商店街再生へ向けたひとりごと(坂口孝則)
むかし「年収1000万円を超える働き方」なるテーマで2回ほど取材を受けた。このテーマ、各誌で何回やっているんだろう。取材に来たライター氏の年収は、この半分に届かないらしい。年収2000万円だかの話し方特集のときもそうだった。内容を熟知して達しないなら詐欺ではないのか。
住宅ローンを勧める記事の関係者全員が賃貸住宅居住者だったこともある。私にさんざん高級物件購入を売り込んできた営業マン氏も小声で「私は賃貸ですけれどね」と述べた。
コンサルタントがセミナーを開催して大儲けする方法があるとしつこく勧誘してきた営業マンに「そんなに儲かるならお前がやれ」といって電話を終えたら、すぐふたたびかかってきて「死ね」とおっしゃりすぐに電話が切れた。楽しい思い出だ。
地方メディアから商店街活性化の施策を何回かインタビューを受けた。最近の商店街利用頻度を逆質問してみると「ほとんど使っていない」が、「メディアとして商店街を盛り上げるのは大切」とおっしゃる。
このなかでも深刻なのは、最後の商店街再生だと私は思う。この数週間でいくつかの地方に行ったけれど、中心地にひとがいなかった。
都市在住者が年末年始に里帰りするたびに驚くのは、商店街がさびれていることだ。著者は佐賀県出身で、佐賀駅近くの白山名店街を歩く。平日の昼間など誰もいない。ビル1階でのラジオ公開放送を横切ると、誰も聴いておらず、犬があくびをしていた。県庁職員は「商店街の活性化を」と叫ぶ。しかし、私が見る限り、県庁から近い商店街で昼食をとろうとする職員は一人もいない。代わりに風俗店が出店し風紀が乱れることもあるようだが、ここでは風俗店すら撤退している。読者の地元商店街も、同様かもしれない。
ただ、日本ケーザイは楽天とamazonとヤマダ電機だけではなく、地方の小事業者も含めて成り立っている。商店街の低迷をよそに、郊外のショッピングモールは盛況のケースが多い。モールには広大な駐車場があり、家族で一日じゅうすごせるからだ。買うなら品揃えのネット、家族で過ごすなら郊外のモール、という本音の前に抗う商店街の魅力が必要だ。
かつてショールーミング化が話題になったが、商店街には見にすら来ない。
地方の商店街活性化はもちろん簡単ではない。ただ一言だけいうなら、それは「おんな子ども」の意見を聞くことだろう。某商店街再生委員会が老年男性だけで占められていたことに驚いた。かつて「おんな子ども」なる表現は差別的だった。しかし、おんな子どもが寄りたがらない場所は繁盛しない。
たとえば、さびれた商店街に同伴するウチの妻は、「喫茶店で出すコーヒー銘柄が若者向きではない」「ベビーカーで上がれないビルが四つあった」などと何十もの指摘をする。老年男性が商店街再生と叫ぶだけで復活するならノドが枯れるまで叫べばいいだろう。でも、利用者一人ひとりの「おんな子ども」の声をもっと重視してもいい。そう私は思うのだ。