(短期連載)一倉定とは何だったのか~最終回(坂口孝則)
(前々回から、日本における経営コンサルタントの祖である一倉定さんをとりあげています。コンサルタントにご興味のない方も、一人の面白い男性の自伝としてお読みいただければ幸いです)
一倉定氏:1918年4月群馬県前橋市に生まれ、1999年3月に鬼籍のひととなった。前橋中学校卒業後に、中島飛行機株式会社の生産技術係長、富士機械製造の資材課長や、日本能率協会のプロジェクトマネージャーをなど経て、経営コンサルタントとして独立した。
・トップの動きがすべてを決める
氏は講義にやってきた受講生にたいしてチョークを投げたり、ひっぱたくほどの<熱血>講師だった。そして、社長業専門コンサルタントとして、つねに社長に地べたを這いずりまわることを勧めた。
<いい会社とか悪い会社とかはない。 あるのは、いい社長と悪い社長である。(一倉定の社長学 第9巻 「新・社長の姿勢」)>と述べ、社長へ重課主義ともいうべき、徹底した働きを求めた。
また、社長というのは、新規事業について部下のアイディアを論評する立場ではない。
<社員にまかせても良いような 新事業は、はじめから 「わが社の将来の収益」など 期待できない>し、<新事業というものは、第一に、社長自ら身を挺してやるものだ。 世の中の社長の中には、新事業に自らはたずさわろうとせず、他人まかせにする人がかなりいる。 難しい新事業は他人に任せ、自らは永年手慣れた事業の方をみている。やさしい方を自分がやり、難しい方を他人にまかせるとは、いったい、どういう了見なのだろうか。成功など夢の夢である(一倉定の社長学 第4巻 「新事業・新商品開発」)>と厳しい。
外部環境のせいにするな、すべては経営者の責任だ、が口癖で、<値段を値切られるのは、 値切られるほうが悪い。(中略)お客様に少しでも恨み心がでたら、もう、そのお得意先に誠意をつくすことはできないのだ。(「経営の思いがけないコツ」)>とまで断言する。
なぜ、氏はここまで徹底したトップの姿勢を進言したのだろうか。今回、氏の自伝的記事を書くにあたって、氏が発表している講義録や書籍にほぼ目(耳)を通した。すると、氏がこのような思想にいたったのは、調達部門での挫折と、そして勤務企業の倒産にあった。調達部門での挫折は前回もふれた。つまり、部門が改善できたとしても、全体の斜陽には、なすすべもなかったというのだ。外注管理と倉庫管理がうまくいっても、結局は商品が売れずにダメになった。
氏は、部門最適と、部門のプロフェッショナリズムが、必ずしも全体最適につながらない”真実”を経験から多く記述している。
<設計技術者は、マーケット・プライスも知らずに、性能やデザインに強い関心を示し、高原価になることなど考えようとはしない。 IEマンは作業改善の効果を過大評価して自己満足に陥ちいり、検査マンはコストはかまわぬ常識外れの厳重な外観検査に熱中して、責任を果たしていると思いこんでいる。 経理マンは、経営に役立つ前向きの会計データをつくることには興味を示さず、伝票式会計から、会計機の使用が合理化だときめこんでいる。(雑誌「産業訓練」1966年11月号)>し、
<事業の繁栄よりも自己の領域をひろげることに浮き身をやつし、デミング賞をもらって倒産し、合理化モデル工場が不渡手形を出すという事態をひきおこすのである。(雑誌「産業訓練」1966年5月号)>と皮肉も忘れない。
かつて自身が属した調達部門への苦言も多々ある。
<コスト・ダウンの場合には、先きに述べたとおり常に”これだけ下げる”という計画をたて、実現に努力し、達成したらさらに”これだけ”というステップを踏むことが大切で、”できるだけ下げる”というのでは、いくら下がっても下がらなくても、「これでできるだけ下げたのだ」という結果になってしまう。 “できるだけ”主義でなく”これだけ”主義でいくのが本当であって、”これだけ”のくり返しが”できるだけ”になるのである。(「あなたの会社は原価計算で損をする」)>
氏は、そもそもトーハツ(東京発電機)の下請企業に勤めていた。そこで、生産部門がどんなにがんばっても、結局は商品の魅力がなかった、と氏は語る。垢抜けないデザインで、ヤマハ、ホンダなどにシェアを奪われ、売上が短期間で半減した。給料も減り、なすすべもなく、おののくことしかできなかった。そして、次に働いたところも、経営陣は理屈はよく知っているのだが、資金繰りに窮してまたしても潰れた。
なんと、氏は勤めていた4社がすべて倒産してしまう(!)という稀有な経験をしている。稀有とは失礼にほかならないが、しかしやはり。理屈と現実のギャップを骨身にしみて理解したのは間違いない。
そして、その経験ののちに、コンサルティング会社に入社する。が、その幹部連中は、会社の倒産などに関心がなく、常にこまやかな生産性向上に時間を費やすだけだった。私は、生産性向上活動を否定するものではなく、むしろ必要な行動だとは思う。ただ、一倉氏のような修羅場をくぐりつづけてきた猛者からすると、不毛な行動に映ったのだろう。「そんなことをしても、結局、何にもならない」と。
