調達・購買担当者の意識改革ステップ・パート2「サプライヤ倒産対応」(坂口孝則)

・サプライヤ倒産対応

解説:日本では一ヶ月に約1000企業が倒産しています。その理由は「販売不振」「赤字累積」

といったものです。これから日本経済が右肩上がりにならない以上は、同等数以上の倒産を予想しておかねばなりません。倒産には、いくつもの種類があり、大きくは「法的手続」によるものと「私的手続」によるものにわかれます。前者(「法的手続」)では「民事再生法」「会社更生法」など再建を目指すものと、清算するものとにわかれます。後者(「私的手続」)では文字通り私的な交渉でおなじく再建を目指すものと、清算するものがあるとだけでも覚えておきましょう。

サプライヤ倒産を完全に事前予知できません。ただ「主要製造製品の付加価値は高いか、特有技術を有しているか」といった定性的な観点に加え、毎年の決算書類チェックなどは実施しましょう。くわえて、もしサプライヤが倒産した場合は、とりいそぎ発注残高の確認をしたうえで、貸与品の確認、代替サプライヤの決定を社内展開せねばなりません。

残念ながら、やはり巷間で倒産する企業はあります。自社と取引のあるサプライヤの倒産後処理の円滑化できるかが、調達・購買担当者の力量が問われるはずです。

意識改革のために:

サプライヤと価格交渉をしたり、納期調整をしたり、ときには感情的になったり。まず、みなさんがサプライヤとそんなやりとりができるのは、当たり前ではないと思ってください。たまたま、そのサプライヤの担当になったこと、サプライヤの営業マンと話していること、くだらないトラブルまでもが、大げさにいえばある種の出会いの偶然るものだからです。

それは、これまで先輩たちがサプライヤとの関係を構築してくれたからこそ、安心な取引が実現できることでもありますし、苦しい時代にあっても歯を食いしばりながら頑張っているサプライヤ現場のおかげでもあります。それに、見えないけれど、毎晩、寝れないほど悩んでいるサプライヤの経営者の存在も忘れてはいけません。

正直、私はサプライヤの倒産を2社しか経験していません。その1社での経験を述べたいと思います。

倒産が決定し、会社を精算することになったサプライヤを訪ねたときです。借金取りが大声をあげているとか、社内が混乱しているとか、債務者からの電話が鳴り止まないとか。実際はほとんどありません。怖くなるほど静かです。そのサプライヤの生産現場は、納入品生産が終わったばかりで、ほそぼそと出荷準備をしていました。ものづくりは大変です。それが自社の未来につながるからなんとか頑張れる。でも、将来につながらない仕事はほんとうに大変なんですね。

営業部長を呼び出すと、社長室に連れて行かれました。事務的な会話のあと、疲れきった様子の社長に「今日は何をなさっていましたか」と訊くと「花壇に水をやっていました」とのお答え。そして「設備を拭いていました」と。この意外な答えに、私は驚きました。まだ、そこと離れたくなかったんですね。もう工場にくることがない事実、設備が使えなくなってしまう事実、そして社員との別れが信じられない。まだ、設備を使いたかったんでしょうね。

広い土地を買って、借金して、社員を雇って、現場ではトラブルに翻弄され、不平不満ばかりを聞き、バイヤーからは値下げ交渉しかなく、期日通りに納品しても感謝の言葉さえ聞けず、さらに手元にはほとんど残らない。残るのは不眠症と、シワだけ。ものづくり企業経営など、建前ではなく、崇高で強い思いがなければ続きません。ときに、サプライヤからの売り込みが「しつこいな」「面倒だな」と思う場合もあるかもしれませんが、実は調達・購買担当者にとっても大切な役割なんですね。

その後、打ち合わせが長引いたせいか、夕食を出してくれました。出前を取ります、といって、買ってきてくれたのはマクドナルドのセット。パサパサだったけれど、妙に印象に残る晩餐でした。

・サプライヤの立場になること

その後、サプライヤ倒産にともなった会議が開かれました。担当者としてその会議に参加したのは私です。サプライヤの倒産はバイヤー企業側にとっても一大事。サプライヤの部品を採用する際には、何重ものテストを行い、品質監査や実機試験などを行います。それなのに、サプライヤが倒産したからといって、すぐに代替品など設定できません。よく「マルチソース先をあらかじめ選定しておけ」というものの、標準品ならまだしも、ほとんどの部品で代替調達先や代替部品などありません。

かといって、サプライヤが供給できないのも事実です。結果、社内は混乱します。「そもそもサプライヤを潰すのが悪い」「どうすりゃいいんだ」「責任取れ」「工期遅れはどうなる」「資本注入して買収しろ」など、さまざまな意見が出るのですね。いまの私ならわかりませんが、当時の私にその社内混乱をおさめるのは無理でした。そこで、部長を連れ、そして(すぐに清算する予定の)サプライヤ営業部長や社長も一緒になって対策会議を実施したのです。

会議の冒頭は、サプライヤ社長のお詫びからはじまりました。「このたびは大変なご迷惑を……」。どんな内容だったか、もはや覚えてはいません。ただ、その状況にあって、サプライヤができるのは、最終生産最期をすこしでも後ろに倒すくらいです。社内関係者もはじめは遠慮していたものの、徐々にヒートアップします。もちろん、自部門の役割がありますから、しかたがありません。「なんとかしてよ」「あと1年どうにかならないか」。

