「震災と私たち」(坂口孝則)
長くて大変申し訳ありません。しかし、私が「大震災のとき!」という本のあとがきで書いた内容は、自分でいうのもなんですが、重要性を増している気がしますので、再掲しておきます。
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論理というものにがんじがらめにされていると気づいたのは、いつのころだっただろう。
ひとはみな、論理的であることを要求される。ささいな会話のなか、仕事のなか、生活のいたるところにこの論理が顔を出す。この論理というものが、人の自由な表現や思考を、もし侵食していたとしても、あるいは消し去ろうとも、その弊害に気づかないふりをしながら。
しかし、その論理や、人が試みるなんらかの整合的な説明では記述できない、何かがある。人は、その事実を認めることができずに、さらに論理や整合性を増すことでしか、目の前の現実には対抗しようがない。
世界が向かってくる。人間ごときが考えた論理ていどで、自分を切り取ろうとすることに。規定された枠にはめられてしまうことに。
おそらく、混沌とした、ありのままの世界は、論理の堅苦しさに耐えきれないのだ。
世界は、その堅苦しさを忌避しているのだ。
最初に書くのは、たいしたエピソードではない。
社会人になりたてのころ。私は関西の片隅で、メーカーの資材係をやることになった。資材係とは生産に必要な物品を発注したり、納期を調整したりする仕事だ。次々にやってくる購買依頼を処理しながら、なんとか多忙な日々をくぐり抜けていた。
私についてくれた教育担当者のYさんは50代にさしかかろうとする人で、もともとは生産現場あがりだった。生産現場あがりといっても、何か能力に不足があったわけではない。客観的に見て、そこらの事務社員よりは仕事の質は優れていた。業務の基本から、パソコンの使い方、そして交渉方法までを手取り足取り教えてくれた。当初はその人のカバン持ちとして仕事を手伝いながら、徐々に自分一人でこなすようになっていた。
すると、社会人1年目の私にピンチがやってきた。ある取引先が、こちらの会社方針に不満があり、納入を止めたいのだという。会社方針といってもたいしたことはない。これからは取引先数を拡大せず、1、2の限られたところから物品を調達しようとするものだ。ただ、外される取引先からすれば「下請けいじめだ」となる。本来はゆっくりと取引先数を絞ろうとしていたところ、いきなり先方から納入をストップするというのだ。
中長期的には、その取引先を外そうと思っていた。しかし、いきなり納入を止められては、こちらの生産に大影響がある。物品のテストや工程監査があるために、メーカーは一つの物品を切り替えるのにも、相当な時間がかかる。
ある会議室のなか。
私はその取引先の支店長から怒号と罵声を浴びさせられていた。そっちは俺たちを外すという。それなら、いますぐに供給を止めてやる。なんとかいってみろ、この若造、と。私は返す言葉を持ちあわせていなかった。
どうするか、と考えながら机に戻ったとき、Yさんがいた。私はもう少しで自社の生産に甚大な影響を与えようとしていた。すぐにでも、Yさんに相談すべきところだ。私が相談しようとすると、突然Yさんは紙芝居の話を始めた。紙芝居とは、絵をめくって子供に語りかける、あれである。そこで私は知ったのだが、Yさんは地元では有名な紙芝居師なのだという。
私はそのあまりの唐突さに驚くと同時に、その話に聞き入った。紙芝居の面白さと奥深さ。そして紙芝居を通じて自分が何を成そうとしているのか。それを自分のこれまでの人生を踏まえながら語ってくれた。
なぜ、Yさんが紙芝居の話をしたのかはわからない。そしてその後、どのように納入ストップ問題を私が解決したのかも覚えていない。ただ、納入問題のときに、たしかにそのような突飛なことが起こったのは事実で、かつ、なぜか私はそれをずっと覚えている。
ここで私は、納入問題と紙芝居の話をいかに結びつけて語ろうとしているのだろうか。いや、そもそもそんなことはできない。できないまま、私はただただ事実を記述しておいた。そこに論理的なつながりを見出すことはできない。しかし、繰り返しだが、私のピンチのときに、そのようなことが起きたことだけは事実なのだ。
それを単に、論理的なつながりのない、意味不明なことだというのはたやすい。それに、私が想像とともに論理的なつながりだけを語ったら、どんなに楽だっただろう。納入危機があった、先輩に相談した、論理的な解決策が与えられた、実行すると問題は解決した。そう書けば、読者に何の混乱も与えないだろう。
私がなんらかの風景を切り取ろうとするとき、そこに何らかの一貫した論理を盛り込むかどうか、常に私は悩み続けている。文章である以上、そこに論理がなければ、読むに耐えないものとなる。よって私は、できるだけ平易に、そして論理を持つものとするように試みている。ただし、文章を書いたあとに、私は葛藤にさいなまれる。
