坂口孝則の「超」調達日記(坂口孝則)
■9月X日(月)■
・朝から護国寺に向かう。光文社で新刊のゲラ打ち合わせ。光文社の隣には講談社があるんだけれど、「永遠のゼロ」が大々的に宣伝されていた。関西の放送作家だった百田直樹さんの大出世作。ストーリーの見事さも凄い作品。あれだけ売れれば一生食えるかもしれない。頑張らねば……と密かに決意。
新刊のタイトルは「野比家の借金」となった。どうだろうか。編集長ともに考えてくれたタイトルのようだ。たまに、ぼくに「なぜあんなタイトルにしたんですか」と訊いてくるひとがいる。残念ながらぼくはこれまで自著のタイトルをつけたことがないので、答えようがない。それと、「あなたはこういうものを書くべきだ」とアドバイスくれるひともいるけれど、それは自分自身で書くべきだと思う。こちらは編集者とニーズを考えながら一作を作り上げる。それ以外にニーズがあると判断する場合は、自分で行動に移すしかない。違うだろうか。
そういえば、かつてぼくが東京でやっていた購買ネットワーク会について「関西でもやってくれませんか」という依頼が多くて驚いたことがある。ぼくならば、「関西でもやりたいのだが、名前を貸してくれないか」というだろう(そして、実際、そのような方がいらっしゃったので、関西で開催されることになった)。通常のひとたちは、他人に任せるという発想なのだ。「調達・購買担当者が何らかの行動を起こそう」とひたすらいっていたにもかかわらず、他人任せのひとが多かったので、正直に「残念です」といった記憶がある。
話を戻す。光文社でゲラ確認が終わって、雑談。「商店街はなぜ滅びるのか」が面白かったと話すと、予想以上に売れているらしい。やっぱりね。好著は売れるわけだ。文章もうまいしなー。ぼくの「野比家の借金」は10月発売で、なんと勝間和代さんの新刊と同時発売らしい。宣伝もかなりコストをかけてくれる(ちなみに、飯田泰之先生の新刊とも同時発売だ)。かつて「会社の電気はいちいち消すな」を上梓したときも、勝間和代さんの「会社に人生を預けるな」と同時発売だった。会社シリーズとして(笑)大変よく売れた。今回も売れると嬉しいけれど。それにしても、ここでは書けないが、勝間さんの新刊のタイトルが凄い。
■9月X日(火)■
・朝から事務所で打ち合わせ。次のセミナーについて議論を交わす。翌日がセミナー当日だったので、ギリギリ。逆に、寸前まで良い内容にするために改良を加えていると思っていただければ(笑) 打ち合わせが終わったら、二人ともその後の予定なし。そこで、真昼間なのにビールで乾杯。その二人とは、私と、営業コンサルタントなんだけれど、二人で目をあわせて「いつの間にこれほど自由人になったんでしょうね」と話す。
独立している人に共通の点は、もちろん「自分のサービスや商品を使って、世の中で挑戦したい」ということはある。しかし、それ以上に「会社組織に縛られたくない」と強い思いを持っている場合が多い。私もそうだ。私は、それでも組織人を否定したくない。組織人もフリーランスも、両者がときに立場を入れ替わりながら、強みを発揮すればいい。ずっと組織人だと考える必要もない。ずっとフリーランスと考える必要もない。日本組織は、たしかにいったん離れてしまったら再就職は難しいだろう。だけれども、自分の働くスタイルをもっと自由に考えたほうが良いはずだ。組織人であればたしかに昼間からビールを飲むのは難しい。だけれど、組織人であることの喜びはあるし、学びも大きい。二項対立ではなく、もっと柔軟に考えていきたい。
その後、悪徳セミナー商法を行なっていた某氏が、資金繰りで困っていることを教えられた。そうかあ、やっぱり真面目に真摯にやるっているのが、一番なんだね。中長期的に考えることが大切なのかも。すごく平凡な結論ではあるけれど。
■9月X日(水)■
・セミナー当日。午前中に某雑誌の電話インタビューの予定が、ぼくの時間が取れず、迷惑をかけた。ただし、メールで答えるのにな……。そしてセミナーへ。今回は5時間。講師が二人なので、2時間半ずつ話す。もうお一人の講演を聞いていた参加者が「理屈はわかるが、現実的ではないのではないか」と質問。このようなとき、ぼくは常に二つのことを考える。一つ目。講師としては、「明日から役立つ内容」を伝える必要がある。したがって、内容をブラッシュアップする必要がある。どんなときでも、実践的な内容はひとびとを虜にしてきた。しかし、だ。もう一つ目。理屈が正しければ、それを具現化するのが、ビジネスパーソンとして必要ではないだろうか。議論がごっちゃになっている。まずは、その理屈が正しいかどうかを考えるべきだろう。理屈や理論が正しければ、現実をそちらにあわせるようにすべきではないか。そうではないと、現実のみが正しいことになり、なにも変わらない。もちろん、聞き手にすべてを委ねることはできないけれど……。
