女性が裸になるとき(坂口孝則)

かねてよりハンストに興味がありました。ハンストとは、ハンガーストライキの略です。政治的なデモを実施する際に、権力者たちにたいする、断食を伴った座り込み抗議活動を指します。これは、考えるほど凄い。なぜなら、「自分が傷つく」という行為が抗議になるからです。ここには、異常なほどの意味の倒錯があるように思います。おそらく、近代の倒錯についてもっとも敏感だったのはニーチェでした。しかし、今回はニーチェの話はしません。ここでは、その奇妙さについて述べるにとどめます。

そして、おなじく私が興味深かったのは、これらデモ活動において、女性が裸になるケースがあることです。これまた私は異常な倒錯を感じます。自らが裸になって、危険にさらす、その自虐的行為が、なぜ抗議になるのか。権力者を辱める、という抗議ならばわかります(もちろん違法であるものの、まだ理解できるという意味です)。しかし、女性自らが裸になるのは、自らが辱めを受け、強姦などのリスクを増大させる行為だからです。

歴史的に古いのは、十一世紀のゴダイバ夫人です。彼女は領主と闘うために、自らが裸になり民衆を扇動しました。彼女がほんとうにそのような抗議活動をしたかどうかは怪しいものの、「傷つくことで勝利する」倒錯の勝者ではありました。これ以降、近年、世界規模で話題になった「裸」講義を取り上げてみます。2002年にはイラク戦争反対のために、アメリカカルフォルニア州50人の女性が裸になって「PEACE」と人文字を作りました。2003年にはメキシコで大統領へのデモとして600人の多くが半裸となりました。2004年にはインドで女性たちが、インド兵のレイプ事件抗議のために、40人が裸になりました。また、近年の特徴として、首脳国会議やサミットで、グローバリズムに反対するために「裸」が使われているようです。

これらの「事件」を見ていると、面白いコメントに行き当たりました。私がかつて愛聴していたブラック・サバスの元ボーカリスト・オジーオズボーンが2008年に「戦争よりも自慰行為をせよ」と過激な(?)主張をしています。抗議活動とセックス、あるいは抗議活動と裸などのセクシャリティを結びつけた発言を読んでいると、ひとりの先人が思い浮びました。これは、私の仮説に過ぎませんが、抗議とセクシャリティを大衆に広めた偉人(?)は、おそらくジョン・レノンとオノ・ヨーコさんだったのではなかったか、と。あまりに有名な二人のヌード写真(あえてリンクを貼りません。「ジョン・レノン オノ・ヨーコ 裸」などで検索すればいくらでも出てきます)は衝撃的でした。

あまり知られていないパフォーマンスに、オノ・ヨーコさんの「カットピース」なる作品があります。これもあえてリンクを貼りませんが、ご興味のある方はYoutubeでご覧ください。これは、オノ・ヨーコさんの服をお客さんから切り取ってもらうものです。その大きさはだいたいハガキくらいで、そのカットピースを、「愛する人に贈ってください」というものでした。もちろん、60年代からさまざまなラブアンドピース運動はありましたけれど、これが裸と抗議活動を結びつけた嚆矢だったように思います。ちなみに、オノ・ヨーコさんは、このパフォーマンスで最後には裸になってしまいます。

おそらくこのメールマガジンの女性読者は、もし何かに抗議活動をするとしても、裸は選択しないはずです(たぶん)。私の仮説では、この裸の抗議活動は、ビジネスではなくアートの流れを汲むものではないかと思うのです。では、なぜそのアート手法によると、抗議が「裸」でなされないといけないのでしょうか。そこには私の書いた「異常なほどの意味の倒錯」とともに、根源的な矛盾があるからのように思います。その矛盾を吸収できるのがアートしかなかったのです。

抗議は、実際の権力を動かすためには、ある種の暴力が必要です。しかし、その暴力を完全に廃した象徴として「裸」があります。そのくせに、なぜだか、裸になった抗議者にある種の「勇敢さ」その逆の「無謀さ」「大胆さ」を感じ、それが暴力以上の暴力性を感じてしまうのです。おそらく、裸の抗議者を見るときに抱く感情とは、一糸まとわぬ死人を見るときの「落ち着かなさ」と同種のものかもしれません。

ところで、この説が正しいとすれば、もっとも恐ろしい敵は「権力者が裸を見飽きてしまう」ことでしょう。インターネットによって、裸のデモ画像が世界中をかけめぐる現在、「自分が傷つく」という行為は抗議であり続けるのか。こういうくだらない、しかし興味深いニュース <ニューヨーク市警察は、路上や公園など管轄区内の公共の場での上半身裸の女性は取り締まりの対象外とすると発表>( http://news.livedoor.com/article/detail/7698762/ )を読むと、むしろ裸の開放が、デモ効果を下げてしまうのではないか、とすら私には思えるのです。

<了>

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