書き終わったものを読めば、たしかに論理は一貫した文章になったかもしれない。しかし、私はわかっているのだ。それほど単純な論理に貫かれた現実などあるはずはないと。いや、むしろ論理に貫くことのできない現実こそが、私たちに愉悦や、不条理でありつつ生きる輝きを与えてくれるものではなかったか。
突発的な出来事が起こり、論理的なつながりもない会話があり、意味不明なものが意味不明なまま通り過ぎる。これが、ありのままの現実ではないか。
この意味においては、私は巷間に流布するビジネス書に大いなる不満を抱いていた。それらに充満するのは、一貫した論理であり、例外や論理外のものを許しえないような態度だったからだ。ロジカルであるものの、面白みのない記述。おそらく、世界が忌避しているのは、そのような堅苦しさではないか。
次に語ろうとしているのもたわいもないエピソードである。
以前、栃木で働いていたときのことだ。そこでも私は企業の物品調達に従業していた。生産に使用する物品の見積もりを入手する。そしてそれを交渉する。ときには取引先の工場に出向いたり、そこで改善活動を一緒にやったりと、このときも多忙な日々を送っていた。
また同じく、ある会議室のなか。
私は設計者とともに、取引先の商談室に座っていた。取引先のメンバーは設計部長と営業部長と取締役。そうそうたる人たちだ。私たちはここで、見積金額がこちらの予算とまったくあわないことを説明していた。そもそも見積金額が意に沿わないものであれば、そもそも買わなければ良い。そう思った人も多いだろう。しかし、そう単純なものではない。特定の取引先にしかできない技術はいくつもある。よく買い手は、売り手に比べて絶対的強者と思われがちだけれど、そんなことはない。少なからぬ場合は、頭を下げ、いろいろな手をまわしながらなんとか買ってくる。
私が「この金額では予算をオーバーしているので、この金額にできないか」と、希望価格を書いたものを提示する。すぐさま相手の取締役が「お話になりません」と応じてくる。「これは無茶な金額ではなく、類似品から見て妥当性のある金額だ」と私の隣の設計者が援護してくれる。しかし「それは意見が一致しないということです」とにべもなく返される。
このような場合は休止せよ、と教科書はいう。交渉を続けるのではなく、一旦休止することで新たな解決策が浮上するというのだ。話が難航していたとき、「ここで休みましょうか」と私は提案してみた。すると、「いや、価格の件だけ片付けてからにしましょう」と先方の営業部長が応じた。
そこからどれくらい時間が経ったときだろうか。もう正確には覚えてはいない。
取引先の一人の女性社員がお茶をもって会議室に入ってきた。彼女が出て行くと、営業部長は「最近入社した新人なんです」といった。作業着に身を包んでいながらも非常に綺麗な女性だったからだろうか。こちらの設計者も「美人ですね」といった。取締役は、「好みですか」と訊いた。設計者は「私は結婚していますか」と笑った。
それまで張り詰めた雰囲気だったのに、人間はこうもたやすく話題と態度を変えることができるものかと強く印象に残った。それまでの価格交渉の推移よりも、私はこの移り変わりそのものに心を奪われようとしていた。それらは、セクシャルハラスメント発言と認定されてもおかしくない。男性だけの空間に、女性が入ると、このように化学変化を起こすのかと、私はちょっと興ざめのような、不可思議な気持ちになった。
その後。お茶を飲むと、また交渉の「モード」へと突入していった。そこからどうなったかは覚えていない。たしか、ほんとうに妥当な金額かどうかを調べましょう、といって設計図と両者がにらめっこをしたことはうっすらと記憶にある。ここがこうなっていて、あれがああなって、だからこの金額は高くないのですという取引先。いや、ここは類似製品と同一で、しかもあれは汎用的な技術で、だから今の見積金額は高すぎるのですというこちらと。喧々囂々の会話のあと、日本企業同士がやりがちな玉虫色の妥協金額に落ち着いていったはずだ。
途中で入ってきた女性の役割はなんだったか。いや、考えてみても、なんの役割も果たしていないのだ。全体の内容にはなにも寄与しない。ただ、私は覚えている。それだけのことだ。
しかし、私は「彼女が入ってきたことで、張り詰めた交渉が氷解し、一気に解決に導かれた」「彼女の存在が交渉の解決に欠かせないものだった」と書いてしまいたい衝動に、つい駆られてしまう。この会議を記述するとすれば、彼女の存在はどうしても書かなければいけない対象のように私は感じる。たとえ、彼女が全体の論理に何ら関係のない透明な存在であったとしても。そこに私の葛藤がある。
これを語るに足りないエピソードといいたければ言えばいい。もちろん、論理的にだけ語れるところだけを切り取れば、このような書き方は不要だろう。文章講座では、いつだって主張を補強する材料だけを集めなさい、という。それが流儀というのであれば、たしかに私のような葛藤とは無縁だろう。しかし、予定調和的に料理された文章など、私にとってはほとんど意味がない。繰り返すが、私にとっては。それはスリリングさを欠如させている死文のように感じられるのだ。
また、最後に書くエピソードも、また、たいしたことではない。
