「こっちで考える」の真理(牧野直哉)

以前、営業をやっていた頃の話です。

東南アジア某国の首都に建設されるオフィスビルプロジェクト。私の勤務先だけでなく、日本以外のメーカーも含めた厳しい競合合戦を繰り広げていました。当時、工場側で製造コストを担当していた私は困り果てていました。営業が入手した競合メーカーの見積金額から逆算すると、積算したコストは粗利も確保できない赤字レベルです。営業担当者は「勝てるコストを作り込め!」と再三強く依頼を受けていました。

あるとき、営業部門の責任者から電話がありました。もう時間的な猶予はない。私から競合に勝ちうるコストを積算するとの言質を取ろうとしていました。しかし、積算した数値と「勝ちうるコスト」には大きな差が存在します。私は電話口でこう叫んでいました。

「いくら勝てるコストと言われても、利益が確保できなければ事業として成り立たなくなるんじゃないですか?」

すると、まさにどこかドラマで観たような台詞が返ってきました。

「事業はこっちで考えるから、お前はとやかく言うな。言われたことをやれ」

その後、ほんとうに「こっちで考える」を実行してくれたのか。いや、考えるつもりがあったのか。もっと言えば、考える上で必要となるノウハウを持っていたのかどうか。ちなみに、営業責任者は私より二十数年先輩でした。バリバリの営業マンです。私は以降も案件を担当しました。案件の「赤字」状態が「事業」として考えられ、なんらかの打開策が講じられた形跡はありません。私への「こっちで考える」とは、まったくのその場しのぎだった可能性が極めて高くなります。

その後も、何度か同じような経験をしました。気がつけば私は「こっち」側の人間になりつつあります。引き続き「こっちで考える」といった物言いをされます。まさに中間管理職です(笑)。これまでの経験から学んだ結果、「こっちで考える」とおっしゃる皆さんに反論しなくなりました。「こっちで考える」と発言する皆さんは、私の意見や考えに対する具体的な対論などそもそも持ち得ていないのです。明確に説明できる考え方など持ち合わせていないからこそ、「こっちで考える」=お前は考えなくて良いと、考えた行為そのものを否定するわけです。で、あるならば、意見を述べても、自分の立場を損なうだけで、なんらメリットはないのです。

そして私が「こっちで考える」立場になる場合もあります。意見をしてくれた行為には感謝します。まず「ありがとう」と口頭で伝えます。そして、これまで私が考えてきた経緯と、現状での結論について説明をします。できるだけ、せっかく考えてくれた行為を尊重します。これからも考え続けて欲しいと思っているからです。

マネージャー以上の職位になれば「こっちで考える=広く意見を求められない」内容について意志決定する場合もあります。人事管理や投資/買収に絡む話など、情報管理を徹底しなければなりません。だからこそ日常業務上の問題に代表される広く話ができる問題は、先輩後輩の分け隔て、あっちもこっちも関係なく話をしたいと思っています。社内的な職位は関係なく、自分のやっている仕事を「事業としてどうか」と考えるのは、とても重要だからです。仮に考え出した内容が間違っていたとしても、考えた行為そのものは、ほんとうに尊いのです。

「こっちで考える」とは、こっちでない人を排除し、自分もしくは自分たちの考えや意見をごり押しする際にはとても便利な言葉です。組織的な上下関係の「上」から使えば、大きな力をもちます。この言葉の問題は、「こっちで考える」といって、実はなにも考えないマネージャー層と、内容でなく考える自由を奪うような頭ごなしに否定される実務担当者、結局「考える」行為を双方がしなくなってしまう可能性を秘めている点です。シンプルに言えば、「こっちで考える」と言う人ほど考えていない、そう判断して差し支えないのです。私は、上位者ほど考えなければならないと思っています。ビジネスとは、考えたかといって、正解が得られるわけではありません。しかし、考える行為を放棄したら成長しません。成長を放棄するような行為は、そもそもビジネスじゃないと思うのです。

(了)

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