ゴールデンウィークと歴史について(坂口孝則)
ゴールデンウィークとは、1952年あたりから映画業界の宣伝文句として使われました。51年に大映がそのころゴールドラッシュのごとくボロ儲けし、「これはゴールデンウィークだ」と漏らしたことに由来します。
さらに53年、54年には私鉄の組合がその時期をねらってストを敢行したために、移動の足を奪われた大衆は近くの映画館に繰り出しました。5月1日がメーデーですから、労働運動と大型連休と、そして娯楽の少なさが生み出した、映画業界にとって「黄金」週間だったわけです。50年代当時の週刊誌を見ても「ゴールデンウィークの映画合戦」など、ほぼ映画業界に限定して使われています。
ところで私の父親は、まんまると太った私の息子をみるたびに「赤ちゃん大会1位だ」と述べておりました。私はてっきり「赤ちゃん大会」とは比喩表現で、それだけ元気だと表現したいものだと勘違いしていたのです。しかし、調べてみたところ、それがかつてゴールデンウィークにイベントとして実存したと知ります。
有名なところでは厚生省がゴールデンウィーク「こどもの日」にあわせて1949年に「全日本赤ちゃん集団コンクール」を開始し、それが50年代に日本に広がっていきます。当時は、終戦後であり、健康的に育っている赤ちゃんはある種の希望でした。第一回目の募集要項には「発育良好なる各十名」を選出するとあります。
いまではいろいろな意味で批判が殺到しそうな企画ですが、受賞者した赤ちゃんの親に子育て方法を聞き、受賞とともに新聞に掲載されていきます。1950年の日本一に輝いた律子ちゃんは、両親がともにスポーツマンで、その明るい精神的健康が良い影響を与えていると論じています(読売新聞1950年5月6日朝刊)。大丈夫か、これ。
その他の娯楽を見ると、合同ハイキング、アベックでピクニックなどがありました。合同ハイキングとは、文字通り男女の集団で山登りなどをするイベントです。「アベックで」とわざわざ書くのは、男女二人で出かけるのが難しかったからです。それにしても、映画、赤ちゃん大会、ピクニック、ハイキングとは、金のかからない時代だったんですね。
ゴールデンウィークや余暇を考える際、私が使うのはエンゲル係数です。ご存知のとおり、これは消費支出にしめる食費比率を指します。最近では20%を超えるくらいですが、50年代は実に50%ほどにいたっています。よく「食うために働く」といいます。景気は足踏みしたままですが現代では相対的に「遊ぶために生きている」のが正しいわけです。
多くの日本人が行楽地にいって帰宅した「ああ、どこでも人だらけね。自宅が一番」とボヤきますが、それだけ豊かになった証左です。なお、私はこう自分を洗脳して、家族旅行に望む覚悟です。
<了>