若手バイヤーの育ち方(坂口孝則)
・自己を騙すという育ち方
若い人に向けて、けっこう大事なことを話してみたいと思います。それは、「成長しようと思えば、自分を騙せばいい」ということです。私は一体何をいおうとしているのでしょうか。
私はテレビの収録を通じて、芸能人の方々と話す機会があるのですが、そのときに「なぜこの世界に入ったのですか?」と訊くと、「いや、よくわからないんですよ。些細なキッカケで」と答えられます。私は最初「そんなことないでしょう。今のお仕事は愉しいでしょう?」と言い返していました。その答えが「もちろん、愉しいです」という答えだったものですから、「やはり、夢というものを持ち続けた結果ではないか」と思っていたのです。
しかし、よくよく考えると、「いや、よくわからないんですよ」という答えも、本音ではないか。そう思ったのです。なぜか。それは「目の前のことを頑張ってやっていたときに、突然ドアが開くことがある。そしてその世界に入ったとき、予想もせずに上手くいくことがある」からです。
もしそうであれば、行き当たりばったりではないか。そう思われた人がいるかもしれません。その通りなのです。基本的には、芸能人のような華やかな世界にいる人も、けっこう行き当たりばったりなのですよね。そして、私はそのことを批判したい訳ではありません。
むしろ、逆です。人間の優れた点は、「現状を、さも以前から望んでいた状況であるかのように、思い込むことができる」ということにあります。私だって、テレビに出たり、本を出したりすることを望んでいたわけではありません。しかし、これまでのことを振り返ってみると、さも以前から「今の現状は、望んで作り出したのだ」と思い込むことができます。しかも、それを、「以前からの夢が叶った」と他者に話すことすらできるのです。
ここには、たいへん重要な、それでいて逆説的な内容が潜んでいます。それは、「自分の成長は、事後的にしか確認することができない」ということです。私は以前、このメルマガで「OJTを通じて、何が学べるかということが、事前にわかってはならない(大意)」ということを書きました。それと同じく、「自分が成長したかどうか」は、事後的にしか確認することはできないのです。
ちょっと難しいかもしれませんから、簡単に話します。あなたは一人のバイヤーだとします。納期調整や、社内のワガママを交わすのに必死です。しかも、実務の只中にいるときは、なぜそんな仕事をしているのか、その必要性すら理解できません。「私はこんな仕事をやるためにこの会社にいるわけではありません」と言ってしまう人は、その典型ですよね。でも、そう言ってしまいたいくらいの葛藤があります。
ただ、その仕事をこなし、毎日必死にぶつかっていると、ブレークスルーが生じるはずです。社内から頼りにされたり、サプライヤーからも信用を得たり、業務で華やかな成績をあげたり。そうなってくると、事後的に「私の仕事には意味があった」「私の経験には意義があった」と確認できるわけです。これは事前には実感できないという種類のものです。
そうなると、事後的に「これは以前から私が望んでいた仕事だ」と思い込むことができます。私は、この「思い込む」という表現を批判的には書いていません。むしろ、「良いことだ」という意味で書いています。自分が成長したという実感や、特定の能力を身につけたという実感は、常に事後的にしか確認できないことなのです。
冒頭の芸能人の話に戻りましょう。私は<人間の優れた点は、「現状を、さも以前から望んでいた状況であるかのように、思い込むことができる」>と書きました。成長や能力構築を事後的にしか確認できないのですから、それは当然だったというわけです。
現在のビジネスとは、その逆をいっています。目標があって、プロセスがあって、管理指標があって、スケジュール管理があって。もちろん、ビジネスにはそれらは必要でしょう。しかし、一人の人間の成長やキャリアにとっては、必ずしもそれは当てはまらないということを言いたいのです。
私は以前、仕事について「やりたいことをやる」のではなく「やることを愉しむ」ことが大切だ、と書いたことがあります。目の前のことに全力でぶつかる。それによってしか、自分の成長や能力構築や、あるいは「夢」さえも、事後確認できないものなのです。