セミナー後、主催者と雑談。どうも、最近は製造業を対象としたセミナーの動員が落ちているらしい。そうだよなあ。かつては、総労働人口の20%程度が製造業に関わっているといわれた。自動車はなかでも「1割産業」といわれ、10%のひとたちが従業していたわけだ。しかし、いまでは20%が10%強となり、対象者の落ち込みは避けられない。ぼくは意図的に、製造業を中心とする内容をシフトさせている。ただ、製造業を中心とするひとたちは、今後どうなるのだろう。って他人の心配をしている余裕もないけれどね。
さらにその後、ビールで乾杯。激安居酒屋にて。それにしても、全品が270円で安い。会計も安かった。これをデフレとはいいたくないな。給与水準も下がっているけれど、生活水準が上がっているのも事実。この前、若い社会人と話したら、「学生運動が盛んだったころに生まれたかったです」だと。それだけ燃えるものがほしい、という意味らしい。だけど、ぼくなんか昔には絶対に戻りたくないな。不便だし、ネットもないし、パソコンだって高いし。映画「always」は昭和30年代の素晴らしさを喧伝したけれど、ほんとうだろうか。不衛生だし、何より日本全体が貧しかった。昔を美化しようとする動きには同調できない(ちなみに浅羽通明さんの名著「昭和30年代主義」にもここらへんの実情が書かれている)。右肩上がりの時代とは、すなわち、貧しい時代という意味に近い。
ぼくなどは、どんどん社会が良くなっているとしか思えないんだけれど……。なぜ、みんな将来に不安ばかり感じるのだろうか。自分自身に不安を持つのは良くても、社会全体に不安を抱いても、解決策などないと思うけどね。
■9月X日(木)■
・朝から資料作成に追われる。その後、電車に急ぎ、飛行機で広島へ。広島はいいところなんだけれど、広島空港から市内までが遠い。バスで45分もかかる。お客さんと面談後、ラーメン食って、いったんホテルへ。翌日の研修資料に目を通す。
これ、俺だけかもわからないけれど、常に研修講師の直前って心配でしかたがない。話す内容はこれで良いのだろうか、資料は最適だっただろうか、期待に応えることはできるだろうか……。などなど。いや、もっといってしまえば「俺にこんな仕事できないんじゃないか」と思っている。「断れば良かったかも」と。逆に、この心配を抱いているから、改良し続けるのかもしれない。自信のなさの裏返しにすぎない。
■9月X日(金)■
・研修当日。早めに到着した。今回は30名様ちょっと。ちょうどいい規模だ。ケーススタディをやりはじめると、議論がものすごくさかんに! それまで静かに沈黙なさっていたにもかかわらず! ノリが良いと講師もやりやすい。
かつてアーティストが「ぼくたちはお客さんと一体化したときに、良い演奏ができる」といっていた記事を読んだ。そのときは、嘘だろう、と思った。客がどうであれ、演奏するだけじゃないか、と。しかし、演台に立つようになってから、その意味がよくわかる。講師の実力をフルに引き出すのは、むしろお客のほうだろう。どんなベテランの講師も、参加者にしかめっ面しているひとがいると、とたんに口調がダウンするといっていた。しかし、さかんにうなずき、メモしてくれるひとばかりだと、とたんにヤル気が出るのだ!と。「お客さんと一体化した」ときの効果は計り知れない。
そういえば、先日、某有名企業の研修ご担当者から面白い試みを聞いた。それは、昨年から「研修は全員参加ではなく、希望者のみの参加にした」という。それだけで、人数は減ったけれど、研修の面白さやアンケート結果が改善したという。それはそうだ。聞きたいひとが参加し、講師を盛り上げれば、その結果になるだろう。学習欲がないひとに、学習の面白さを伝えることは、もちろん可能だろう。しかし、もっと良いのは、もともと学習欲があるひとに伝えることだ。
なんて、上手くいくことばかりじゃないけれど……。
終了後に、参加者の方々からfacebook申請が届いていた。facebookのぼくの書き込みについて、面白いというひとや、不快感を抱くひとがいる。どちらも正解だろう。しかし、ぼくたちは自由であるから、それを避けることも自由だ。不快であれば見なければ良い。それだけの話だろう。倫理的、道徳的に語ることではない。某有名人の発言に関して、さまざまなクレームを書き込みひとがいる。あの感覚がまだわからない。不快ならば、なぜそれを避けようとしないのか。他者の発言だと、割り切ることはできないのか。ひとはもっと自由なはずなのに、なぜ不自由を選択しようとするのだろうか……。人生は短い。
ちなみに、ぼくはネット上で議論はしないので、できるかぎり、返信はしない。たしかに意見を書くのも自由なら、書かないのも自由であるはず。ぼくはもっと自分の時間を、自分で決めたことに費やしたい。それが積み重なれば、おそらく自由というものの本質がかいま見えるだろう。
そうして夜には飛行機のなかで原稿を書く。幻冬舎から2013年(?)に出版される本の原稿。タイトルは「測る、数える、真似するの仕事術」(仮)なんだけどね。社長の見城徹さんがつけてくれたようだけれど……。まあ、おそらくタイトルは変更されるだろうけれど。編集者に送って、長い一週間が終わった。