オールビジネスニッポン書き起こし「ライブハウスよ生き残れ!」

*FMラジオ番組「坂口孝則と牧野直哉のオールビジネスニッポン」書き起こしです。よかったら、PODCASTをご登録お願いします! ここからどうぞ

坂口:今日は例外編として、「ライブハウスよ生き残れ」というテーマで、私坂口がひとり語りしてみたいと思います。このところ、テレビですとか、あるいはラジオ、その他のメディアで、この「ライブハウスよ生き残れ」というテーマで、僕はいくつもこれ発言してますし、原稿もたくさん書きました。

自分自身が好きで影響を受けたっていうのがあるんですが、日本としての、文化事業としてこのライブハウスが何とか生き残ってほしいっていう考えで、いつも発言してます。

私の発言に対して、よくライブハウスみたいなマイナーな場所、保護しても仕方がないんじゃない、困っているのはみんな一緒でしょ、という人もいるんですけども。全くこれ違うわけです。

今めちゃくちゃ有名アーティストでも原点は、ちっちゃなライブハウスから始まってるんですね。このライブハウスがなかったら、その有名な凄い楽曲を、聞く機会ってのは失われていた訳です。それをぜひ知ってほしい。そして、もちろん演劇とかいろんな人たちも大変だと思います。

思いますけど、人間というのは、もう自分が好きなことを守るために、パワーを使うしかない訳ですよ。だからもう好きなものを守るしかない。この気持ちから、僕はもう「ライブハウスよ生き残れ」って言っています。

僕のライブハウスとの間接的な繋がりで言うと、当時あの小学生の時、RCサクセション、忌野清志郎さんが大好きだったもんですから、1990年に『遊びじゃないんだ』っていう本を買いました。マガジンハウスから出ていました。

実はこれ収録前には、僕の小学六年生の1990年じゃなくて小学校四年生って記憶があったんですけど、どうやらこれ出版歴を見てみると1990年が正しいみたいです。この本というのは、清志郎さんにまつわる、あるいはチャボさんなどにまつわるインタビューを集めたやつで、関係者の方々が凄く何か生き生きと語っている凄く面白い本です。その中で渋谷の青い森、そして渋谷の同じくジャンジャン。それと、RCが有名になった屋根裏ってっていうところで演奏していたらしいということが分かって。

小学生の僕にも、ライブハウスっていうらしいっていうのが分かったんですけど、なんかすげえ所だろうなと。大人が何か来てるんでしょう、羨ましいっていうか憧れて、でも行けなかったですね。

その数年後、僕は佐賀県出身でガイルスっているライブハウスがありまして、今はちょっと場所が違うみたいですけど、当時は駅の裏にあってですね、確かスラッシュメタルバンドのUNITEDを見に行ったのが最初じゃないかなと思いますね。

その当時はベースにまだ横山さんがいらっしゃって、もうね、本当にびっくりした。ライブハウスに行ってびっくりしました。なんでかちょっと大げさに言うと、それまで両親が教えてもくれなかったような、人生の可能性というか、アブナさとか、喧騒、そしてたばこの煙を含めて、ホントこういう世界があるんだっていうのを、本当気づくことができたんですね。

ホントにそこからもう僕はもう数十年ライブハウスに入り浸っている訳ですけど、その後に鹿鳴館ですね。鹿鳴館。その当時はDOOM、JURASSIC JADE、先程挙げたようなUNITED、そしてサーベルタイガーで、あといまのX JAPAN、X。彼らが演奏しているCDとか聞いて、ホントにライブハウスっていうのが無かったらこういうのを聞く機会も多分なかっただろうなってことなんですね。

もともとライブハウスっていうのは和製英語で、アメリカ人に言ってまったく通じなかった記憶がありますが、ワンドリンク制ってありますね、一つ飲み物なんか買ってくださいみたいなね。お酒とか、ウーロン茶とか。あれは元はといえばライブハウスっていうのは飲食店の免許を取っている訳です。

よくマスメディアとかで、今回の新型コロナウイルスの影響で「ライブハウスや飲食店」などの言い方をしますけど、もともとは飲食とライブハウスを分けるのは、本来おかしいのであって、いわゆるライブハウスも飲食店な訳ですけどね。お客さんとして入っていただくわけなんで、何か食事とか飲み物を提供しないといけないっていうところから始まったのが、このワンドリンク制だった訳です。

元々日本では、ジャズ喫茶から多分始まったのかなと思います。それで、僕の年齢とも近いんですけど、40年前にあの新宿ロフトが「ライブハウス」って最初に名乗り、今はあるのかな? 『ぴあ』って雑誌がライブハウスのスケジュール載せるっていうのがありました。

本当これ、僕はもうリアルタイムで経験して本当に幼かったのですが、三宅裕司さんがやってた「イカ天」っていうのがあって、イカ天ブームからライブハウス、そしてバンドブームってのが起きていて、ブランキージェットシティとか人間椅子っていうね流れがありました。あと”たま”ですか。本当に優れたバンドってのがこの番組から出ていった。そしてライブハウスからも出ていった訳です。

アメリカでは例えばどんな音楽やってるんだよっていうことを示すために、窓を開けながら演奏させるライブハウスありますけど、日本だったら近隣住民からこれ苦情がきますからね。ライブハウスってのは結構な確率で地下に潜っていた訳です。これちょっとヨーロッパの一部もそうですけど、そこがまさに地下に潜るアンダーグラウンドミュージックっていうのは発祥だった訳ですね。

