(短期連載)一倉定とは何だったのか(坂口孝則)

・一倉定の名言

前回から伝説のコンサルタント一倉定氏をとりあげている。ふたたび氏のプロフィールを掲載しておく。

1918年4月群馬県前橋市に生まれ、1999年3月に鬼籍のひととなった。前橋中学校卒業後に、中島飛行機株式会社の生産技術係長、富士機械製造の資材課長や、日本能率協会のプロジェクトマネージャーをなど経て、経営コンサルタントとして独立した。

氏の名前を知らずとも、こう紹介しておこう。私たちが現在、日本における経営コンサルタントという職業を形作った人物だ、と。鬼のような指導で知られ、赤字会社の再建に命を燃やし、5000社以上を手がけた。

さて、今日は氏の名言をとりあげるものの、現代においてはややずれているものもある。たとえば、組織マネジメントを否定しつつ語った箇所は、このような感じになる。マネジメントが役に立たない理由を氏は、こう語る。

<その理由は”アメリカの直輸入品”だからである。アメリカの労働者にとって、企業とは”働いて収入を得る場所”であって、それ以外の何物でもない。だから収入さえよければそれでよい。そのためには、わが国ではとても我慢のできないような悪い労働条件のもとでも我慢する。
会社の最終の責任を負い、最高の指導者である社長自らの姿勢を示すことこそ社員を動機づける最大のものであることに、全く気付いていないからである。(「人間社長学」)>

とまあ、これはデータで語られたものではなく、かつ60年代の米国駐在経験者から私が聞いたには、さほど差があるようにも思えない。日本がいいところもあれば、悪いところもあるといったレベルである。しかし、氏がこのような言葉をひいたのも、結局は次のコメントに導きたいためだったはずだ。

<日本のように、会社と一体感をもつ社員には、いかにトップの姿勢と企業の未来を語ることが肝要であるかは経験したものでなくては分からないのである。(同上)>

氏は、経営トップが社員にビジョンを語る必要性を何度も説いている。このたび氏の全発言を読み返していて、トップに対するその厳しさに笑ってしまうほどだ。

<いい会社とか悪い会社とかはない。あるのは、いい社長と悪い社長である。(中略)「お客様の要求を満たす」ことこそ、事業経営の根底をなす会社のあり方であり、最高責任者である社長の基本姿勢でなければならない。(「一倉定の社長学 第9巻 新・社長の姿勢」)>

この調子がずっと続くのだ。

<ワンマン決定は権力の現れではない。責任の現れなのである。(中略)すぐれた決定は、多数の人々の意見から出るのではなくて、すぐれた経営者の頭から生まれるのだ。ワンマン決定は権力の現れではない。責任の現れなのであり、決定の大原則である。経営者は、すべての結果について全責任を負わなければならない。何がどうなっていようと、その責任をのがれることはできないのだ。全責任を負う者が決定するのが当然である。(「一倉定の社長学 第1巻 経営戦略」)>

<電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも社長の責任である。(中略)「社長の責任において決定する」という意味は「結果に対する責任は社長が負う」という意味である。
それだけではない。「社長が知らないうちに起ったこと」でもすべて社長の責任なのだ。会社の中では、何がどうなっていようと、結果に対する責任はすべて社長がとらなければならないのだ。「一倉定の社長学 第6巻 内部体勢の確立」)>

・一倉定思想の原点

では、なぜ氏は、こういった思想に辿り着いたのだろうか。それは、氏の調達部門や生産部門の経験にあったのだった。

氏はかつてトーハツ(東京発電機)に勤めていた。そこからのエピソードを抽出してみよう。

<資材管理責任者として、蜂の巣をつついたような混乱状態にあった外注・購買業務を完全に軌道にのせた。従来の追番管理方式に私のくふうを加えて、素朴なまでの簡素化を行ない、完璧に近い進度管理が、ごく少人数でできるようになり、在庫は大幅な減少をみて、倉庫はガラガラになりながら、欠品はほとんどなくなってしまったのである。この方式は、いままで幾つもの会社に導入されて、目を見はるような効果をあげている。「一倉追番管理方式」としてうぬぼれている独特のものである。
下請企業で、生産が上がり、外注・購買が円滑に行われれば文句はないはずである。(「社長学」)>

しかし、どうなったか。<会社はつぶれてしまったのである。それらの合理化には、会社の倒産を防ぐ力は全然なかったのである。この体験から私の胸の中には、経営学に対する疑問が、ハッキリした形をとって広がってきたのである。(同上)>

つまり、こういうことだろう、と私は思う。氏は、資材管理者として奮闘してきた(また、このエピソードには書かれていないが、プロフィールにあるとおり生産技術も担当してきた)。ただ、その凄い成果も、会社を変えるにはいたらなかった。通常、各部門のがんばりや成果が会社再建につながるとされるものの、現実的にはもっと上位概念で決まるというリアルを氏はつぶさに見た。なにせ、氏は<私がつとめた四社が全部つぶれてしまっている(「経営の思いがけないコツ」)>のだから、その印象は強烈だったに違いない。

氏は、そのあと<生産技術というものは、黒字会社の生産性向上に大きな威力を発揮することは、自らの体験で知っていたのだが、その生産技術も、赤字会社の再建には何の役にも立たないことを、その再建過程で知ったからである。(同上)>と語る。

それにしても、氏の社長以外の業務について、ミもフタもない書きっぷりは清々しいというか笑ってしまうほどだ。

<工程管理でできることは、ただ一つしかない。それは、「仕事の進みすぎや遅れを少なくすること」だけであり、それ以外は何もできないのだ。(「社長学」)><能力病が会社をつぶす>とかね。ただそれは繰り返すと、氏の強烈な経験からきたのは事実だろう。

ところで、私は調達・購買関係のコンサルタントをやっている。その私に「調達・購買が変わったって、会社は再建できない。それは会社の構造を変えるものではない」といわれたらどう答えるだろうか。個人的には、「そうかもしれませんし、そうではない場合もあるでしょう」というしかない。

もちろん誰だって自ら関わっている仕事を進んで否定しないものだし、一般化しにくい問題でもある。ただ、自分がやっている仕事はもしかすると意味がないのではないか、と問う冷静さは常にあってよい。その意味でも、氏のミもフタもない意見は、常に私のなかにあらねばならないだろう。

おそらく、氏は反逆のひとだったのだと思う。

製造業の現場にずっといた事実は、私に信頼感をあたえる。これは私の趣味にほかならないからさして根拠はない。ただ、現場の混乱と混沌と不合理のなかで、実際に油と汗にまみれてきた。金融や会計等分野の出身コンサルタントとは必然的に毛色が異なる。

その混乱と混沌と不合理にあて、実際に会社を良くするためにはどうすればいいのか。建前や綺麗事ぬきの真実はどこにあるのか。

そういった意味で、氏は反逆者にならざるをえなかったはずだ。完璧な現場主義は、教科書のみを使おうとすると、その教科書の限界にぶち当たる。そして、教科書を信じていればいるほど、その夢から醒めたときの落胆は大きくなる。その後、異なる現実に気づく。

それは、教えから、違う教えに移行しただけかもしれないものの――、事実、氏は自分の知識を一倉”教”と表現していたではないか――、一人にとっては大きなパラダイムシフトであるには違いない。

しかし、それにしても、日本能率協会にいたにもかかわらず、<能力病が会社をつぶす>などは面白いというか、脇が甘くはないか。おそらくここに氏の限界もあったように思う。そこで氏について、もう少し続ける。

<つづく>

無料で最強の調達・購買教材を提供していますのでご覧ください

あわせて読みたい