本書で描いてきた、2011年3月11日の東北震災当日のことだ。地震の直後、私は地下鉄再開の目処が立たないことを知り、そのまま徒歩で歩いて帰ることに決めた。赤坂から六本木一丁目を経由していたとき、平然とした人びとの群れが印象的だった。ある人は同僚と「どうなっちゃうんだろうねえ」と話しながら。ある人は、地震などなかったかのように人ごみのなかで、ただただ前を目指していた。
すると、一ノ橋の交差点を過ぎたあたりに、一人の老いた女性のホームレスがいた。道路を下敷きに、そしてガードレールを背もたれに、ただただ笑っていた。道行く人を眺めては笑い、過ぎゆく人たちに言葉にならない言葉をもぐもぐと発しながら、満面の笑みを浮かべていた。整えていないぼろぼろの髪の毛を揺らしながら。白髪の髪の毛は、汚れから自然に黒に染め上がり、日焼けのような顔はまったく曇ることがなかった。
この女性は何を笑い、地震の先に何を見つめていたのだろう。その不気味な笑みだけが、ずっと私のなかに残っている。
もし、まじめなビジネス書の書き手であればこう手際よくまとめるかもしれない。「人びとは、無意識に複雑な社会システムが永続的に安全だと思い込んでいる。しかし、その社会システムは脆弱で、ときに人びとを混乱に導く。彼女の笑いは、人びとが無意識に信頼している社会システムにたいする嘲笑のようであった」と。しかし、どうも私にはそのような要約に、どれほどの価値があるのかわからずにいる。たとえ、全体の合致性がなくなったとしても、それでいいではないか。その複雑で非論理的ではない世界を提示することで、ありのままの姿を感じさせることができる。普通の人が、毎秒体験しているような、当たり前の世界を、である。
私は、それなりに「論理的な文章を書く」ことの訓練を受けてきた。それは大学を卒業した人たちであれば、ひとしく受けてきた訓練だ。何かの文章を読む、その筆者の意図を忖度して選択肢のなかからもっとも近しいものを選ぶ、意見を要約する。論理だった内容の文章を重ねる。
私の場合は、さらに書くことを半ば職業のようにやり出してから、その訓練は加速していった。ただ、どうもその論理的な色合いだけを帯びさせることに拒絶感を抱いてきた。いや、少なくとも違和感から逃れることはできなかった。論理的とは、自分がわかったことから、事象を抉り取ることである。著者は事象を論理的に語ることを放棄してはいけない。しかし、それでもなお、自分の理解を超えるものへの畏怖と、世界をわからないままに切り取ってしまう禁忌に、私はずっと惹かれ続けていた。
もっといってしまおう。おそらく、自分が理解した論理だけで世界や社会を整理しようとする書き手は、きっと古臭い「論理社会」を死守したいだけなのだ。広大な非論理的世界に飛び込むことができないでいるのだ。
ただし、論理だけで形作られた文章において、そのなかの世界は虚構にならざるを得ない。いや、それは嘘の世界なのだ。私はこれまで自分の把握した論理だけで、世界を解説したことがある。それを悔いている。私は正直にいってしまうべきだったのだ。ここまではわかる、ここからはわからない、と。それが、向かってくる世界、ありのままの世界と対峙する、せめてものやり方だったのだ。
多くの人は震災後に「これまでの価値観が変わった」といった。原発やサプライチェーンや、日本生産そのものについて、その脆弱さに失望し、驚き、おののき、なすすべもなかった。おそらく、その失望とはこれまで自分が信じてきた論理世界に向けられたものではなかったかと思う。論理として理解していたものが壊される失望。信じていたものが失われる落胆。それらが私たちを覆ってきた。
震災の教訓として想定範囲を拡大しようとする動きがある。防波堤を10メートルから15メートルへ。予想マグニチュードを8から9へ。サプライチェーンのリスク管理を0.01%から、0.001%へ。2社購買を3社購買へ。もちろん、それらの試みが無意味だとはいわない。しかし、その想定範囲を拡大する取り組みもまた、現時点での自分たちの論理世界に絡み取られていることは失念しないほうが良い、と私は思うのだ。
想定範囲を拡大するのと同時に、むしろ想定範囲外のことが起きたときのために、そして論理世界で理解できること以上の事象が襲ってきたときのために、対処できる心構えを培っておいたほうが良いのではないか。
論理的に起こりうることから防御を試みるのではなく、論理外の出来事を、その存在をありのまま認め、自分たちの無力さを前提としたうえで生きる。それは自分たちの無力さを言い訳にして、進化を止めることではない。それはきっとある種の諦観をもって、かつ超越的な力を信じることだと私は思う。私が述べたいのは宗教心ではない。自分たちの予想をはるかに超えた惨事が起き得、かつ同時に予想を超えた幸福も起きうる、と考える態度こそ、企業活動、大げさにいえば生きることにも、ある種の愉悦を与えるのではないだろうか。
善悪や良し悪しに関わりなく、予想できないことが起きる、という事実そのものが、可能性にあふれた社会を悩ましく、かつ愉しくするのではないか。
この「わからない」社会にたくましく対峙できる人たちが一人でも増えることを願って。
<了>