これ聞いている人が30代40代だったら、分からないかもしれないけど、「ベ兵連」ってありましたね。「ベトナムに平和を運動」ですか。彼らは反戦歌、戦争に反対するっていう歌を歌って、それで社会だとか政治、政府っていうものにカウンター、対抗する何かの代替策を与えるっていうことをやっていた訳です。

メジャーだけのシーンというのは本当にもうつまらない。それに対して、新しい音楽を提示するっていうのが、これまでのライブハウスの思想運動であり、ちょっと大げさに言えば文化運動だったわけです。

だからライブハウスっていうのは、その意味で言うと、もう壮大な実験場として位置付けられる訳ですね。僕が大好きな「四人囃子」っていうバンドがあるんですけど、そのバンドでベース弾いていらっしゃった佐久間政英さんっていらっしゃいますね。

その後はジュディマリとかGLAYのプロデューサーにもなられましたけど、佐久間さんは、ずっと「百万枚のヒットが一作生まれるよりも、100作が一万枚売れる方が正しい」「文化的に正しいんだ」っていうことを仰っていました。その文化を担っていたのが、まさにライブハウスだったということになります。

鶴見俊輔さんっていますよね。あの思想家の。鶴見俊輔さんは、限界芸術論っていうのを語っていました。この限界芸術っていうのは何かっていうと、大衆とメジャーな作品の中間のところに、サブカルチャーと言ってもいいし、あるいはこの文字通り限界芸術といってもいいけど、危ういもの、そして通常一般には認められていないけど、それが将来のあるいは今後の萌芽といいますか、種になるような、本当に芳醇な世界が広がると言っていたわけです。日本ってどうですか。中間が厚いっていうのが日本の強みじゃないですか。

メジャー作品と大衆の間に漫画でも音楽でも、繰り返しサブカルチャーでも、芸術でも、中間層が厚いっていうのが、これ本当に日本がこれからを生きる道な訳ですよ。今は例えばクールジャパンと呼ばれて輸出してるものも、元はといえばこの中間にある、危うげな、怪しい、ちょっと危なっかしいんだけど面白くて、なんかすごい新しいことやってるっていうのが、数十年たった後に、日本の輸出産業になっていった訳ですよ。

だから繰り返しだけど、ライブハウスっていうのが、こうマイナーな場所とか言うんじゃなくて、むしろそれは文化装置としての、そして思想運動としての新たな音楽を作り出す場所、それが繰り返し日本がこれから食っていくための道に繋がっていくんだ、という理解がないと、「ライブハウスばっかり擁護してどうするんだ」とか、本当にとんちんかんにしかならない訳なので、ぜひ皆さんここには理解を示していただきたいというふうに思います。

僕がメタルとか、ハードコア、デスメタル、グラインド、ノイズまあ、そういうのが好きだっていうのはありますけど、本当に何か単なる音楽以上の位置付けがあるんだっていうことを、ぜひみなさん、知っていただきたい。

ではですね……。

最後にちょっとあのわざと課題を投げ掛けて終わりたいと思うんですが、日本にはですね、独自のライブハウスの制度があります。どんな制度かっていうと、アーティストに対するノルマシステムです。このノルマシステムというのは、簡単に言うと三十分から四十分とか演奏していいよと、ただしその代わりに二十枚三十枚チケットをバンドで売ってくださいよ、っていうのがこのノルマシステムですね。

要するにアマチュアっていうのは、演奏してお金もらうんじゃなくて演奏するためにバンドがお金を払うっていうのが一般的な訳です。これはライブハウスを経営してる人からすると当たり前のことで、経営を成り立たせるためには、お金を徴収しないといけないって、まあよく分かる。僕が逆の立場でも同じことをしたかもしれない。

だけど重大なことは、あのノルマシステムができてから90年代以降は、ライブハウスっていうのが「顔」であることをやめて、アーティストが「顔」になってきた時代だと思うんですね。すなわち、ライブでは「そこのライブハウスに行くと何かすげー危ういけど面白いものが見れるんじゃないかな」っていうような期待感は徐々に徐々に減っていって、常にアーティストを目当てに見に行く、アーティストが集客をして、アーティストが顔である、っていう時代が続いてきたような気がするんです。

そうすると例えば意地悪な人はこう言うかもしれません。Aというライブハウスが無くなっても、Bというライブハウスで、そのアーティストの演奏を聞ければいいじゃないか。そう言われると反論できるライブハウスファンっていうのはいないんじゃないかって思うんですね。なぜならば僕が大好きなライブハウスはもちろん顔として、あるいは集客も頑張っていらっしゃいますが、少なからぬライブハウスっていうのが、先程申し上げた通り顔であること、集客することをアーティストに丸投げしているわけです。

したがって、もしかするとライブハウスの選別が始まるんじゃないかな?っていうことを僕なんかは考えています。従いまして、僕は、とはいえライブハウスに存続してもらいたい、これは本気で思ってます。

ライブハウスの皆さんそしてアーティスト皆さんは、なぜこのライブハウスが必要なのか、それは思想運動である、そして文化運動である、そして今後の日本のためにぜひ必要な事業なんだっていうことを、ぜひみんなに語っていただきたいと思います。

その先にライブハウスの存続があるでしょうし、僕が大好きなライブハウスでライブを見るという日常を本当に再度期待したいと思います。

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