明治大学政治経済学部准教授・飯田泰之さんとの対話(坂口孝則)

*前々々回に引続き、明治大学の飯田泰之さんとの対話を掲載しています

◎平気で失業保険や生活保護をもらう人々──坂口

 僕はむかし大阪の池田市に住んでいて、近くにカラオケとハローワークがあったんです。そのとき、朝5時までカラオケで歌った後に眠い目をこすりながらハローワークに並んでいる連中をよく見かけました。

 おそらく彼らは失業保険をもらっているはずなんですが、実際のところ、彼らはどれだけ困っているんだろうかいう疑問を持ちました。そもそも失業保険の認定自体も、どうも怪しいんじゃないかと思っています。

 それと生活保護。生活保護については、普通に働くよりも高額をもらえるから、受給者に働く意欲を育むことができないという批判があります。でも一般的に思われているほど生活保護はなかなか下りません。ただ、やくざに頼るとか、裏技を使うと意外にすぐ下りたりするわけでしょう。最近のNPOの不祥事ニュースを見ると、暴力団関係者が生活保護費をだまし取っていたものが多いですよね。暴力団組員が役所に申請に行う。その後は関係筋の精神科医を使い、受給者の鬱病が悪化したなどの虚偽診断書を作らせて、受給を継続させる。ひどい例では、その過程で入手した向精神薬を、大量に転売することもあったようですね。

 まあ、それは悪質な例ですけれど、失業保険も生活保護も、もらえるんだったら手段を問わずにもらってしまえ、という精神性は見て取れます。日本人は勤勉だという昔からの通念とは逆に、第一章の「儲けたら悪」という風潮とは表裏一体の現象として、最近は真面目に「働いたら損だ」をするという不信感が日本中に蔓延している感じがするんですが、いかがでしょうか。

◎日本人ほど働かない民族はいない──飯田

 すでに話題にしたように、結構な数の企業が真面目に益出しをすると法人税の取られ損になってしまうので、脱税にならないギリギリの範囲で経費の計上を大きくして税金を払わないようにしている。

 生活保護も、本当に困っている母子家庭とかが申請しても「まだ若い人だから」「親類がいるから」とちっとも通らないのに、居丈高に窓口でゴネ続ける人には、役所が面倒くさいからあげてしまう。公務員のほうとしては、たとえばコワモテな人と面倒な交渉をして、怖い目にあうまでの給料なんかもらっていない、というわけです。そんな行政イメージしかないから、日本人の政府への信頼度も非常に低くなってしまっていますよね。

 数多くの調査によると、日本やイタリアでは政府への信頼感が極端に低いそうです。ですから、ずっと前から僕は、日本人はイタリア人っぽいという仮説を立ててるんですよね。

 つまり、明治から昭和前半の日本人だけが歴史的に見ると特殊、というか変だっただけで、もともと日本人はあまり真面目じゃないし、そんなに勤勉でもないんじゃないかと思うんです。実際、外資系証券とかの最前線で働いてる人は、「日本人くらい働かない民族はいないと思う」と口を揃えて言いますしね。アメリカのオフィスではみんな7時半とか8時に来てバッチリ仕事して、夕方にはきっちり帰る。

 でも日本人は、仮に早い時間に出社していたとしてもコーヒー飲んだりタバコ吸ったりしながら、新聞を読んだりしますよね。で、ちんたら仕事してダラダラ長い時間オフィスに残る。なんとなく周りが帰るまでは帰りづらいという理由だけで居残ってしまったり。

 ある意味、意図的な就業時間の引き延ばしといえるかもしれない。

◎作業時間をかさ上げする人々──坂口

 日本人の就業態度についてですが、ある生産管理系のコンサルタントによれば、工場を見るときに最初にチェックするのがタイムカードの置き場らしいんですよ。生産現場の近くにタイムカードを置いているところはまだ大丈夫。でも、ロッカーの近くにタイムカードを置いているところはみんな15分待って、賃金が上がるのを待ってガチャッと押して帰ってしまう。

 家族のために早く帰りたいという文化がないので、結局だらだら働いて、タイムカードをゆっくり押すのが最大価値になってしまうらしいんです。

 一般的には、日本人はブルーカラーの生産性はいいけどホワイトカラーの生産性が悪いみたいな言われ方をしてきましたが、意外とホワイトカラーだけではなく、ブルーカラーもダラダラしているんだなと。

 作業中はものすごく効率的に動くのに、その作業が終わってしまったら少しでも自分の作業時間をかさ上げして申告するわけですからね。おそらく、これまでは付加価値の高い製品を売っていたから、ブルーカラーの生産性が高いように思われていたました。

 でも、それは精神性に根付くものとは言いがたい側面もあるんじゃないか。日本人の労働者全般の精神としては、本当はダラダラするのが好きなんじゃないかとすら思うんですよね。

 やたら5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)とか、QCサークル(職場内での自主的な品質管理活動)とか小集団活動とかも好きですよね。企業では毎年、発表会をやって改善活動の成果を披瀝しています。それらの活動は重要でしょう。でも、毎年毎年そんなに劇的に改善できるわけないですよ。多くの現場では、「今年は何を発表しようか」とテーマを必死に探して、なんとなく効果があったかのようにしている。目的と手段が逆になっている。それは僕も毎年やっていたからわかります(笑)。実際は何の価値も生まないのに、止めようせずに、ダラダラ活動を続けています。実は日本人のもともとの気質って、そっちなんじゃないかという気もしますけどね。

