ほんとうの調達・購買・資材理論~番外編(坂口孝則)

・Yさんの自殺

今回は、用意していた原稿を消して、新たな文章を書いています。本来は、「ほんとうの調達・購買・資材理論」の番外編として、リスクマネジメントと社会動向の続きを掲載する予定でした。

しかし、このメールマガジンは文字通り理論を中心に業務の改革を目論むものです。ただ、今回だけはどうしても定性的で感傷的な内容を書かせてください。実は今回の原稿を用意し終わったとき、お一人の調達・購買関係者の死が耳に入りました。そのお一人とは、Yさんという女性で、私が主催していた「購買ネットワーク会」の幹事を務めていた方でした。

信じられませんでした。おそらくこのメールマガジンをお読みの方であれば、お会いになっているかもしれません。享年34歳、自殺でした。

その訃報を聞いて「しまった」のは数日前の仙台でのことでした。私は講演前で、控え室であれこれと考えにふけっていたときです。私は宗教的なことを信じません。ただ、妙にその訃報前には落ち着かなかったことを覚えています。仙台では雪が降っていました。

*  *  *

私の最新刊「調達・購買の教科書」のカバーデザインは工場倉庫の写真になっています。このカバーデザインが倉庫になっているのは、ある意味があります。というのも、私が倉庫を見るたびに、調達・購買業務のつらさや苦しさが舞い戻り、苦難の厳しい日を思い出してしまうからです。

仕事をはじめたばかりのとき。おなじく雪の降る東北に、納期調整のためにやってきていました。納期調整といっても、会議ではありません。倉庫と生産現場の隣にあった部屋に閉じこもって、ひたすら部品の完成を待つだけでした。ストーブがあったのかなかったのか、ただただ寒くて凍えて、時間が過ぎ去ることだけを祈っていました。

しかし、このエピソードは何度か書いたので、もう繰り返しません。

Yさんとのことです。

やめておけばいいのに、仙台で訃報を受けた後、何を思ったか私はYさんの名前でメールを検索してみました。なぜだかそうせざるをえなかったのです。すると、まったく覚えていなかったものの、雪の降る日に一度だけ二人でデートしていました。もちろん、そのような関係ではなかったので、なぜ二人で出かけたのかはまったく思い出せないままです。同じ雪の日でした。そしてもう5年も前のことでした。

不意に私は胸を衝かれ泣きだしてしまいました。

講演の直前までその嗚咽は続きました。

・生きていてよかった、働いていてよかった、と思うこと

さらに時を遡ること、10年以上前のことです。私は毎日、毎日、鬱的な日々を過ごしていました。仕事が面白くない。光が見えない。将来がわからない。未来が不安だ。

いまでこそ私は「モチベーションで仕事なんかするなよ」といった本を書いているくせに、当時はその程度でした。情けない限りです。でも、毎晩のように部のドアを鍵閉めして帰宅する(すなわちもっとも遅くまで残っていた)状況が耐えられるはずはありません。

ある雪の降る日のこと。和田岬という駅から帰ろうと思ったら、ギリギリでした。定期券を忘れていたので、カバンから財布を取り出して切符を買おうと思ったら手がかじかんで、もたついてしまいました。結果、終電にも乗り遅れてしまった経験があります。

外に出ると、それまで以上に雪が振って、歩いて帰ろうとする若者をいじめているのかとすら思いました。惨めでした。不安でした。怒るにも、何にぶつけていいかわかりません。わかるのは、自分が馬鹿なことだけです。

そこから1時間ほど歩いて板宿という駅についたとき。なぜだか途中でビールを買って、ふらふらとさまよい歩いていました。寒くて凍えているくせに、このまま帰宅できなかったようです。

コンビニエンスストアを見つけたら500ミリリットル缶を買う。そして、次のコンビニエンスストアまでに飲み干して、次の500ミリリットル缶を買う。私の精神は普通のそれではありませんでした。

当然ながら、いつの間にか私は酔っていました。

(いまではこの癖はなくなりましたが)当時、買ったばかりの携帯電話でそのときの彼女に電話していました。「もういやだ。辞めよう」という私に。彼女は「そう? 辞めても大丈夫だと思うよ。あなたならどこにいっても問題なしー」と答えました。「え? ほんと? 止めるんじゃないの? こういうときって」と私がいうと、「だから、あなたなら大丈夫でしょ」と繰り返しました。

私はさらに止めておけばいいのに、会社の先輩にも電話しました。泥酔していましたが、おそらくTさんに電話しました。すると、いつも厳しいTさんは一言。「お前のこと、好きだよ」といってくれました。それ以外に何を話したかを、正直まったく覚えていません。しかし、理論でもなく、物事の筋論でもなく、成否でも善悪でも正否でもなく、たった二人の言葉がなぜか私を救ってくれたことを覚えています。

くだらないかもしれません。しかし、雪の降る寒い夜には思い出すのです。短い、一言が救ってくれたことを。

・理論だけではなく、働く意味を感じてもらうために

Yさんを、私が救えたかはわかりません。もちろん、自殺前に会っていたとしても、(その様子を微塵も感じさせなかったようですから)同じ結果だったかもしれません。

私は冥土もあの世も信じません。ただ、残された私たちがなすべきことは、図らずもYさんが私に伝えてくれたように感じる「教え」を行動することだと思います。身近すぎて伝え忘れている感謝の一言を、身近すぎて伝え忘れている愛情の一言を、身近すぎて伝え忘れている承認のメッセージを、あらためて周囲に伝えてあげること。そして、理論だけではなく、働く意味を感じてもらうこと。

反省するに、私はこのところ理論や論理、そして仕組みやデータに偏りすぎていました。そうではなくて、調達・購買関係者を突き動かす感動を伝えることができないか。

私はこのところずっとそう考えています。何よりも私のまわりでこれ以上の不幸をなくすためにも。

いまは3月になりました。

たまたまなのか、私に「調達・購買部員の意識改革」というテーマで話す場をいただけた方がいます。

私はまず、一日一日にすべてを捧げたいと思います。そのなかから、一人でも多くのひとが、私の二の舞にならないように。そしてYさんのような選択をとらないためにも。私にしか紡げない言葉で語りたいのです。

どうしても、みなさんに、伝えたいことがあるのです。

 <つづく>

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