キツかったのは、生産管理部門からのこの質問です。「わしらは、どうすりゃええんや」。その質問に私たち、そして、社長は言葉を失いました。「どうしたら……。残念ながら私はこれ以上、なんとも……」。つまり、どうしようもありません、と伝えるだけでした。

そのとき、私の上司であった部長が、毅然とこう述べました。私は調達部門におけるリーダーシップ、部下育成を話すとき、部長のこの姿が思い浮かびます。

「みなさん。この方々は会社をたたむといっておられます。その選択は、私たちが想像もできないほど、つらく、苦しいものですよ。おそらくこれからも、得意先をまわって頭を下げ続けられるかもしれない。ずるずると先延ばししたり、場合によっては逃げたりしたほうがラクかもしれません。でも、こうやってちゃんと説明にきていただき、私たちのために、全力をつくすとまでいっていただいている。倒産は残念です。でも倒産することがある。それが現実です。取引先選定が調達の責任だというなら、たしかにそうでしょう。当件については、すべて私が責任をとります。なんだったら、みなさんの上司に私の責任で取引先が潰れたといってくれてもかまいません。そのうえで、みなさん、どうすれば少しでもスムーズに処理できるか、もう少しお付き合いください。お願いしたいのは、私のせいで起きてしまった事態への対処です」

部長は深々と頭を下げました。

発言は正確さを欠いているかもしれません。ただ、このような内容を発してくれて、ほんとうに助かりました。誰のせいでもない、自分の責任だ。私は組織の優劣は「いろいろあったけれど、最後は自分がすべての責任を負います」といえるリーダーがいるかどうか、と思います。その後、「そうですよね……。しかたありませんから、何ができるか考えましょう」と、全体がじょじょに前向きになり解決策を話し合っていきました。

なんと私は、どのような解決策だったのか、その点について記憶がありません。ただ、サプライヤ倒産実務として重要なのは、この「誰のせいでもなく、自責として問題解決に取り組む姿勢」なのではないかと思うのです。

・サプライヤへの「ありがとう」

こから数週間くらい経ったころでしょうか。いよいよ、会社清算も終わったころ。部長が「最後に食事にご招待しなさい」と指示がありました。サプライヤからはおなじく営業部長と社長がお越しになりました。

「これからのご予定は?」と失礼ながら聞いた私に、営業部長の答えは忘れたものの、社長は「少し落ち着いたら考えます」と述べました。

どれくらい話したころでしょうか。部長が私に「あれを読んであげて」といいました。「あれ」とは、部長からもう一つ指示があったものでした。「最後に贈り物をしたい」と。「でも、物とか花ではない贈り物だ」と。

部長は、私に社内を巡らせて、そのサプライヤへの感謝を集めさせました。たとえば、生産管理部門だったら「無理な納期も助けてくれてありがとうございました。これからも応援しています」とか、設計部門だったら「○○さんとの仕事は印象的です」とか、品質管理部門だったら「大変なことばっかり言ったけど、いろいろありがとうございました」とか。いくつのメッセージを集めたのか覚えていないものの、色紙ではなく、メッセージを聞いて私がパソコンで紙にまとめていました。

一人ひとりのメッセージは短い。でも、その人数分を読むと、かなりの量になります。最初はメッセージを読むたびに、「あの人との仕事は大変やったなあ」と笑いながら聞いてくれていた社長も、じきに静かになり、唇を震わせながら目をパチパチしていました。

「次の人は……」。読んでいる私も、何度も声につまりました。何度も読めなくなりました。

社長と営業部長は目にいっぱいの涙をため、そして社長の大粒の落涙を見ました。

私は、なぜこの感謝を伝えられなかったんだろう、と思いました。もちろん、現場では大変です。感動ではなく結果がすべてでしょう。しかし、両社が毎日の活動で、いえずにいる「ありがとう」の言葉を意識してかけられたのならば、きっと何かが変わっていたのではないか。そう思いました。

「こちらこそありがとうございます……」

・サプライヤと接する際に大切なこと

その後、部長と帰宅しているとき。「最後になってお礼を伝えましたが、あれは早めに伝えておくべきでしたね」というと「そう思ってるだけでいいよ」と部長はいいました。「でも、泣かせてしまいましたね」という私には「違うよ。ずっと泣きたかったんだよ。でも他の社員とか債務者の前では泣けないだろう。感謝の言葉だったら、それに感動したことにして泣ける」と。「そういうものでしょうか……」。

「あの人も、なんとか無事に復活してくれればいいねえ」

大切なひとがいなくなってから、その重要性に気づく。これは、これまでも言われてきた話です。あらかじめ気づけなかったとは、つまり私の稚拙さを示すものでしょう。

ただーー。と昔の自分を棚に置きながらも感じるのです。

仕事をするとは、

単に机に座って書類を眺めたりとか、
パソコンでやりとりをしたりだとか、
退屈な会議で時間をつぶしたりだとか、
事務作業を繰り返したりすることではなく、

社内外ふくめたさまざまな人たちとの出会いのなかで喜んだり悲しんだりときには怒りながらも、その偶然に感謝し、接している目の前のひとを全力で受け止めることだと私は思います。

私が倒産するサプライヤとの会話のなかで抱いたのは、かわいそうという同情や、哀れみの気持ちではなく、その瞬間の非回帰性とでもいうべき、今に集中する大切さでした。

そりゃ、くだらない仕事ばかりかもしれない。でも、戻れない時間のなかで、真摯に仕事とも、そしてサプライヤとも接していかねばならないのだ、と。

 <了>

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