生き残れない調達・購買担当者について
これまで、いくつか私の文章を読んだことがある人であれば、私が
買担当者をやっているなかで多くの過酷な状況に置かれていたこと
くれているでしょう。ときには泣いてしまったこともあるほどです
そんな状況から私はなんとか今日までやってきました。
なぜか。
どうやったのか。
方法論の前にお話ししたいことがあります。まず、一つの気付きが
た。「解決できない問題は、そもそもその人に与えられない」とい
す。
考えれば当たり前でしょう。「明日必ず雨を降らせなければいけな
う問題や悩みはありえず、「明日中に100億円を用意せねばなら
いう問題も、おそらくありません。もっと簡単で解決できる問題ば
ただし、問題を問題として放置して、その波に飲み込まれてしまう
れてしまっている人もいます。諦観、諦めの極地といったところで
「仕事はこんなもんだ」という「悟り」があるために、なんら現状
ようとしないのです。必ず目の前の状況は打破できる、必ず目の前
解決できる、と信じない人にはおそらくそのままの状況が続くだけ
ジャックウェルチの著作『ジャック・ウェルチ わが経営』に私は感銘を受け
たことがあります。たった一人の設計者からキャリアをスタートし
チはその異常ともいえる行動力を発揮し、次々と周囲をその情熱に
ついにはCEOにまで登りつめていきます。あるいは、マイクロソ
性技術者の自叙伝的な名作である『私がマイクロソフトで学んだこ
動的な作品です。女性でありながら、プロジェクトのリーダーとし
いとわず、そして関係者を巻き込み、かつてのマイクロソフト帝国
担っていきました。
これらの本を私が読んだのは、仕事でもっとも苦しい時期のことで
とき、「もし」と仮定を設けてみました。もし自分に、ウエルチや
ビックが乗りうつったとしたら。憑依したとしたらどうなるだろう
そらく、信じられないスピードと実力と情熱で、仕事を塗り替えて
ずです。そして、注目を集め、今の自分のようなみじめな立場には
なかったのではないだろうか。そう思いました。
もちろん、私たち全員が超人的な能力や脳力を持っているわけでは
ん。それに熱意だって既存値以上にはなかなか長続きしないもので
し、目の前の現状を変えるくらいは可能ではないか。CEOとか世
を残す仕事は、いきなりは不可能かもしれない。それでも、「解決
問題は、そもそもその人に与えられない」のだから、一歩ずつ改善
ことくらいは可能ではないか。そう考えたのです。
そして同時に気づいたのは、これらの偉人たちが、意外と戦略を持
かったことです。「入社時からこういう目標を持っていて、それが
という人がいます。ただ、そこには若干のウソが含まれているはず
ちろん、まったくのウソではありません。しかし、「それが実現し
うとき、その「それ」は第一の目標ではなかったことが多いのです
第三だったかもしれない。あるいは欄外のものだったかもしれない
何かが実現したときは「ああ、これこそが自分が目指していたもの
だ」と思い込んでしまうわけです。そして、周囲に「これこそ目標
だ」と勝ち誇ることになります。
これは否定や批判ではありません。それくらい柔軟な態度が必要な
いう私の驚きです。偉人たちは、あらゆることを試し、結果を見て
誤していました。それも高速で。おそらく頭で考えることなど机上
過ぎず、実行こそがほんとうの答えをもたらす唯一の作法だと知っ
でしょう。乱暴にいってしまえば、たくさんやってみれば、そのう
は成功するだろう、というきわめて確率論的発想でした。
なかなか伝わらないかもしれませんが、私がそのころ気づいた大き
言葉にするとこういうことです。
まず、ありとあらゆるビジネス書を読んで、1点でも学ぶべきとこ
ば、それを実行してみればいい。
調達・購買に関係ないことであっても、あらゆることを学んで、そ
から使えるものをとにかくやってみればいい。
とりあえず、中小企業診断士の参考書と問題集を合計20冊ほど買
た(結局、試験は受けませんでしたが)。そして、企業会計に関わ
あるいはマッキンゼーの「企業価値評価」やらクルーグマンの「ミ
学」などを買い読み進めていったのです。
そのころ、貯金がたくさんあったかといえば、まったくの逆でした
「自己投資に勝るリターンはない」のですから、ほとんど貯金がな
でそれを繰り返し、かつ当時は紀伊国屋書店などを使って海外から
々に買っていきました。そのとき、一つひとつの書籍ではわからな
とが、膨大な知識を鳥瞰してみれば、「こういうことだったのか」
きがたくさん出てきたのです。
たとえば、在庫削減の理論は、それだけでは完結しません。損益計
借対照表の知識が不可欠です。そして、最適発注量計算にたどり着
すが、これは実は高度数学を使えば、より理解しやすくなるものな
ね。また、受発注の計算においては、統計や最小自乗法などの計算
にもつながります。また、ERPなどの知識も欠かせません。また
結局のところ個人のPCスキルにまで至ります。このように、私は
に知識を習得していくシステムを、自分自身につくりあげてしまっ
まったく役に立たなかったこともあります。ただ、直接は役に立た
のかもしれないとはいえ、短時間のうちに自分の意見をまとめアウ
する、というコツやスキルなどは、間接的にこのように(メールマ
書籍の執筆等で)利用できているともいえるでしょう。いつでも使
はありませんが、書類や書籍をさっと読み、それの情報を捨象し何
める、というスキルも役に立ちました。
しかも、そのようなスキルというのは自分で一から作り上げる必要
せん。世の中には、そういうことを一生をかけてずっと考えている
のですね。であれば、そのスキルを拝借すればいい。簡単なことだ
すよね。どこかに、すでに考えてくれている人がいて、その成果を
わけです。
そのうち、P/Lの理解や統計の知識が調達・購買に役立つことが
きました。そして、それらの知識を持っているだけで目の前の仕事
違って見えてくることにも気づいたのです。最初は、思い込みだろ
も思いました。ただ、それを周囲に話しているうちに認めてもらう
き、本を出版するということにまで至りました。
知識社会とは一生にわたって知的労働者を続けていくことです。か
は45歳でした。それがいまでは、60歳、65歳となり、その延
ころを知りません。私たちは一生働き学び続けるという覚悟が必要
くるのです。
そのとき、どちらかを選ぶことができます。面倒だからと諦めるか
は知識労働者としての能力を日々伸ばしていくか。
あなたは、どちら側に立っているでしょうか。(坂口孝則)