◎平等社会の日本ではワークシェアリングは無理──飯田

 イタリアの場合は、家族の助け合いが結構強くて、実家から男が出ていくのは30過ぎなんて例も結構多い。失業しても実家でのんびり過ごしていてるとか。失業手当が結構継続的に出るので、あまりあくせくしないという制度的理由もあるんですよね。

 もともとヨーロッパ全域がそうだったんですが、それでは生産性が上がらず経済が不効率になるからと、オランダは80年代初頭から20年かけてそれを改革した。そのときに、失業手当の認定を厳しくするという方向ではなくて、とにかく少しでも働きましょうということで、ワークシェアリングをして働き口をつくっていくという解決法に向かったわけです。

 ただし、日本にワークシェアリングを適用するのは結構難しいと思います。すべての仕事がワークシェアできるわけではないですから。

 単純労働が中心の典型的なブルーカラー労働はワークシェアリングが容易でしょう。この種の職種に就く人は、労働日数が短く、収入も低く、でも余暇を重視したライフスタイルというのを実現できる。その一方で知識労働のシェアはできない。月曜から水曜までの社長とか、週の半分だけ新聞記者というわけにはいかない。するとこのタイプの人は、フルタイムで忙しいかわりに収入も高い。同一労働同一賃金原則が徹底されたとしても、今度はワークシェア職と非ワークシェア職の分化が生じるかも知れない。

 問題はこのような分化を日本社会が許容できるか否かだと思います。これはヨーロッパのように伝統的に社会階層が比較的はっきり分かれている社会でないと実行しづらい。アメリカと日本では、少なくとも理念や建前の上では階層が否定されていて人間はみな平等だという前提に立つので、政府主導でワークシェアリングを推進するのはなかなか困難だと思っています。

 アメリカの場合は、貧乏人がハードワークによってたくさん稼ぐことを否定できませんし、日本の場合は、同じ会社のなかでたくさん働けてたくさん稼ぐ人とそうじゃない人がいるのはおかしいという話になる。 社会の階層性という意味では、確かにアメリカもスーパーリッチ層とそれ以外には分かれていますが、スーパーリッチの数は圧倒的に少ないですから。

 いずれにしても、分割できる労働とできない労働という分け方をすると、実は国民の階層を二分するような話になってしまうので、それを受け入れられる素地は日本のカルチャーにはないと僕は思うんですよ。

◎現実にある残酷な事実──坂口

 確かに、経済の効率性を高めるために人々の間の階層性を認めるというのは、日本では難しいでしょうね。

 ちょっとオカルトっぽいですし、僕は断言しませんが、アーサー・ジェンセンのように遺伝で子供の知能が決まると言う人もいます。でも、仮にそのような統計上の結果があったとしても、やはりナチスの優性保護思想の評判が悪すぎて、戦後はそういう話はしづらくなっていますよね。

 子供たちに「君たちは生まれたときから、すでに能力格差がある」という話をしたって、それは悲観論しか導かない。だから「子供たちの可能性を伸ばすべき」という戦後教育のなかで、子供間の格差は「あってはいけない」前提です。

 またこの格差論は極論も導きがちで、アメリカの場合も、昔は「黒人は頭が悪い」という問題に結びついてタブー視されていましたよね。

 あるいは、環境決定論を採るにしても、それは親から相続される経済環境や文化資本とかなので、事実上は遺伝の話をしているのと変わらないんですよね。

 とはいえ、一流大学で教鞭をとるサンデルの授業でも、長男と長女は頭がいいという話の後に、「長女、長男、手を挙げてみろ」と言ったら、ほとんどが手を挙げたという恐ろしいシーンがありました。あれは残酷な気はしましたけども、やっぱり一人目の子の方がお金をかけてもらえるというのは現実でしょうから。

 僕は驚いてしまったんですが、東京大学が発表している「学生生活実態調査(2009年)」では、親元の年収950~1050万円が一番多くて23%もいるんですよね。それ以上を含めると、40%以上。個人ではどうしようもない事態は、もう明白になってると思うんですけど。

◎従来の日本型労働を維持するか階層社会を許すか──飯田

 僕は受験業界が長かったのでわかるんですが、金をかければ大学受験ぐらいは何とかなってしまいますよ、実際。

 塾業界は人材が流動的なので、給料が違うとすぐ人が移るし、ちょっと評判がいい先生にはすぐ引き抜きがあります。経験・才能・熱意と三拍子そろってる、そして当然ながら料金も高い(笑)というようないい先生につくと、かなりの子が偏差値10ぐらいは歴然と上がります。

 もちろん先生との相性もありますが、個人指導で良心的でいい塾に行けば普通成績は上がる。いい加減な大学生のバイトがやっているようなところではタカが知れていますが、ちゃんとしたメソッドを持っていて研修をバッチリやっているようなところだと間違いなく上がります。その意味で少なくとも大学受験まではお金である程度は何とかなる世界です。

 日本が本気で従来のイメージ通り、国民の階層化を避けて、粒の揃った質の高い勤労者を生み出していく社会を維持していきたいなら、まだ打てる手はあると思うんですよね。あるいは、ある程度の階層化を是認して、ワークシェアリングへの社会的合意を目指していくべきか。

 どちらにも有効な手を打たずに中途半端になってグズグズ沈没していくというのが最悪です。こうした選択が正しく争点化できるよう、実態に即した日本社会の自己像は、もっと精緻に描いていくべきでしょう。

 <了>

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