期したような状況になっている。ただし、そのなかでも、給料が高いところがあります。いろいろな研究を見ると、ミもフタもないことがわかってきます。「どんなに優秀なひとでも、業界の給与水準を突破するのは難しい」。つまり、おなじ能力のひとが二人いたとして、金属加工業と製薬業では、後者の給料が圧倒的に有利ということです。もっといえば、どの会社を選んだかで、給与はほぼ決まります。
さらに、いくつかの研究は、どの会社が業界を選ぶかで、利益水準はほとんど決まってしまう、とわかっています。
ではどうすればいいのでしょうか。もちろん、私は現在の会社で働き続けることを勧めます。本気です。上記は、あくまでもカネに焦点を絞った下品な話です。いまの企業内で技を卓越したレベルにもっていったほうがよいからです。なぜなら、上記は平均的な社員の話です。突き抜けようと思ったら、伝説の社員になって、日本レベルですごさを認めてもらえる調達部員になればいい。そうなれば、どこからも声がかかるようになるので、マルクスも平均給与もはるかに超えることができます。
ところで、私は10年ほどまえの文章では、かならず下の文で締めくくっていました。ひさびさに書いておきます。
「世界一のバイヤーになってみろ!」
(今回の文章は坂口孝則が担当しました)