そして氏が得た結論が、お客様第一優先主義だった。
<私は、夢中になって「事業経営とは何か」に焦点を合わせて勉強した。最も参考になったのは、現実の会社と、経営者の経営哲学や行動であった。 それらの勉強から、やっと分かったことは、「事業とは市場活動である」ということだった。「経営の思いがけないコツ」)>
・快進撃と鬼
氏はそこから当時としては斬新な著作を生み出していく。「マネジメントへの挑戦」は氏の思想を集結した書籍だった。もちろん、書かれていることに現代的にはさほど驚きはないが、どこを切っても血が溢れそうな熱意が感じられるのだ。「序にかえて」からその傾向が感じられるだろう。
<これは挑戦の書であり、反逆の書である。ドロドロによごれた現実のなかで、汗と油とドロにまみれながら、真実を求めて苦しみもがいてきた一個の人間の、”きれい事のマネジメント論”への抗議なのである。 何も知らない一個の人間が、けんめいにマネジメントを学び、これを実務のうえに具現しようとした。しかし、マネジメント論に忠実であろうとすればするほど、現実との遊離が大きくなっていくのである。(「マネジメントへの挑戦」)>
氏はドラッカーとランチェスターを学び、そして日本流に修正をくわえて世に問うた。その修正の方法とは、ドラッカーやランチェスターを正としながらも、しかし理屈だけでは上手くいかぬ現実を、社長業一点にしぼり力技で突破しようとしたのだ。
氏はきっと理屈を愛し、ただ無視できぬ現実にもがいていたのだと思う。こういうと生前の氏から怒られるかもしれないが、その溝を埋めるために、やむなく自身に鬼の仮面をかぶせて指導「せざるをえなかった」のではないか。そして、それを繰り返しているうちに、その鬼は、自身にまとわりつき、そして一体化してしまった。精神が実存を創るのではなく、実存(鬼のフリ)が精神(氏の思想)までを変容させてしまったのではないか、と。
鬼の面は、氏に自信と確信を与えたに違いない。そして、ひとは断言するひとについてゆく。私は氏の経営指導のあり方に賛同し尊敬するものだ。ただし、この鬼のモビルスーツには、ある種の危うさがつきまとう。その確信は、ひとを引き返せぬ立場にすら追い込む。
・鬼と失墜
氏は経営コンサルタントとして絶頂のときに体を患っている。表現を借りるならば「私の体はガタガタに崩れて病気の問屋のようになってしまった」ようで、糖尿病寸前、十二指腸かいよう、大腸カタル、肝臓不調、コレステロール高、中性脂肪過多に陥った。
そこから氏は独自の確信をもって、食事療法に傾倒していく。病気とは体調不良の重くなったものと捉え、自然治癒力向上に勤しんだ。
氏は食事療法についての書籍を上梓している。これまた失礼を承知で申し上げれば、私は同一人物が書いたものとは思えなかったほどだ。どう考えても経歴が同じなのに、同姓同名の、かつ同じ経歴のひとがいたのではないかと真剣に疑ってしまったほどだ。
「正食と人体」には、次のような記述がある。
<自然治癒力にすべてを任せる--つまり神のご意志に従えばよい(中略)自分の好みの塩味で食べたいだけ食べる(中略)塩分をとり過ぎることは不可能である(中略)”塩とって目覚め爽やか今朝の空”という気分を味わうことになる。寝起きが悪いのは塩分不足の証拠である。決して体質ではない。(中略)だいたい朝の通勤に一時間や二時間立ちっ放しで、押し合いへし合いをして疲れてしまうなんてのがどうかしているのだ。塩分十分ならば、こんなことは絶対にありえないことである。過労死なんてのは典型的な塩分不足で、塩分十分ならば、過労死したくとも、その望みは絶対にかなえることはできない。>
どうだろうか。私は食事療法の専門家ではないし、さまざまな健康法があるので、否定しない。ただ、そのような門外漢、半可通の私からしても、素直に受け入れられない。氏は覚悟をもって発言しただろうが、「過労死なんてのは典型的な塩分不足で、塩分十分ならば、過労死したくとも、その望みは絶対にかなえることはできない」と最後の一文を語る気にはなれない。
私は関係者の証言を聞いたが、どうも晩年には、醤油を一気飲みなさる様子も見られたという。
氏は鬼の面から自信と確信を受け取ったのではないか、と私は述べた。氏の初期作品を読むと、当時の管理会計の世界では間違いなく革新的なひとだったし、そのマネジメント論も独創的だった。とくに管理会計では、全部原価計算の危うさを明確に説き、直接原価計算による緻密なコストマネジメントを伝播させた。
その論理と理論のひとだった氏が、社長業コンサルタントとしてやや精神面に走り、そしてのちにはややオカルティックな食に傾倒していく--。これが私には興味深く、そしてさまざまな感情を沸き上がらせるのである。
氏の言説はいまだに意味がある。現代の私たちも学ぶべきところばかりだ。しかし、氏から学べるのは、絶頂期の発言のみならず、氏の人生そのものではないかと私は思う。一倉定とは何だったのか--。もちろん、すべてを書き尽くしたわけではない。しかし、いまのところの私の考察を3回にわたって記す。
<おわり>