短期連載・坂口孝則の大企業脱藩日記(坂口孝則)

世間一般で“流通コンサルタント”という印象が強い私。みなさんはご存知のとおり、調達・購買の専門家として多方面で働いています。しかし、自動車メーカーを辞めてから、さまざまな模索時期がありました。当時の話は、さまざまなところで紹介しましたが、あまりホンネをまじえて述べたことはありません。そこで『大企業脱藩日記』と題し、現在までを短期連載としてメルマガに掲載することにしました。

【第4回】
大企業を辞めてからというもの、テレビなどの出演は増えていったけれど、実際の売上高はまったく伸びなかった。そして、このとき、会社ではじめようとしていた二つのサービスを相次いで取りやめた。

一つは、会員企業にたいして安価な事務用品などを提供するサービスだ。これは、正直、誰もお金を払ってくれなかったからだ。そんなに安くもなかったし、たとえば「見積依頼書」「見積書フォーマット」を提供しますといっても、それに毎月定額を支払ってくれなかった。

もう一つはおなじく毎月定額を支払ってくれたら教育コンテンツを見放題、というもの。前回にも書いたとおり、教育についてはお客がもとめているタイミングと合致しなければならないし、常に教育コンテンツを見たいひとがいるわけではなかった。

会社のメールマガジンなどを使ってオープン型のセミナー集客は続けていた。それでも数人くらいしか来ない。全力で話した。とはいえ、当時セミナーにお越しになったひとは、あまりに受講者が少なくてイヤな思いをしたかもしれない。お詫びしたい。それに、どうも、私も空回りしていたようにも思う。

この期間では、あまり書きたくない経験もした。なんとかビジネスを軌道に乗せるために、さまざまな企業を訪問したのだが、なかにはひどい扱いを受けた。呼ばれたから訪問したのに、「なんの用事だったっけ?」といわれたことがある。違う企業では、「こういう仕事があるが、やりたいか(原文ママ)」といわれた。またほかでは1時間ほど待たされたうえ、「いまは予算がないので、タダでやってくれないか」ともいわれた。何か問い合わせがあると、その企業に訪問するのが文化だったが、私はイヤでしかたがなかった。でも、売上がないので訪問するしかなかったのだが。

さてどうするか……。いろいろ偉そうなことをいっている私も自己のビジネス構築は、こんなていどのものだった。しかし、絶望のときにも、いろいろと救ってくれるひとはいる。いま思えばその恩人は三人いて、まったく意図しない仕事をくれた。そのうちお一人は、絶望から半年くらい経ったとき、広島からご訪問なさった。「本を読んで面白いと思ったから社内での個別セミナーをお願いしたい」という。しかも、内容は任せるから、業務の刺激になるやつ、と。救いに神とはこのことで、もちろん承諾した。宣伝や拡販活動はことごとく失敗したけれど、どこかに見てくれているひとがいる。だから、結局は成功は確率論なのだと思う。

その個別セミナーも、いまの自分からすると及第点ギリギリといったところだろう。しかし、面白がってくれ、「次はコンサルティングを検討したい」とのことだった。私は、そもそもコンサルタントとして入社していない。だから、筋としては、他の誰かに任せることだし、実際にそうしようとしていた。ただ、コンサルティングビジネスの難しいところは、製販分離が困難なことにある。つまり、販売=気に入られたひと、が、製造=コンサルティングしない、という状況が考えにくいのだ。「あなたが気に入ったからコンサルティングをお願いしようとしているのに、違うコンサルタントがやってくるんだったら、仕事の依頼は止めようかな」というわけだ(そのような表現をされたわけではないが)。

ここでまた悩んだ。どうしようか……。コンサルティングっていうのは、どうすればいいんだ? 数日で20冊くらいの書籍を読んだが、よくわからなかった。要するに、客先を満足させる、といったことしか書かれていない。でも、それが売上になるなら、と私はコンサルタントとしてそこから三ヶ月ほど訪問することになった。コンサルタントデビューだった。文字どおり五里霧中で、悪戦苦闘し、考え続けることばかりだった。それでも面白いのは、その企業とはなんと4年にわたって仕事を継続できたことだ。

こうやって、他の恩人お二人のご協力もあって、一歩ずつ、一歩ずつ、なんとかなんとか、軌道に乗り始めるようになる。

<つづく>

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